第257話 レールガン・ウィズ・ノー・マーシー

 学校の体育館ほどのサイズがある月面車整備棟ドックを照らす非常灯が、紫からオレンジに変わった。

 朝焼けのような爽やかなオレンジ色である。


『よし、みんな退くぞ』

じんるいに気づかれないよう退却するんだ』

 紫はサウロイドにとっての赤……つまり闘争心を高める緊急事態の色であったが、一方でオレンジとは彼らにとっての「撤退」を意味する色であった。夜行性だった頃の祖先の血がそうさせるのだろう、彼らは朝焼けオレンジの色を見ると集中力は高まるものの戦う気が失せてしまうようである。


 かくして、装甲機兵サウロイド達はドックから撤退した。


 一方、その撤退する様を見ていなかった陽月隊じんるいは大いに悩む。

 というのも月面車や資材コンテナを盾に射撃戦を続けていた彼らは、急に敵の気配が消えて「糠に釘」状態になって困惑し、その安全地帯ものかげを捨てて出て行っていいものかどうか……仲間の中でもそれぞれ意見が分かれてしまったのである。

 

「続け!」

 隊長のノリスはといえば、彼はを選んだ。

 彼は物陰を捨ててジェレミーが向かったドックの奥、つまりエアロックの方へと走り出したのだ。そして彼は駆けながら時々、振り返って身振り手振りで仲間に「続け!」と命令した。これはもちろん次元跳躍孔ホールのせいで無線が使えないためである。

「続け!ほら、どうした?ついて来い!」

 その様はまるでサザエさんのエンディングか、若手劇団員が上滑りして演じるレ・ミゼラブルの中の市民兵のような「みんな続け!」の芝居で、あまりの滑稽さに各小隊は虚をとられてしまった。


「隊長はどうしたんだ…?」

「来いというのか?」

「どうするよ…?」

「いや、待機だ…」

「敵がいなくなった保証があるかよ」


 さすがに結束の固い揚月隊でも、すぐに追従する者もいれば、様子見を決め込む者もあった。それぐらいノリスの判断は一か八のものだったのだ。

 こうして4小隊12人(本来なら4小隊なら16人だが4人死んでいる)がノリスの後に続き、慎重な性格の7名がまだそれぞれの盾(月面車や資材コンテナ)に身を潜めている状況に分かれた、そのときであった――


 ボフゥ!!


 ドックの奥の方から、人類にとってはが立ち上った。これは、ジェレミーとマニーが手榴弾でエアロックの頑丈な扉ををぶち抜いてくれた爆煙に違いない。

「おお!」

「やってくれたか!」

 サイコパスでもないのに、よもや火薬の煙にホッとさせられる日が来るとは思わなかっただろう。エアロックのがオレンジ色に照らされたドックの天井付近を高々と舞って、祝福の花火の代わりに彼らを笑顔にさせた。


 おそらくはジェレミーの合体手榴弾で蝶番ちょうつがいを傷つけらたその扉は、扉の内側(エアロックという1気圧の小部屋の中)の気圧と扉の外側の気圧の差に耐えきれず、ドック側に押し出されるようにブッ飛んだのだろう。なにせドックのゲートは月面に開け放たれているので、ドック内の気圧は今やゼロなのだ。


「おお!」

「ナイス、ジェレミー!」

「ははは、いいぞ!」

 揚月隊ひとびとの顔には、月面軌道のアルテミス級から出撃してから3時間ぶりの笑顔が灯る。


 片道切符の月面着陸に始まって、ムーンリバー渓谷の前人未踏のトレッキング、谷底で機械恐竜に襲われ、平原でレールガンに撃たれ、月面基地に乗り込んで今がある。

 安堵などする暇はなかったに等しい。それに多くの仲間を失った…。

 しかし今、敵は撤退したように見える――隊長のノリスの示したように。


「よく分からんが、勝ったようだな」

「ああ、粘り勝ちだな。ノリスの言う通り敵は逃げ出したようだ」

 ノリスの指示を断って、待機を決めていた7人も考えを改めてそれぞれ物陰から立ち上がった。

「よし、やはり俺達も合流しよう」


 何人かはいったん、例の超高カロリードリンク(腕のコンソールを操作すると、ヘルメット内でストローがせり出す仕組みのアレだ)を口に含み、何人かは"散っていった仲間”を思って物憂げに背後の荒涼とした月面を見やった。

 靜の海の灰色の山脈の上には宇宙との境界線を持たない黒い空が乗っかり、くっきり二色に分かれた異様な地平線を作り上げている。

 壮麗で美しいものの、冷淡で素っ気ない風景だ。


「ああ戦友ともよ。安らかに眠ってくれ。 ん……!?」


――キラッ…!!!


 月面を眺めていた彼はそのとき、遙か遠方にが輝いたのを見たのである…!

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