第291話 せめて一太刀でも

 ズゥゥン!!

 またA棟の液化酸素タンクがに爆破された――。


 こうしてA棟で焦土作戦が進行すると、それに伴って避難や配置転換してくる者がC棟になだれ込み、そのゲート付近はもう30人近い人の群れが出来ていた。

『おい!ゲート付近で止まるんじゃない!もっと奥へ行け』

『お前達が来るまで、私達なりにゲートを守っていたんだ』

 今しがたA棟から来た臨時徴用兵と、先に移動していた博士連中が揉めている。

 

 現在地をおさらいすると――

 月面基地は俯瞰すると十字の形をしていて、東西南北に4つの棟がある。その中でC棟は南の棟にあたり、いまゲートだ何だと騒いでいる場所はC棟における北端、4つの棟がクロスする部分の大広間「ジャンクション」との境目の部分だった。

 このゲートを下ろせばC棟は隔絶された1つの棟になり、いまB棟(東の棟)から進撃してくる人類を締め出す事は可能だ。

 だが同時にまだA棟(北の棟)から避難してくる者もいるはずで(そう。肝心の司令のレオすら到着していない!)この重いゲートを下すかどうかは悩ましい所であった。しかし――


『しかし。ゲートはいったん下ろしましょう』

 その若い士官は言った。

 彼はもうこの基地で3人だけになってしまった正規の歩兵隊ラプトルソルジャーの1人であり、急遽ラプトルコマンダーに格上げされた青年だった。(哀れな事だ。海底人の戦闘介入のせいで…)

『C棟のゲートを開いているというのは、次元跳躍孔ホールが丸裸になっているワケです。それはレオ司令も望んでいない』

 彼はコマンダーとしての責務を立派に果たそうとしている。

『あ……。な、ならばどうする?』

 博士連中は驚いた。

『いったんゲートを閉めます。おい!』

 はい、と言ってA棟から来た臨時徴用兵の一人が壁のコンソールを操作すると、すぐさまゲートは動き始めた。いや、動き始める反応は素早かったが、下りる速度は「グワァァ…」という低い音を伴う遅々としたものであった。

『ほれ見ろ。こんなに時間がかかるんだぞ?』

 博士連中の一人が「ゲートの開け閉めには時間がかかるから、開けたままにした方がよかっただろ」と言う意味の難詰をした。それに対しラプトルソルジャーも礼節を弁えつつ怒鳴り返した。

『いいんですよ。ゲートの向こうの大広間(ジャンクションホール)に人が集まったらまた開ければいい。なんだ。あなた方だってこの基地に来ると決めたときに覚悟はしているはずだ』

『あ、ああ。ここはただの月面じゃない。別の確率次元の宇宙ということは…』

『ならそういう事です。死を恐れて判断を誤らないで頂きたい。科学者でもね』

『分かったよ。まぁ…たしかに人類ヤツらに次元跳躍孔の存在を知られるのはマズいが……』

 ラプトルコマンダーと博士連中のリーダーがそんな話をしているのを、人混みの環の外か聞いていた研究者の一人が若干まだ不服そうに「やれやれ、まったく。あ……そういえばがココにいるな。脈拍バイタルを診てやらないと」と床に置いたカプセルを見た、そのときだった――!


 バン!!!


 カプセルの天蓋キャノピーが蹴破られ、が飛び出してきたのである!

『なに!?』



 ここで飛び出した側、ネッゲル青年側に視点を変えたい――!

「はぁっ!」

 月の重力とはいえ、キャノピーは「黒ひげ危機一髪」のように信じられない勢いで上にポーンと飛び上がり、それに乗じて彼も海老のようにハンドスプリングでビョンと素早く立ち上がった!

 素早く立身姿勢を作って状況に対応したためだ。それは総合格闘技でボクサー出身の人が寝ている姿勢を嫌がるのに似ている。が――!

「な!?」

 床に置かれたカプセルの中から仰向けで周囲を観察しただけでは分からなかったが、なんと周囲にはA棟から避難してきた者が加わって、30人もの敵がいたのだ。

 ハッキリ言って「詰んで」いる。


 しかし迷っている暇はない――!


「うおぉぉ!!」

 ネッゲル青年は「せめて一太刀でも!」と突進した。

 たまたまコチラを見ていて彼に気付いた科学者は無視し、人の群れの奥、背中を向けて別の人と話しているラプトルコマンダーに向けて突進した。武器は無いが、全体重を乗せた膝を首の付け根に打ち込めれば、もしかしたら頸椎にダメージを与える事はできるかもしれない!

 他方――!

 腰が抜けるというのは鳥人間にもあるようで、彼の脱走に気付いた科学者らは「クェ!」とか「カァ!」とかの感嘆符を発するだけで積極的な妨害行動はしてこなかった。まぁ我々でも動物園で急にチンパンジーが檻から飛び出て来て、しかも自分じゃない方向に走っていくとしたら、積極的にそれと闘う人は少ないだろう。訓練を積んでいない咄嗟の状況では本能が勝って「自分だけを守ろう」としてしまうが生物の常だからだ。


 非戦闘員の経験値の少なさに助けられ、ネッゲル青年はのように猛進した。彼とて身長は192cmもあったが、今はまるで160cmのバスケット選手になった気分で、2mのサウロイドや2.5mのラプトリアンの間を縫い、

「もらった!!」

 いよいよ目指すべき首(ゴール)に跳び膝蹴りを仕掛けた!

 しかし!


 そうだ、C棟ココはまだ与圧されていたのだ!

 他の者のどよめきを聞いて、彼が狙っていたラプトルコマンダーは背後の異常事態に気付いて振り向いてしまう!

「くっ!」

 高い位置にある首の付け根を狙っての飛び膝蹴りハイ・二―キックであり、ジャンプしてしまえば止めようがなかった。


 ドンッ!

 ネッゲル青年の膝は、振り向き際のラプトルコマンダーの左肩にぶつかってしまった。そして、その勢いのまま両者は一体となって床に倒れ込んだ!


――くそ!くそ!ちくしょう!


 月の重力とアドレナリンのせいで、自分が倒れ込んでいく様を見せる視野シーンは嫌味なほど長く、その間ネッゲル青年は絶望した。

 位置関係としてはまさに敵のど真ん中で床に倒れる事になるからだ。

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