第266話 ラプトルの遠吠え

 B棟の廊下。

 本来そこで揚月隊じんるいを迎え撃つ役割の歩兵隊長ラプトルコマンダーのエラキ曹長は4人の海底人によって捕らえられた。思いもしない第三勢力の武力介入である――!


 月面の真空が支配するその廊下でヘルメットを捨て噛みつく……という決死の攻撃さえ阻まれたエラキは、あろうことか攻撃対象である海底人が造ってくれた(彼らの応急ヘルメット。何か特殊な液体なのだろう)命を助けられ、完全に戦士としてのプライドを挫かれてしまう。


[アナタは死んではいけない。]

 言葉は分からないが何か大事な事を言っていると悟ったエラキは、バブル越しの少しモワンモワンと歪む視野の中で海底人を睨みつけた。

[そう怒らないでくださいよ。我々はシナリオ通りに動く演者アクターに過ぎない。あなたの仲間ラプトルソルジャーに消えてもらうのも、我々の意思ではないのです]

[左様。。我々のシナリオによれば]


――何か、取り返しのつかないほど重要な事を言っている…!

 エラキはその雰囲気だけを感知した。

『……くぅ…』

 しかしもう何もできる事はなさそうだ。戦士としての恥辱にまみれて、ここで捕まっているほか無いだろう。と――


[敵です。上階の前方30m]

 そのとき、海底人の一人が急に上方のある一点を見つめた。

 ネコや赤ん坊がときどきこういう仕草をするが、もちろん彼らが第六感(シックスセンス)を持っているのではなく、何らかの高度なレーダーデバイスが敵の接近を感知したのだ。

[猿人間の方を殺してはならないぞ。間違いないな?]

[間違いない。鳥人間サウロイド…いや彼と同じ立派な尻尾があるから恐竜人間ラプトリアンの方だ。手ごわいぞ]

[…片付けてしまおう]

[そうですね]

[はやく撤退しないと、王子が暴れ出してしまったら大変だ]

 ここで4人は一斉に、キュキュキュ!と笑った。知的な雰囲気と真逆の下賤な笑い声である。

[キュキュ、確かに。王子は戦いたがっていたからな]

 そこまで話すと、エラキの前に屈んで彼の頭部にバブルをまとわせてくれた彼/彼女は床に転がっているエラキのヘルメットを小脇に抱えつつ立ち上がった。

 立ち上がっても、膝立ちのエラキより少し頭が上の位置に来たぐらいだった。もともと短足なうえに、160cmほどしか身長がないからである。


[このデバイスは貰っていく。我々にとっては骨董品のようなものだが、お前達の技術について多少は分かるだろう]

 それから4人の海底人は今一度、縛られた巨人を見下すように立ち並んだ。尻尾を含めずとも2.5m近いエラキとは大人と子供のような対格差で、体重は4倍以上違うだろう。

 エラキは自分が野蛮な動物になった気分になった。しかし――

『……覚えていろよ…!!』

 グルルルという、怒りの唸り声をあげずにはいられなかった。


[キュキュ! では、また会いましょう。助けに来ますよ、シナリオ通りに]

 お互い全く通じ合わない言葉を交わすと、4人の海底人は変わった走り方の死神となって紫に染まる廊下の奥へと姿を消してしまう。

 仲間が殺される事は分かっているのに何もできないエラキは、海底人に付けてもらった泡状のヘルメットが破れる事も憚らず、怒りと悲しみと不甲斐なさに激しく慟哭した。

『ギャオォォ!!』

 我々も初めて聞く、ラプトルの本気の遠吠えだった。仲間に危険を知らせる音階シグナル…。


 が。

 むろん、真空のここではその声は届かない…


 ――――――

 ―――――

 ――――


 海底人という思いも寄らない第三者の介入で、B棟でのゲリラ戦は人類が及び知らぬところで彼らの勝利が決定していた。

 最終的にB棟に侵入した揚月隊員は31人で、そのうち14人はすでに歩兵隊ラプトルソルジャーに殺されていたが、残す17人は「あれれ?いつの間にか敵がいないぞぉ」などと暢気に生き延びる事ができたのだ。


 ムーンリバー渓谷で機械恐竜テクノレックスに襲われたときはどうなることかと思ったが、総合的に見るとこの戦いはずっと人類側に運がある――。

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