第299話 円環山脈(クレーター)の底 中編

「壁に足をつけて、背中でハッチを押すんだ」

 円環山脈クレーターの底に墜落したアルテミス級二番艦「デイビッド」の真っ暗な船内では、艦長の真之と管制官のマイルズ、そして副艦長のアヌシュカが緊急用の手動式ハッチを開こうと悪戦苦闘していた。

 二番艦デイビッドはいま山の麓に打ち上げられたのような姿勢になっていて、天井と床が逆になっているほか(宇宙船なのでそこまでの不便はないが)狭い通路は船尾から船首に向けて傾斜5度ほどの坂になっていた。


 と。

「せーの!」

 真之とマイルズは「これでダメならさらに男手を呼ぶか、電力は使いたくないが電気バーナーを使うしかない」と考えつつ、力いっぱいにハッチに背中で押したときだった。

 グググ…! グニュウ!

 ようやくハッチが外れてくれた。


 しかしその感触は何が不気味だった。

 彼らは「ハッチが開かないのは墜落の衝撃で船の骨格フレームが曲がったせいだ」と考えていたので、「バンッ!」と勢いよく開くことを期待していたが、その感触はそうではなかった。何か歯切れの悪いスライムを千切ったような感触でグニュゥとハッチは開いたのである。


「うわっ!?なんだこれ!?」

「アニィ、照らしてくれ」

 少し開いたハッチの隙間をライトで照らすと、そこに見えるはずの真っ黒な宇宙は見えず、ブヨブヨした青いスライムが視界を遮っている状態だった。

「もっと開ける?」

「えらく重たいが、できそうだ。マイルズやるぞ」

「はい」

「せーの!」

 二人がまた踏ん張ってハッチを押し上げると、スライムはどんどん延びて薄くなっていき、薄く引き伸ばされた一点からついにトロンと穴が開いた。穴の向こうには円環山脈クレーターの山肌の灰色が見えている。


「ふぅ…これでなんとか」

 90度以上開いたところでハッチはもう戻ってこない状態になったので、二人は押すのを辞めて、一歩下がってスライムをまじまじと観察する。

 夜の間ずっと記録的な大雪に見舞われた朝、雪に埋もれてしまった玄関のドアを開いているような状態である。(もっともドアの開く向きは逆だ。内側ではなく外に向かって開いている)


「なんでしょうね?これ」

「そりゃあ。SALが言った‟神様”の仕業でしょう」


 かなり前の章になるので二番艦デイビッドの状況をおさらいすると――


 砲戦の最後、ついにレールガンにやられてしまった二番艦デイビッドは、航行速度スピードに対して高度が低かったため※、もう月の引力を振り切れなくなり墜落に至った。

 ※「高度が低い=星に近い」ため引力が強くなる。なお引力が強くても、それに拮抗するだけの遠心力を生じる超スピードであれば落下する事はない。たとえばサウロイドが使うMMECレールガンは、地上で、引力と遠心力が釣り合ってしまい永遠に月を回り続けた。つまり射程は無限である…これはこれで迷惑であるが。


 ともかくそうして二番艦デイビッドが墜落する最中、クルー達が一か八かの再噴射をかけて月面への軟着陸を試みていたとき、思いもしない事が起きた。

 艦載スーパーコンピュータのSALが未知なる者からの通信を受けたのである。

 その通信によれば、SALが未知なる者の人質(OSも含めた全データの移行)になる事と引き替えに、彼らがというではないか。

 もちろんクルー達は甚だ戸惑ったが、信頼するSALの推薦と、そもそも着陸できる可能性は限りなく低かったものだから、彼らはその‟甘言”を受け入ることにたし、SALを差し出すとともに船の着陸を彼らに託したのである。


 このとき、サナギのような一人乗り脱出カプセルにそれぞれ入っていたクルー達は小さなモニターによって船内・船外で何が起きているのかを見ていたが、船の艦橋ブリッジ(コクピットルーム)を預かる艦載コンピュータのSALが去ってしまったことでを失ってしまう。彼らは軟着陸の際に何が起きたのか見ることはできなかったが、何度かの加速度の変化……簡単にいえば「バイン、バイン」と船が弾んだように感じていたのだった。

 つまり、それが――


ブヨブヨスライミーだな」

 真之はハッチの覆うスライムを観察しながら言った。

「神様にしちゃあ、えらくこう…無様な方法だ。柔らかい緩衝材で船を包んだだけか……」

 彼の言うように、きっとこのスライムは船全体にたっぷりと‟デコレーション”されているに違いない。そしてそれが墜落の衝撃から船を守ったのだろう。しかし量がすごい。アルテミス級は宇宙戦艦とは名ばかりの華奢な船体をしているが、それでもそれを全体をコーティングするぐらいとなると、スライムの全体量は25mプール一杯分ぐらいになるだろう。月にどうやってこれだけの特殊液体を持ち込んだのだろう?

 それはそれですごい技術だが――


「ふふ。いいじゃない。安心したわ」

 技術者でもある副艦長のアニィは苦笑をした。

「真之は反重力とかを期待していたの? 緑のオーラでホワァと包んでくれて巨大な船を持ち上げたり? …いやいやそっちの方がゾッとするわね。私は」

「ああ、たしかに」

 真之も気づいて、頷いた。

 彼女の言うとおり、このスライムが人類が作れない素材だったとしても、やっていることは緩衝材、エアバックや‟ビニールのプチプチ”と同じようなものであり、それは未知なる者は決して神ではない事の証明でもある。


 一方、そんな真之とアニィの会話の最中、素材分野マテリアルに門外漢であるマイルズは(宇宙飛行士になるような人々なので門外漢でも物質化学の修士号ぐらいの知識はある)彼の性格もあるのか、少し無邪気にスライムを観察していた。

「これ…触ってみましょうか?」

 ライトを目の前に構えて、マイルズはスライムのギリギリまで顔を近づけた。

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