第268話 Five Men(後編)

 月面車整備棟ドックから基地内部へと通じるエアロックは、潜水艦内部を思わせる頑丈な小部屋になっていた。

 ひとえにエアロックと言っても、電話ボックスほどの空間を二重扉で挟んだだけの簡素なものもあれば、こうやって小部屋になっているものがある。後者は月面そとから基地内部に戻る際に、この小部屋の中で時間をかけて与圧してもらえるので訓練を受けていない者でも使えるが、逆に前者は緊急用だ。単に基地内部の空気を外に漏らさないように二重扉になっているに過ぎない。


 そして――

 揚月隊じんるいはいま、そんな後者の小部屋式のエアロックで籠城・小休止していた。ドック側の扉は開け放たれており、またドックのゲートは開門していて月面そとと地続きになっているので、このエアロックの中も真空には違いなかったが、潜水艦内部を思わせる頑丈な壁に五面を守られている安心感は代えがたいものがあった。


「ふ……」

 隊長のノリスはエアロックの壁面に寄りかかりながら誰にも聞こえないボリュームで不意に笑ってしまった。ドックがちょうど体育館ほどのサイズなので、彼は用具室に隠れて授業をサボっていた高校生の昼下がりを思い出したのだ。

「こんなときだというのに…」


 と、そのときだ。

「隊長」

 グチャグチャに破壊されたドック内の探索に出ていた一人が小部屋に戻ってきた。

「300発はありそうです」

 彼の両腕には収穫した山盛りのニンジンかのように多数の弾倉マガジンが抱えられている。死んだ仲間のマガジンだろう。

「おう、ご苦労」

 ノリスは抱えられたマガジンの山のてっぺんから3つを取り、続けざま

「よし。動ける4人は取れ」

 と指示した。

「はい」

「了解」

「力を貸してくれよ…戦友」


 ノリスを含め5人の戦士は死んだ仲間のマガジンを、両ももの側面に応急処置用のテープ(ガムテープよりちょっとだけ幅が狭い)でグルグルにして張り付けた。もう空いているポケットは無いから仕方あるまい――テープの粘着力がすこぶる強くリロードの即応性には欠けるだろうが無いよりマシだ。

 彼らとしては、ともかく弾をたくさん持っていきたかったのである。

 最後には戦闘にも使える作業用ナイフが残されているが、敵の格闘能力を鑑みるに……弾が切れたら死ぬとみて間違いないからだ。


――


 こうして5人の戦士の準備が整った。

 それから、サッカーの試合前の全員握手の段取りのように、それぞれが順々にジェレミーをはじめとする負傷した隊員の前にしゃがみ込んで「あとは任せろ」と抱き合うなり、肩を叩くなり、握手するなりしていった。戦場にしてはずいぶんと悠長だが、これは儀式のようなものだから仕方ない。また会えるとは限らない、いや会えない可能性の方が圧倒的に高い別れである。


「さ…いくぞ…!」

 いよいよだ。

 敵基地の廊下に続く固く閉じられた扉に隊長のノリス自らが手をかけた。潜水艦の扉のように輪っか状のハンドルがドアノブの代わりである。これを回せば……

「敵が待ち構えているだろう。いいか、まずドアを数センチだけ開ける。そのドアの隙間に手榴弾を投げ込め」

「はい!」

「手榴弾の設定は4秒に切り詰めよう。火薬のバランスは悪くしろ。不完全燃焼させることで煙幕が欲しいからだ」

「支持いたします」

 5人のうちノリスを除くと、元小隊長は一人だけで、そのM-4小隊の隊長が代表して相槌した。それにしても「支持します」とは丁寧な男だ。5人になっても、あくまで組織的な動きをしよう、という意志を感じる。

 そしてさらにM-4の小隊長は残りの3人にアドバイスをした。

「みんな。手榴弾はドアの隙間から壁に反射させて、廊下の奥まで転がるようにしましょう。ビリヤードの要領で‟ひねり”をつけれるなら、なお良し!」

「了解!」

「うむ…!」とノリスも「頼りがい有りや」と頷いて続けた。

「言うまでもないが、手榴弾を投げ入れたら一度、扉を閉めるからな」

「はい」

「そして爆発したと見るや、ドアを全開にして突撃だ。敵に立ち直る時間を与えるな」

 ノリスはそこまで言ってドアのハンドル回そうとしたが、何かスッキリしなかったのかハンドルに手を置いたまま、背後の緊張した面持ちの4人に振り返って加えた。

 月面だというのに汗が止まらない。

「……わかっている。手榴弾で混乱させられていなければ負けだ。この扉の向こうの廊下が遙か向こうまで真っ直ぐ続いているような施設こうぞうであれば終わりさ。手榴弾の影響を受けない距離で敵が待ち構えていたらな」

 そこまで言うとノリスは息を整えた。

 長い台詞のあと息が切れてしまう老人のようであったが、それはムーンリバー渓谷からずっと体は臨戦態勢、心拍と呼吸はしているせいだ。そのことが屈強な彼らの体力を削り続けていたのだ。


「はぁ…はぁ…だが。仕方ない。これしか勝ち筋はないんだ。そうだろ?」

 4人は誰も無言で頷いた。からだ。ノリスもまた「うむ」と無言で頷き、視線を前のエアロックのハンドルに戻した。

「いくぞ…奮い立て! 3、2、1!」


 スピードが勝負である!

 ノリスの渾身の力で、エアロックの重いハンドルを回す。

 「ガロガロガロ」という重く乾いた音を立てながら、それはまるで運命の歯車のように回り出した。

「GO!GO!GO!」

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