第287話 逆バルサン作戦
十字の形をした月面基地の北のA棟を捨て、南のC棟に兵力を集中させて立て籠もる事を司令のレオは決断した。
ここ司令室もA棟に属すが、それ以外にも研究室や発電施設、月面車整備棟や医務室、さらには酸素と水の循環装置など、居住スペース以外が基幹機能が集中しているのがA棟であり、これを捨てる決断は中々重たいものであった。
――とはいえ。
まだ敗北が決まったわけではなかった。
『我々はこれよりA棟の酸素タンクを破壊して撤退する。A棟の全エアロックをオープン。むろん各員の月面服の確認も忘れずに』
『原子炉はどうします?』
ザラがレオに言った。
『焦土作戦というなら、原子炉も武器庫も、研究室や組み立て中の
『その時間はないでしょう。それに焦土作戦と言ってもすぐに戻る算段です』
『ああ…。そういうことですか。なるほど』
ザラは一瞬考えたのち、レオが言わんとする事を察して頷いた。
レオの考えとはつまり「敵に酸素が渡らないようにすれば、月の真空が彼らを殺してくれるはずだ」というものである。
中世の戦争で、軍勢がある土地を撤退する際に土地の田畑を焼くことで、後からその土地を制圧した敵が食料を得られなくするというのが「焦土」の作戦だが、今のレオの発想はどちらかといえば「逆バルサン」のようなものだ。
バルサンを炊いて部屋の窓を密閉して数時間後に戻れば害虫が死んでいる…というのの逆で、酸素タンクを壊して基地の窓を全開にして数時間後に戻れば敵が死んでいる……という酸欠作戦だった。
『良いでしょう。彼らのテクノロジーが我々と同様とするならば成功するはずだ』
『敵を過大評価するのは良くない』
『そうですね。たしかに彼らの誘導してくる
ザラも賛同した。原子炉や武器を奪われるのは心配だが、酸欠作戦は短い時間で許された最良の一手だと考えたのだ。
『それで
殿――つまり自分達が最後にA棟を撤退する一団になるだろうか、とザラは訊ねた。むろん司令室を先に空にするワケにはいかないので「それはそうだが?」とレオは頷く。
『そうなると
ザラは苦笑して、さきほどゾフィが歩哨をはね除けて司令室に飛び込んできた事をネタにした。彼は冗談のつもりで言ったが、どうしても嫌味っぽい口調になるのがこのザラという男で、当人である歩哨のサウロイドの女兵士を不機嫌にさせてしまったようだ。
『私は!通路で接近中に撃つこともできました!司軍法官だと分かったから撃たなかっただけで!』
『あぁ、はいはい。いまはソコが論点ではないから』
ザラはあからさま迷惑そうに女兵士をあしらった。「こういう話の腰を平然と折る馬鹿は苦手だ…」と彼なら考えていそうだ。
『まぁ。ザラ中佐の言うとおり…』
女兵士がまた何か言いそうだったので、仲裁の代わりにレオが手の甲を見せて制した。サウロイドの祖先は爪自体が強力な武器だったので、手の甲を見せることで戦意がない事を示す慣例があり、その名残がジェスチャーとして残っていたのだ。
『殿は我々がやります。ほら、人手を数えてみましょう。まず私だ。私は一応軍人だし、オペレータの彼も兵士ではあります』
司令室付きのオペレータは二人いて、専門が完全に分かれているわけではないが一応、片方は用兵を携わる軍人、もう一方は施設運用に携わる技師である。軍人の方は戦力になるだろう。
『後は、砲術士官の2人とザラ中佐ご自身ですが…』
『あとあと私ね!』
ここでゾフィが元気に挙手で割って入り、ザラは肩をすくめた。
『じゃあそんなやる気満々のゾフィ司軍法官も含め……我々は、えっとそうですね…戦力としては0.5人とカウントして頂きたい。最低限の基礎訓練しか積んでませんから。フレアボール投光器の扱いを知っているぐらいです』
『それでいい。歩哨の彼女を加えれば我々は5.5人の小隊だ。武器があれば後退戦ぐらいはできるでしょう。ユノ砲術中尉』
『は、はい!』
急に名前を呼ばれてユノは驚いた。まさか自分の名前を知っているとも思っていなかったからだ。
『念のため武器の点検をお願いします。あのキャビネットにしまってある』
レオは司令室の前方の壁を指さした。
『了解です!』
ユノ中尉がそう言うや、一転してシリアスな語調でオペレータの一人がレオに向き直って叫んだ。
『司令!1つ目の爆破準備できました』
人手が何人か、の寸劇の間に作業を続けていた彼は言った。
『…ええ』
レオも一転して真剣な雰囲気だ。
『やってください。後戻りする気はありません』
『では…!司令室より各員へ!これより液化酸素貯蔵槽A3を爆破する!各員震動に備えよ!!』
ズゥゥゥン!!
――――――
―――――
A棟に12基ある酸素タンクの1つが爆破されると、その衝撃はC棟でも震度2ほどの揺れとして体感された。C棟ではどよめきが巻き起こり、その中に――
「この振動は…なんだ?」
ネッゲル青年の姿もあった…!
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