第286話 司軍法官のゾフィ女史(後編)

 想像だにしなかった海底人の戦闘介入により、わずか70人で殴り込みをかけてきた揚月隊じんるいにサウロイドは大苦戦を強いられていた。

 …というか負けそうである。

 

 頭数だけでいえばまだサウロイドが優勢であり彼ら76人に対して、揚月隊は残すところ21人のみであったが、その用兵がうまくいっていなかったのだ。戦士の練度の問題もあるが、最大の問題は守ろうとする場所が多すぎて戦力を一局に押し出せていない事である。


 ――そもそもA棟とC棟を両方守ろうというのが間違っているんだ。

 ザラ砲術士官長代理は思った。

 「A棟は死守したい」という司令のレオの判断を彼は内心で罵倒していた。「籠城作戦というのはいい。敵が補給物資などを持たず月面服ので乗り込んできているなら、門を固めて酸素が尽きるのを待てばいい。しかしそれは戦力をC棟に集中した上ですべきことだ!」と彼は考えていた。しかし中佐である彼に、年若いものの将軍であるレオの判断を変更させる権限は無い。いや無いからこそ――


 司軍法官のゾフィの出番であった。


 いま彼女が司令室に向かって駆けているのは相談や説得のためではなく、レオの作戦を軍法の名の元にだったのである。つまり彼女はいま、彼女の司軍法官としての権利を発動しようというのだ。ちなみに司軍法官が指揮官に対してのは、戦争が少ないサウロイド世界において実に170年ぶりの珍事であった。


――――


『なにやってるの!?』

 そのゾフィが殴り込んできた。

 司令室の前の直線の通路には1人だけ歩哨が立っていたが、彼女(そう女兵士だ)をはね除けるようにしてゾフィは司令室に飛び込んでくる。


『どうした?C棟に行ったはずだろ?エースは?』

 レオは少し動揺した。

 言葉は落ちついているが、幼なじみ達への私的な感情が彼を揺さぶっているのだ。

A!?』

 レオの質問を完全に無視して、ゾフィは言葉を投げつける。

 今が戦いのクライマックスであることを、最前線となっているジャンクションホール(十字の形をしたこの基地の中央の大広間)から来たゾフィは分かっていたのだ。


――1秒だってムダに出来ないわ!


 自分がジャンクションからA棟中央の司令室まで移動する90秒の間にだって戦況は動いているに違いない――と彼女は考えていた。

『レオ。A棟は捨てなさい!』

『いやA棟が制圧されればMMECレールガンも稼働できなくなる。コントロールはC棟からも行えるが、A棟の4基の原発が無しでは電力が足りない。……は赴任前に施設設備の資料は穴が空くほど見てきたハズだ』

 レオは不機嫌になると他人行儀な言い方をする癖があった。

『そうじゃない!』

『では頭に入っていないのか?司軍法官』

『そうじゃないって!』

 ゾフィはドア付近に立っていたがもう堪らなくなって、ズィッと室内に踏み入るとレオの肩をグワッと掴んだ。

ってことよ!』

『――!』

 レオは言葉を失った。

 ゾフィのセリフの中身ではなく、恥ずかしいがボディタッチで冷静になったのだ。

 しかるべきタイミングにおける女性のボディタッチは、皮膚や骨を貫通し心にまで触れるもので……どうやらそれは人類もサウロイドも変わらないようである。


 ザラ砲術士官長代理にどんな嫌味を言われても動じなかったレオの、その強ばった心は一挙に瓦解し決壊する。サウロイドが持つフクロウのような瞳の瞳孔は縮小し、しかるべき形と大きさで安定した。

『……』

 レオが次の言葉を言えないのを横目で見ていたザラは

『ふぅむ…じゃ私の提案通りにして。その前にでもやっときますか?』

 と、視線を床に広げられた基地の見取り図に落としたまま呟いた。嫌味な余計な一言であるが、同時に助け船でもある。


『ええ…』

 レオは安堵を隠すように微かな溜息を吐いた。

 日本のトレンディドラマのように、緊急事態でありながらダラダラと自分事の愁嘆場を演じるような無能さは彼には無いので、その溜息は一瞬のものだ。本当はそれらのドラマのように、BGMが止まって、ゆっくり瞳を閉じて、たっぷり溜息を吐いてからゾフィを抱きしめ、「私が間違っていた…!」などと感無量の芝居をしたかったが、そんな暇は無いのをレオは分かっている。

 彼はキリッと気分を切り替えて言った。

『司軍法官。それで指揮権は依然として私に? 罷免してザラ中佐を代理の司令に据えますか?』

『剥奪しません。采配をお願いします』


 レオは微笑んで頷き、そして続けた。

『では。撤退です』

 司令室付きのオペレータに向き直って繰り返す。

『我々はこれよりA撤退する。A棟の全エアロックをオープン。むろん各員の月面服の確認も忘れずに』

『は、はい!』

『実行の手はずはまかせます』

 誰をどう動かして酸素タンクを壊し、どこの人員から避難させるかなどのオペレートは文字通りオペレータの役割である。司令室付きのオペレータの2人は急いでヘッドセットを装着して、方々に電話をかけた。

『5分で完了するでしょう!』

 オペレータの1人はダイヤルしながらレオに言った。

 A棟に残っているのは兵士(臨時徴用兵だが)ばかりなので、建築技師や科学者達よりは迅速にと撤退をやってのけるだろう――という推測である。


『5分ですか、それはいい。お願いします』

『で、原子炉はどうします?』

 ザラがレオに言った。

『焦土作戦というなら、原子炉も武器庫も、研究室や組み立て中の機械恐竜テクノレックスだって全部破壊してしまった方がいい』

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