第238話 竜の歩兵長(前編)
『……仕方ない』
医務・研究室では
とはいえ月面基地にはMRI(サウロイド世界はコンピュータは苦手だが、電磁気学が発展しているのでCTよりMRIがお好きである)などのしかるべき設備が無く、また現状では唯一の貴重な検体であったので科学者たちが喉から手が出るほどにしたがった解剖は否決され、いったんは採体液まで行うことなった。
『仕方ない。では解剖はサンプルがもう一体、捕獲できてからとして…。司軍法官。採体液までなら拒否権は発動しまいな?』
『はぁい、どうぞ』
ガラスの向こうの観察室からの指示に対し、対ウィルス用防護服の代わりに月面服に身を包んだゾフィは手を振って応えた。そして同じく月面服に身を包んだラプトリアンの科学者は注射器を右手に構え、左手ではベッドに縛り付けられている
『血管がどこにあるか分からないから、痛いでしょうがね…』
『せめて手袋を外したら?』
『ダメですよ!この両生類のような湿っぽい肌を見てください。どんなバイ菌が寄生しているか分からない!』
『はいはい、じゃ一息にプスッとやっちゃいましょう』
一方、そんな状況を悟ったネッゲル青年は、もう暴れるのが危険だと知って敢えて右向きになって左の首筋を差し出して体を硬直させた。
「くっ……刺すならここだ。内顎静脈をつかえ。バカどもが」
もちろんサピエンスの声はサウロイドには通じない。しかしそのジェスチャーは二人に伝わった。
『あら?ここを刺せって言っているみたいよ?』
『そうですね。じゃあこの辺りを適当に……』
「おお、神よ……」
また何かを唸ったのを聞いたゾフィは
「……な…!?」
それが、双方の言葉が伝わらない中で最も優しい「頑張ってね」の言葉となったのを、ネッゲル青年の表情は如実に示していた。
――――――
これがネッゲル青年とゾフィの出会いであった。
当初ゾフィは「この戦いは終わらないだろう。なぜなら機械恐竜が敵を
いくら遠縁だろうが目の前で生きている姿を見てしまったら、もう、共感と感情移入を止める事はできなかったのだ。たとえば我々が類人猿からは遙かに遠いマンタの漁の映像を笑顔では見られないようにである。
ともかく――。
この出会いは、今日、月面基地で起きた唯一の幸福な出来事であった。
そう言い切れるのは
では、血なまぐさい「会敵」と呼ぶ出会いの方の描写に移ろう――。
――――――
―――――
同時刻。
ラプトルソルジャーの歩兵長であるエラキは、勝手知ったる自分達の基地の中であるという地の利を活かして、鬼神のごとき活躍を見せていた。
基地内に侵入してきた揚月隊に対し、天井から、廊下の曲がり角から、床下から飛び出しては奇襲して、面倒な
まさにこの瞬間も、一人を仕留めたところであった。
エラキは廊下に隣接する点検口に潜んで2名の揚月隊が行き過ぎるのを待った後、そっと這い出るとその無防備な背中にフレアボールを喰らわせたのだ!
一人目は瞬殺である。
しかし威力は抜群だが、フレアボールは連射が効かない!
だから彼は間髪おかず突進するや、気付いたもう一人が振り向いて面倒な
『クェェッ!』
ラプトリアンの覇気は鳥の鳴き声のようである!
なお、動きを分かり易く示すため「踵落とし」と表現したが、実際には「引き倒した」というに近い。彼らの足の関節は逆だからだ。そしてその足指は器用であり、爪はバナナのように巨大で鋭い。鷲の足を100倍にしたような代物である。
つまりその奇襲を正確に言うと、エラキは走り幅跳びか、猛禽類が地上のウサギを狙うように、両足を前方に構えながら揚月隊員の無防備な背中に跳びかかると、4本の足の指で彼の肩を文字通りに‟鷲づかみ”にして後ろに引き倒したのだ。
バナナのような巨爪は、類人猿の自慢の板状で立派な肩甲骨にぶつかって一瞬の抵抗を受けつつもそれを貫き、鎖骨をちょうどいい
ドーン!
その揚月隊員は後頭部から思い切り床に叩きつけられた。
肩を鷲掴みにされた腕は辛うじて千切れてはいないし、痛みは
しまった――その揚月隊員は思った。
思ったが、まだ勝機と正気を失っていなかった彼は、すぐさま仰向けになった体をゴロンと翻し、匍匐前進の姿勢でライフルに手を伸ばそうとした!
ああ、こちらも何という猛者だろう!
恐竜人間の月面基地に侵入して、隣を歩ていた戦友が一瞬で蒸発し、自分もまた地面に引き倒されたのに、まだ
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