第289話 脱獄(前編)

 ネッゲル青年はいま、希少動物サンプルとしてカプセルの中に捕らえられていた。

 

「さて、どうする…?」

 彼は、サウロイドやラプトリアンの博士達がカプセルをいったん床に置いて何か軍人と話しているのを良いことに、薄目で気絶したフリを続けながらキョロキョロとカプセルの中を検めた。両腕はベルトのようなもので拘束されているが、まだ諦めるには早い……いや、というより好奇心が勝っていたからだ。


――――


 カプセルは尻尾の無い方サウロイドの集中治療用のモノのように思えたが、さすが月面仕様で密閉はバッチリなようだった。腹筋を使って頭をもたげて足の方を確認するとファンのようなものが回っていて、そこから空気が送られてきている事が分かる。このまま月面に放り出されてもしばらくは安眠できそうな豪勢な造りだった。


 ただ――

 このカプセルは何も彼を真空から守るためのものではないだろう。

 つまり、サウロイド達にとってネッゲル青年がどんな病原菌やウィルスを持っているか分からないこそ、こうしてまるで毒物のように厳重に密閉された状態になっているに違いない。

 そしてその事は同時に博士達が、彼を生きたまま本国(彼らの確率次元の地球パラレルワールド)に持ち帰る気である事も示していた。

 A棟の研究室から次元跳躍孔ホールが封印されているC棟まで、彼を入れたカプセルを運んできたのは酔狂ではあるまい。自分達は簡素な月面服を着ていてるのに、敵の捕虜じんるいの一人を堅牢なカプセルの中で寝かして運んでやるのは大切な検体であるからだろう。


「俺がサンプルになてってしまうとは…」

 と彼は忸怩たる想いに歯ぎしりをした。


――俺自身の体がヤツらにとって有益になってしまう。

――いざとなれば、自殺でもして私という情報をシャットダウンしなければ…


 ドイツ系の熱血漢を絵に描いたようなネッゲル青年は何の迷いもなくそう決意し、決意すると少し晴れやかな気持ちになって次に視線をカプセルの外に向けた。


――まあいい。そのときが来るまで好奇心に従おうではないか


 床に寝かされているネッゲル青年は、5,6メートル先で環を作って何かを話し合っているサウロイドとラプトリアンの10人ほどのたむろを見上げた。彼らの身長は2m~2.5mほどであるが、床に仰向けで縛り付けられて見上げるとまるで「自分をどう料理するかを相談し合うトロール」のように見えて、おとぎの世界に入ったような感覚を覚えた。


 そうしてしばらく、環を成した彼らの話し合いを盗み見したネッゲル青年は

「……どちらかがどちらの奴隷ではなさそうだ。対等な関係か」

 まず人間関係に気づいた。

 言葉が分からないので情報は入ってこないが、尻尾の有る方ラプトリアン無い方サウロイドが対等な雰囲気で会話しているのは見て取れた。どちらかが知能に劣っているとか、造られた生物兵器ミュータントだというワケではないようだ。


 そして次に、話し合う10人のうち1人だけが軍人だという事にも彼は気づいた。

 その1人だけが上等で頑丈そうな月面服を着ていたのもそうだが(それだけなら貴族かもしれない)、筋肉の量や身のこなし、面構えで兵士であるのが同じ兵士である彼には分かったのだ。きっと残りの9人は文官か民間人…博士達か何かのようだった。

 博士達の中には自分を調べていた生物医学系の研究者もいるはずだが、「何かのようだ」と判然としないのはからである。

「分かるのはこれぐらいか。あとは彼らの足の爪が鋭いことぐらいで……いや!」


 いや――!

 いや、と彼は思い直した。一人だけ顔が分かるヤツがいる…。


「そうだ。彼女はどこだ?」

 そう、彼が覚えているのは女のサウロイド。ゾフィだけは覚えていた。

「彼女はのだろうか?」

「割合、偉い人物のようだったが…。いや、待て待て」

 彼は目を閉じ、月の重力を背中全体で感じながら考えをまとめようとした。


 あぁ…。

 一年前の俺に「お前は一年後に恐竜人間の月面基地の床の上に寝転がって安楽椅子探偵の真似事をするんだ」と言ったら絶対に信じなかっただろうなぁ。彼はそうやって自分自身のために苦笑すると、それから気持ちを切り替えて集中した。

「状況をまとめるんだ…」


 ①彼女を高官と仮定する。なにせ研究者でも戦士でもなさそうだ

 ②そんな彼女がいま姿を消した

 ③しかしここで10人がワケもなく屯いている

 ④そしてさっきの地震。あれは何かが爆発したものだ


「ということは…!?」

 ネッゲル青年は瞳を開いた。

「彼らは混乱しているんだ…!? それは作戦が上手くいっていないと考えるのが妥当だろう!つまりだ! つまり!まだ揚月隊なかまが戦っているに違いない!」

 彼は血がカッと熱くなるのを感じた。

 事情を知っている我々と違い、彼は今の今まで敵基地に一人だけ取り残されていると思っていたのだから無理はない!ネッゲル青年の精神力でも、無人島で水平線にヨットの帆を見たような気持ちになって涙しそうになった。「宇宙に一人きり、敵のど真ん中で取り残されている」と思い込んでいた彼は絶望から一縷の光を見出したのだ。


「くそぅ…俺も戦わせてくれ…!」

 そういう熱い想いで、思わず腕に力が入った――そのときだ。

「むっ…!!?」

 なんと彼の両手首を拘束しているベルトのような帯が、縦の方向には大きく動かせる事が分かったのだ。

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