第260話 零下20度の廊下

 サウロイドの月面基地では非戦闘員に対して退避命令が出た。

 揚月隊じんるいの攻撃を受けているA棟を逃れ、C棟へと移動する命令である。


『俺が寝ている間に敵の侵入を許したのか。…なにやってんだよ、歩兵隊ラプトルソルジャーのヤツらは!』

 A棟の医務室ではエースが不満を言った。

 史上初の月面での異種間白兵戦を演じた彼も(実際にエース級の活躍をしたので分かりずらいがエースと言う名前である)今やただの怪我人であり、戦力外通知の代わりにC棟へ退避が命じれたのだ。


『文句言わないの!』

 ゾフィは、エースのために病室の隅のスツール(座れる収納箱。こういう家具は人類と同じだから面白い)から、彼のために服を見繕ってやりつつ言った。

歩兵隊ラプトリアンはいまB棟を封鎖していて…』

 エース級の活躍をした男への唯一の労いは、幼馴染の娘が直接の世話を焼いてやっていることだろう。彼女はこの基地の司軍法官でそろそろ忙しくなりそうなものだが。

『A棟の防備は装甲機兵サウロイドだったそうよ』

『旧式のTecアーマーじゃだめさ。俺の発案したワイヤー装備が必要なんだって。月の重力の下で戦うならな』

『はいはい。ほら!』

 ゾフィはエースを無視して、服を二枚も三枚も投げつけた。

『それを着たら、はやくC棟に逃げましょう。B棟の封鎖が解かれたら、ここA棟は


 月面基地を上空から見ると4つの棟がくっついた「十」の字の形のしており、このうち上の棒がAで、右がB、左がD、下がC棟である。また前章の激戦地である月面車ドックはA棟の上端だ。

 「十」の字のクロスの部分は今はまだサウロイドの制圧下であるが、もしB棟を突破してじんるいが侵攻してきたら、ここA棟は挟み撃ちに合う事になってしまうだろう。

 だからその前にC棟に逃げようという事になったのだ。ただ――


『数的に…B棟の歩兵隊の連中が負けるとは思えないがなぁ。侵入したって20,30人だろう?』

――現場の戦力が分かっているエースは落ち着いていた。


『訓練したラプトリアンの室内戦は恐ろしいぞ。それにエラキ曹長だっているしな。彼は本気マジで強いし』

『ははは、でしょうね。単純に大きいし。さ!いくわよ。もっと毛布を被って』

 ゾフィはそう笑うと、医務室の厚い扉(月面基地の扉はどこも厚い。潜水艦の扉のようにどの扉でも密封ができるようになっている)を重そうに開きつつ、エースを手招きした。

 先に傷病兵を搬送をしているのだろう、廊下の向こうから医療スタッフが「エースさんのことは任せていいですね!?」と声がして、ゾフィは「大丈夫よ!」と叫び返して手を振った。


『痛てて…そりゃそうと』

 レディファーストの逆でゾフィに扉を支えて貰いつつ、腹に刺し傷があるエースは辛そうに廊下に出た。

 紫の警告灯で染まった鉄の格子状の床は氷のように冷えている。

 MMECレールガンで砲戦を始めたときからそれに要す電力の関係で、重要度:低レベル・スリーの設備の暖房は切られて久しいので、廊下はもうマイナス20度を下回っていた。

 人間なら厚着をすれば耐えれる温度だが、寒がりのサウロイドにはかなり厳しい温度だ。


はどうだったんだ?生きてるのか?』

『ああ!アナタより軽傷よ。そうか! まだ見てなかったのね!』

 よほど寒いのだろう、ゾフィは怪我人を差し置いて与圧服のヘルメットを被ってしまった。

 毛布を被って寒さに耐えている、怪我人のエースが不憫である。


『どんなヤツだった?』

『レントゲンすら撮れていないから分からないけど、博士たちによれば哺乳類じゃないかって話だわ』

『哺乳類ぃ?』

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