第262話 海底人、現る(前編)

 エースとゾフィは、ゴゥンゴゥンという足音を響かせながら紫の警告灯に照らされた凍えるような廊下を進んだ。非戦闘員の二人は、主戦場であるここA棟からC棟へ退避する命令を受けていたからだ。


『いま行われている戦いはせいぜい20人対20人ぐらいの超小規模だけどさ。……ま、大事なんだよ』

 寒さをしのぐため、毛布を頭から被ってまるで子供のお化けの仮装のように間抜けな姿のエースは、その姿とは対照的に鋭く現状を分析して指摘した。

 彼は「この月面基地を一度でも人類に制圧とられると、奪還するのがどれだけ難しいか」ということ、翻って言えば「いまが踏ん張りどころである」ということをゾフィに説明した。


『ふうん。あんた、意外に頭使ってんのね。……ははは!』

 ゾフィは驚いて目を丸くした後、思わず破顔する。

『なんだと思ってんだよ。俺のこと』

『ただの運動バカかと…あははは!』

『ははは、ひどいなぁ』

 こうして、幼なじみの二人は肩を叩き合って廊下の寒さに笑いで対抗しながらC棟へと歩を進めた。

 視線の先50mほどには、少し大きなホールとなっているジャンクション(十字の形をした基地のクロスしている部分)が見え、そこを守る予備役(※)の歩兵隊ラプトルソルジャーの一人が、気の早い事に大きく手を振って手招きしていた。

 非戦闘員はさっさとC棟に移動してくれ、という事だろう。


 ※ふだんは工事や研究など、別の仕事を持つラプトリアンだ。以前のエピソードで砲術士官達が戦闘に駆り出される描写があったが、まさに彼らがこの予備役のラプトルソルジャーである。体はデカいが戦闘力は……期待できない。


『はいはーい!』

 平均視力3.5の彼らは、50mの距離でも互いの表情が見える。

 ゾフィが愛想よく手を振ると、向こうのラプトルソルジャーも「よろしく」と手を振って応えた。


 ――――――

 ―――――

 ――――

 

 しかし、事態はそう悠長ではなくなっていた…!

 そのとき戦局はサウロイド達の知らないところで、大きく動いていたのである。


『おまえ達は…うっ……』

  エースからも陸戦最強と言われていたエラキ歩兵隊長がいまのだ。

『くぅ……何者なんだ…?』

 エラキは辛そうに言葉を紡いだ。特に肋骨が折られているのが辛く、声を吐く僅かな息でさえ激痛が走る。


 ここはB棟の廊下。

 肉弾戦(ゲリラ)で無敵を誇ったあのエラキが、何といまや虜囚となっていた。

 両手両足の四肢はワイヤーによって壁や床に繋がれ、自慢の尻尾の骨は折られて力なく延びたうどんのように垂れ下がっていた。

 エラキの巨漢ぶりもあって、河の主のワニが捕まっているような光景だった。


「我々は、アナタ達の表現でいうならDSLです」

 エラキを囲む4体の人型生命体のうちの一人が‟人類の言葉”を使ってそう説明した。そう、不思議な事に謎の彼らは人間が使っている言葉(英語)を使ったのだ。


『…なんだ?何を言っている…?』

 B棟はいま、揚月隊じんるいの遊撃部隊が各所から侵入したせいで穴だらけであり、棟全体が真空状態のためこの会話は声ではなく無線によるものだ。

 DSLを名乗る人型生命体は、エラキの月面服のヘルメットの周波数に合わせて通信を続けた。

「我々はDeep Sea Lives。略してDSL。いえ…」

 彼/彼女はそこまで言うと、何かに気づいて言い改めた。ヘルメットのディスプレイなのか、イヤホンなのか別の情報がもたらされたような様子だ。

「……いえに訊くところ、もっと‟いい単語”があるようじゃありませんか」


 おそらく彼/彼女は話ながら、なにか別のデータベースにアクセスしているようだ。

 もしかすると、ここでいう‟生け贄の彼女”とはアルテミス級の艦載スパコンで、同艦を去った(盗まれた?)SALのことかもしれない。たしかにSALと通信(リンク)することで人間の言葉を操るというのはおかしくはない。

 だが、次元跳躍孔の影響範囲では長距離の電波通信は使えないはずなのに……どうやって遠隔のSALと通信する事ができるのだろう?

 …この4人組みは謎ばかりだった。


 そんな謎はおかまいなしに、彼/彼女は言った。

「DSLなどと余所々々しい言い方ではなく、ぜひ『海底人』と呼んでくださいよ。その方が暖かみがある」

 その声はまるで笑っているようで、言葉の意味は分からないがともかくそれがエラキには不気味だった。

『な、何を言っているんだ…貴様は』

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