第292話 バイオハザード

――くそ!くそ!ちくしょう!

 せっかく捕獲カプセルを脱出したというのに、ネッゲル青年の決死の突撃は失敗してしまった。


 30人もの鳥人間サウロイド恐竜人間ラプトリアンの間を縫って突貫し、背中を向けているリーダー格の軍人(ラプトルコマンダー)だけを狙った攻撃が不発に終わったのだ。相手の首の後ろ側に思い切り膝蹴りを打ち込めば、相手の頸椎を折るなり損傷させるなりして、そいつだけは討ち取れると思ったが……


 ドーン!

 背後の騒ぎに気付いてターゲットが振り向いてしまったために、飛び膝蹴りは肩に阻まれてしまい、ネッゲル青年とラプトルコマンダーは揉みくちゃになって床に倒れ込む形となった。


 ちなみに、このときネッゲル青年は素っ裸である。

 サウロイド達にとってはただの希少動物、検体サンプルなので仕方がないが相手が知的生物と分かっているなら少し非人道的だ。


「ち、ちくしょう…」

 姿で30人の輪の真ん中に倒れたネッゲル青年は屈辱と悔しさで震えた。


 震えたが、しかし!

 彼はここが、彼が産まれた確率次元の宇宙ホームグラウンドである事を忘れていたのだ。


!!』

 科学者の一人が何か叫ぶと、ネッゲル青年を囲む人だかりがワッと拓けたのである!ネッゲル青年にはフルッフーというハトの鳴き声のようにしか聞こえないが、その科学者はサウロイドの言葉で『バイオハザードだ!ヘルメットをつけろ』と叫んでいたのだ!


 それはまるで海を割るモーゼになった気分であった。


「そうか!」

 敵の皆が皆、月面服のヘルメットを装着しようと慌てている様を見てネッゲル青年も自体を察した。

「ウィルスだな!」

 そう。彼を守ったのは、彼自身の体が宿す地球のシステムだったのだ。


「今しかない!」

 彼はビーチフラッグのようにして勢いよく立ち上がると、下りかけているC棟のゲートに向けてダッシュをかけた。さきほどラプトルコマンダーが「危ないからゲートを下ろせ」と指示した事が偶然、彼に味方した結果である。それはまさに――


――天佑なり!


「うおぉぉ!」

 ネッゲル青年に迷いはなかった。

 ゲートの先に何があるかは分からないが、30人に取り囲まれているよりは良い事が待っているに違いない!彼は100kgもあるマッチョとは思えない身のこなしで、下りるゲートと床の隙間にヘッドスライディングした――!

 


 そうして彼は、月面の地下とは思えないただっ広い空間に出た。

「何だここは!?」

 その大広間ホールは冬の午後のような少しだけ黄色い白色灯で照らされていて、ずっとサウロイド文化特有の紫の警告灯パトランプに刺され続けた目は、冷え切った手をお湯に浸したかのようにジンジンと疼いた。


 その大広間が、十字の形をした月面基地の中央、東西南北に4つの棟と接続する「ジャンクションホール」であるというのを知っているのは人類で我々だけであり、事情を知らない彼にとっては謎の空間でしかない。

「どうすれば…?」

 彼は全裸であることなど忘れて、キョロキョロと周囲を見回した。そしてすぐさま、ここが基地のどのエリアかは分からなかったが、ともかく巨大な立方体の部屋でありそれぞれの壁にゲートがある事だけはわかった。

 自分がいま潜り抜けたゲート(つまり南のC棟)を背にしたときに、正面に見えるゲート(北のA棟)は上がっていて、左(西のD棟)と右(東のB棟)はゲートが下りている状態だ。

 

――3択か…

――仲間が居るのはどちらの方向だろう…!?

――いや…まずは敵の月面服を奪わなくては…


 と!

 心の中で考えていた、そのときだ!


 グワッ!

 彼は前方に、つんのめるように倒れ込んだ!何かに足首を掴まれ、後ろに引っ張られたのである!

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