第236話 Sleeping Bea...st(後編)
いよいよ、対面のときが来た――!
サウロイドに捕獲された最初のホモ・サピエンスであるネッゲル青年……そんな彼の素顔を隠し続けたヘルメット(※)が、いま外されたのだ。
※アポロの時代から変わらず月面服のヘルメットには放射線や紫外線を遮断するため金でミラーコーティングされたバイザーがついているため、外からヘルメットの中の顔を見る事はできなかったのである。そしてそれは逆も同じだった。というのもバイザーは月面の戦闘により「よく割れなかったな」というほどヒビだらけで、逆にネッゲル青年側も視界が歪んで外の様子が分からない状態が続いていたのだ。
――――
そしていよいよ…ミイラの黄金マスクを外すかのように恭しくヘルメットを外したゾフィは
『――!!』
あまりの驚きでそのままヘルメットを床に落としてしまった。
しかしその驚きはお互い様だ。
「――!!」
ネッゲル青年も仰向けの自分の顔を覗き込む、巨大なフクロウかキツネザルのような生物に言葉を失ってしまった。
まるで「眠れる森の美女」を逆転させたような位置関係で、ゾフィとネッゲル青年の視線は宿命的に交わった。
それは「遭遇」などではなく、おとぎ話の出会いのシーンのように観念的で純度の高い「邂逅」であったように思う。月のゆったりとした重力に引かれてヘルメットは床にゴトンと落ちても、一人と一匹は見つめ合った。もっとも、どっちを一匹と数えるかは立場によって違うだろうが…。
お互いが言葉を失い息を呑む…そんな時間が永遠と流れた。
慣用句で「息を呑む」と表現しているが、これはネッゲル青年がした事であり、サウロイドのゾフィは逆に息を吐いている。サウロイドとラプトリアンは、むしろ息を吐くシークエンスでこそ酸素がより脳に供給される肺の構造をしているためである。
そしてその長い長い凝視が続いたあと……
『あはっ!』
なんと、ゾフィは吹き出した。
まだ固唾を呑んで硬直している研究員と当事者のネッゲル青年を差し置いて、彼女は屈託無く笑い出したのだった。
『はははは!』
「…な!なんだ、なんなんだ?」
ネッゲル青年は目を白黒させているが、それは隣の研究員も同じだった。
『な、なんです!?』
『だって、見てよ。くくく…あははは!』
ゾフィはまたさらにトーンを上げて爆笑した。
自分が笑ったことに驚いているホモサピエンスの表情が、さらに彼女にとっては滑稽だったのだ。実は、この感情は否応のない遺伝子の反応だった。理性ではどうにもならない、彼女の遺伝子が人間の容姿を「かわいい」と訴えていたのである。我々が遺伝子的には遠い、たとえばペンギンを可愛いと思うようにだ。
『ははは、あははは』
まず第一に、体格である。
ネッゲル青年は身長188cmで体重は110kgを超えていて、人間でいえばヘビー級の体躯を誇るがサウロイド世界ではかなり小柄だった。ラプトリアンなどと比べたら体重は半分以下である。
その安心感がまず笑いに繋がった。
我々にたとえるなら、身長120cmのグレイ型宇宙人を捕まえて持ち前の科学力を行使できない状態に追い込んだような状況だ。安心感は「侮り」となり、「滑稽さ」になり、やがて「可愛い」という感情になるかもしれない。
そして、次にホモサピエンスの見た目だ。
単純にホモサピエンスの見た目が、彼らの赤ちゃんに似ているのである。
サウロイドやラプトリアンの赤ちゃんがどんな見た目なのかと言うと、それには鳥の雛を想像して頂くのが早いだろう。ピンク色の肌が剥き出しになっていて、羽毛ではなく哺乳類のような”ポヤポヤの毛”が頭部に乗っかっているだけだ。――そう。まさに、ホモサピエンスはこれにそっくりなのである。
『緊張させてなんなのよ、もー!』
ゾフィはネッゲル青年の頬を、ツンツンと指でつついた。
「やめろ、くっ……」
『あはは!』
未知のウィルスや細菌の危険があるため彼女は防護服の代わりに月面服を着ているので、手袋越しでは触感が伝わりづらいのは残念である。哺乳類の最大の特徴の一つである柔らかな頬(母乳を飲むためだ)に触れたのなら、彼女はもっとホモサピエンスに魅了(メロメロに)された事だろう。
他方。
『これで…よし!』
ラプトリアンの研究員の方も、ようやく驚きが収まって通常営業に戻った。
可愛いかどうかは置いておいて、ともかく大した事がない相手だと安堵した彼は、外してあった検体の腕の拘束を締め直して一息を吐くとともに、ゾフィにベッドから離れるように促した。
『さぁ司軍法官?』
『へ?』
『戯れは終わりです』
『ああ、ごめんなさい』
『ほかの人に見せてあげないと』
『そうね』
ゾフィはネッゲル青年をつつくのを止め、一歩下がることで天井に据え付けられた鏡の道を開いた。
そしてその45度の傾斜をつけて天井に備え付けられた鏡が、解剖台で仰向けに縛り付けられているネッゲル青年の全身を、ガラスで隔てられた隣の部屋の科学者たちに向けて映し出すや否や
『お、おお……!!』
さながら動物園のパンダの展示の前にできた黒山の人だかりのように、ガラス越しでも分かるほどの感嘆が響いた。
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