第304話 ビデオオペラ「渚ありて…」
9人の集団は、道中の途中々々で敵の足止めにするためエアロックを閉じながら(A棟全体が真空なのでエアロックを閉じる意味はエア的には無く敵の邪魔だけが目的だ)小走りでC棟へ急ぐ。
そんな状況で―――
しかし「エアロックなんて簡単な操作で開けられてしまう」「敵に追いつかれしまう」という事を不安がったラプトリアンの女兵士が、隣を走るゾフィ司軍法官に胸中を訴えた。
『追いつかれしまいますよ!』
そんな事を泣きつかれてもゾフィだって困ったが、ヒロイン(?)としての贔屓目を抜きにしても、性根の優しいゾフィは女兵士を落ち着かせるために「大丈夫だ」という事を説明してやった。
『大丈夫よ。だって彼らは未知の文明の月面基地にいるのよ?右も左も分からないはずだわ』
『そうでしょうか…?』
『そうよ。「渚ありて…」の‟ビデオオペラ”は観たことがある?』
「渚ありて…」はサウロイド世界で10年前に大ヒットしたSF映画である。
ただのSFの範疇に収まらない哲学と恋愛が盛り込まれた傑作として新たな古典になりつつあり、たしかこの基地のA棟、B棟のレクレーションルームにもビデオがあったはずだ。
たった5時間しか尺がない作品なので、気の短い兵士にも人気である。
『ええ、もちろん』
『‟渚”の中で、主人公が別の惑星の生活に戸惑うシーンがあるでしょう?』
『1万年前に別の恒星系に旅立ったラプトリアンの一団と再開するシーンね。彼らコスモノーツの荘厳な宇宙ステーションで、遭難した宇宙飛行士の主人公を出迎えた女優は……確かオラーリユラ(※)』
※サウロイド世界に姓は無い。全部が名であるが、前半の3音は基本的に省略される。逆にいえば前半3音を発するというのは我々でいえば、山田太郎、と本名を呼ぶのに近い。このゾフィも本名はリピアゾフィである。
『詳しいのね!』
ゾフィは驚いた。
『まぁそうです。
このおしゃべりの間も二人は周囲の警戒は怠っておらず、互いに別の方向に視線をやっていたが、この瞬間だけ思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
『5回!?』
『さすがに飽きました』
二人は一頻り顔を見合わせて笑い合い、そしてまた視線を別にした。
月の良いところは、こんなジョギングレベルの走りなら息が上がらないところだ。A棟を脱出する9人の一行はマラソンの集団のように群れを作って、長い廊下を走り続けている。
『…ともかくその中で、主人公は1万年の隔世を経た文化に驚いた。文字も科学技術も習慣も、何もかも違う。同じ生物であり、DNAは100%同じなのにトイレのやりかたも分からない。たしかそんなコミカルなシーンがあったわよね?』
『ええ。あと音楽プレイヤーの使い方が分からずに戸惑うシーンも面白い。何度も場違いな曲をかけちゃうのよ。タイマーが作動しちゃったりね』
『ああ、あった!あった!そうよ、そうやって隔絶された文明同士は科学力が同じレベルであっても、さらにDNAが同じであっても、そりゃあもう何から何まで分からないものよ』
『なるほど』
『私達はこうやってA棟の500mの廊下を3分で走り切れる。道も分かるし、エアロックの開け方も分かる。でも彼らは30分はかかるでしょう。廊下の案内表示も読めないのだから』
『つまり、追いつかれない、ということですね?』
『そうよ!大丈夫』
とゾフィが頷いたところに、レオが割って入った。
『しかし、30分かければパズルを解けるとも言えます。だからA棟には一回、氷河期になってもらう事にしたんです』
C棟に移動するマラソン集団の前方にいたレオは、中央少し後方のゾフィと女ラプトリアンに向かって振り向きつつ、いつもの落ち着いた敬語で言った。サウロイドは人間と違って首の可動域が広いので、肩から下はほとんど走るフォームが変わらずに、首だけヌッと後ろを向いたので少し不気味である。
そしてレオは、そんな後方な彼女達に向けていた顔を、クイッと前方に戻す事で「前を見たまえ」と指し示した。
見れば、彼らの進む先にはいよいよジャンクションホールの巨大ゲートが迫ってきている。
A棟の南端に到達したのだ。
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