第237話 食肉加工場へ運ばれる牛にかけるべき言葉

『さぁ、司軍法官。解剖台ベッドから離れてください』

『ああ、ごめんなさい』

 ゾフィとラプトリアンの科学者はネッゲル青年ホモサピエンスを縛り付けている解剖台から一歩下がって、天井に備え付けらえた鏡と仰向けのネッゲル青年が正対できるようにした。こうすることで、ガラスで隔てられた隣の観察室の他の科学者達が鏡を通してネッゲル青年の全身の姿を見えるというわけだ。


 しかし鏡というのはである。つまり――

「やはりこいつらは…!?」

 ネッゲル青年から見ると、鏡には隣の部屋の様子が克明に映し出されていたという事だ!


「まさか信じられない!こいつらは鳥……?いや」

 ネッゲル青年はここで初めて敵の姿を正視する。

 ヘルメットを外された瞬間、確かにゾフィの顔もまじまじと見たが、そのときは彼女はヘルメットをしていた。つまり、目と目は互いが宿した光を交換するほどに通い合ったが、それでも顔全体の輪郭はわからず彼の最初の印象は「巨大なフクロウのような生物」というものであった。

 しかし今は違う。

 隣の観察室はガラスで隔てられておりウィルスの心配がないために、サウロイドやラプトリアンは月面服こそ着ているがヘルメットをしていなったのだ。


 天井の鏡越しに隣の部屋を見たネッゲル青年は絶句した。

「こいつらは鳥……?いや恐竜だ!!」

 ネッゲル青年はここで全てを悟る。

 隣の部屋の研究者達の中にラプトリアンがいた事がヒントになった。

 そうだ。ラプトリアンの立派な尻尾は、7000万年の時を超えて受け継がれた、我々が知る恐竜(ラプトル)の尻尾のそれであったのである!

「ヤツらは鳥なんかじゃない。紛れもなく恐竜だ…!」

 言葉が伝わらないから安心してなのか、それとも激しい動揺で声が漏れてしまっているのか分からないが、ネッゲル青年は呆然と喋り続けた。

 語順が乱れて読みにくいが、そのままの彼の言葉を記そう。

「いや違う。羽毛恐竜なんだ。羽毛を持っていたんだよ、恐竜は。最新の研究通りだ。白亜紀の恐竜は羽毛を持っていて…そんな羽毛恐竜が進化した後で、むしろ羽毛を失ったんだ。我々と同じように。見ろ、我々の髪のようだ。羽毛は少ししか残っていない」

 月面の敵基地の捕虜となり、ベッドに縛り付けられ、恐竜人間に囲まれて……周りには注射器や医療用ノコギリが置かれている状態では、さすがのネッゲル青年も動転しているようだ。

「ああ…なんということだ。しかし分からない。白亜紀末に進化した恐竜が隕石から逃れて月面に逃げ延びていたというのか…」



 一方で、有利な立場にあるサウロイド達の動揺は科学的で冷静なものである。ワァワァと議論に花が咲いた。特にラプトリアンなどは興奮している時は尻尾がまるで犬のように喜び(知的好奇心)を表わしていた。

『いやぁ、謎の生物ですね!』

『ああ、オスかメスかもわからん』

『私の見立てでは、カモノハシの仲間だと思うね』

『有袋類か?』

『骨格が知りたい。本国に持ち帰ってレントゲンだ』

『骨などあるのか?』

『地球生物なのは間違いない。そりゃあるさ』

『いや、まずは歯の確認だ』

『違う、血液だろう』

『バカ言うな、手袋だ。手の構造を見たい。手袋を外させろ』

『違う違う、注目すべきは科学力だよ。ヘルメットを分析するんだ』


 ゾフィとラプトリアンの科学者(彼が一番若く下っ端なのだろう)は、そんな先輩達の視野狭窄的に白熱する議論に、やれやれと肩をすくめた。知的生物には必ず子供期があり、子供期には夢中になれる力が宿る。科学者というのは往々にしてその力を残したまま大人になった人の事をいうのだろう。

『もしもーし。夢中になるのは大変良いんですけど』

 この施設で一番年下のゾフィが「ごはんよー」というお母さんのように優しく水を差した。

『どうします、?』

『ゴ、ゴホン』

 科学者達は赤面して、大人に戻った。そしてそのうちの一人がマイクに近づき返答する。

『そ、それをいま議論しているところだよ。君は司軍法官なのだから関係なかろう』

『まぁ、そうなんですが』

『戦闘が始まっていると言いたいんだろ?急いで結論するよ。待ちたまえ』

『そうではなくて「処遇」です』

『処遇?』

『何をしても良いですが、死んでしまうような事は止めてください。適当な軍法を引っ張り出してでも司軍法官として拒否権を発動しますよ』

『……!?』

 これにはで皆ギョッとなった。

 というのも科学者は皆、まさに科学的な知見から最初から「この設備が足りない月面の研究室で解剖すべきではない」と思っていたから「司軍法官に解剖を禁じられてしまった!」という落胆はなかった。驚きはそこではなくて、彼女の真っ向から被検体を庇うような物言いに対してこそ、皆ギョッとなってしまったのである。

『ゾフィさん!?』

『理屈より心に従え…よ。可哀そうだと私の霊魂ゴーストがささやくのよ』

 気付けば彼女は怯えるネッゲル青年の肩に手をおいている。

 きっと彼女自身、無意識の内に恐怖心を緩和してやろうと肩を摩っていたのだ。食肉加工場へ向かうトラックの中で震える豚か肉牛を前にしたとき、我々が耐えかねてその頭を撫でてやらずにはいられないようにだ。理屈では「毎日、肉を食っているくせに」と分かっているが、その自らの理屈が「嘘でも安心させてやりたい」という自らの心を偽善だと断罪する理由も無いだろう……というのがゾフィの考えだ。


『…司軍法官らしくないな』

 科学者は清々しく苦笑した。このサウロイドも尊大な態度をとっているが、内実は前述の通り子供を残した性格なのだろう。完全な計算高な大人というのは保守的な大企業の歯車に進んでなりがたる人や、別の確率次元うちゅうの月面基地に来たがらない人を指すのだ。

『てへ!よく言われます』

『まったく、ペットにはならんぞ』

 さらに別の科学者もマイクの前に進み出て半分ジョークの嫌味を加えたが、ゾフィは肩をすくめるばかりである。

『えー?残念です!』

『……やれやれ仕方ない。では採血までなら拒否権は発動しまいな?司軍法官?』

『はい、どうぞ』

『さっそく摂りたい、やってくれシナ君。ちょうどいいゾフィさんも手伝ってくれたまえ』

 隣の部屋からの指示にゾフィとラプトリアンの科学者は頷くと観察室とのガラス越しの会話はいったん終わり、二人は視線をベッドのネッゲル青年に戻した。

 相変わらず(やめろ!放せ!などをサピエンスの言葉で言っている)暴れているその生物を見ると、巨大なプラモデルの箱を前にしたような楽しくもあり、憂鬱でもあり……そんな気分が「シナ君」呼ばれたラプトリアンの若い科学者にのし掛かり彼は溜息を吐いた。

『ハァ……じゃあ、やりますか』

『そうね…。では、先生どうぞ』

 ゾフィは冗談交じりに歯科助手を演じて、医療器具が並べられたトレーをシナ君ことラプトリアンの科学者に差し出した。

『血管がどこにあるか分からないから、痛いでしょうがね…』

 彼はトレーから中程度の太さの注射器を選びながら、ちょっと苦笑する。

『ま、それぐらいは我慢してもらいましょう。には』

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