第301話 静かの海の難破船

「ムーンマンの真意は分からないけれど、今はともかくハッチを塞ぐスライムをどうにかしないといけないわ」


 円環山脈クレーターの山影に墜落した二番艦デイビッドの中で、クルー達は船からの脱出に奔走している。彼らがすぐに脱出できないのは、墜落する間際に謎のムーンマン(仮称)が空に現れ、船体を覆うようにたっぷり緩衝材のスライムをしまったからである。


 助かったのは良いが、ありがた迷惑とはこのことだ。時速300kmで墜落する宇宙船を守るほどのショック吸収素材は簡単には破れまい。


「ムダなエネルギーは使いたくないけど、電気切開をしてみましょうか?」

 副艦長のアヌシュカは、ハッチを塞ぐスライムを触りながら言った。

「さすがに頑丈だけど、針ぐらいなら刺さりそうよ」

 スライムにプラスとマイナスの電極を刺して、その間に高電圧をかけてみようというのだ。スライムに多少の電気抵抗があれば、電流の経路は強烈に熱せられ焼き切る事はできるかもしれない――とアニィは提案した。


「いや」

 しかしボーマンは首を振った。

「もう少しムーンマンを信じてみよう」

「信じる?ああ、待つということですね」

 真之は、ボーマンが言わんとすることを悟って頷いた。

「ああ。彼らがなのさ。その証拠に、このスライムだんだん変質しているように見える。つまり…」

「それは気づきましたよ」

 アニィは苦笑まぎれに、まだ抵抗した。

 ともかくムーンマンガ信じれないらしい。のSALを、二番艦を墜落から助ける事の交換条件として連れ去って(ダウンロード&削除して)しまったムーンマンが許せないのかもしれない。


「変質には気づきましたが、変質というならしているかもしれません」

「待ちたまえ。しているかもしれんだろ?」

「……」

 こういうときヘルメット内の‟顔面ライト”は役に立つ。特に表情でコミュニケーションをとる人類には必要不可欠なものだ。

「な?」

 ボーマンは「な?」とだけ言ってアニィの肩を叩き、あとは‟顔面ライト”に照らされた自分の和やかな笑顔だけで論破してしまった。

 これではアニィも言い返せばしない。


 一瞬の沈黙が流れ、その後で真之が開口した。

「じゃあ、マイルズ。すまんが、ここでスライムを観察してくれ」

「え?」

「変質が『硬化』に転ぶか『液化』に転ぶか。司令と副長の賭けの行く末を見届けるんだ。だって、たぶんしばらくは管制官キミの仕事は無いだろう?」

 真之がジョークで「たぶんmaybe」という副詞をつけて言うと、もう二番艦が飛べない事を知っているマイルズは、まんまと少し吹き出してしまう。

「はは、そりゃあ…」

「じゃ!スライムに変化があったら、連絡してくれ。我々は船の各所点検を続ける」

「了解しました」

「昼寝しながらでいいよ」

 ボーマンは借りていた懐中電灯ハンドライトをマイルズに返しつつ、彼の肩を叩いた。昼寝は誇張だが、ともかく酸素消費を落とせという指示である。

「はい。分かっています」


 こうしてマイルズを「スライム監視員」として残し――

 司令、艦長、副艦長の三人は、今度はブリッジに向かって移動した。

 もっとも移動と言っても、アルテミス級は全長60mもあるが床面積は電車一両ほどしかないので、さして通路は長くない。宇宙だったらスッと体を流して、ものの5秒で通り抜けられよう。

 しかし今、船は月面の円環山脈の中腹に座礁しているのため、艦橋ブリッジへは登り坂になっており、しかも船体のフレームがひしゃげて漏電の危険性もあるので、なかなか移動は大変だ。

 船体構造に詳しいアニィが先導しつつ、三人は話ながらも慎重に移動する。


「仮にスライムが溶けて。次はどうしますか?」

 ”操艦”の長である艦長の真之は、こうした行動方針についてはボーマンの指示を仰ぐのが軍規通りである。が――

「いえ、違うわよ!」

 一方、副艦長のアニィはお構い無しだった。

 いまは我々は宇宙漂流者なのだから軍規など関係がない、と言いたげである。

「思い出して。ここは円環山脈クレーターの底なのよ。アンテナはすぐには使えないわ」

「あ、そうか」

「ええ。誰かがをしないとね」

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