第235話 Sleeping Bea...st(前編)
ラプトリアンの研究員は、
なお、部屋はまだ与圧されているのにホスト側のサウロイド達も月面服を着ているのはウィルスや細菌を恐れての事だ。映画「インデペンデンスデイ」の中でウィル・スミスが宇宙人を殴って撃退するシーンがあるが、彼が本当に危惧すべきは未知のウィルスの方であろう。…ツッコむのも野暮だが。
「やめろ、そうじゃない…!」
ヘルメットを無理やり引っ張られたネッゲル青年は苦しそうに訴えるが、その声はサウロイド達にすれば犬が唸っているようにしか聞こえない。
『うるさいヤツだなぁ!』
ガチャガチャ!
と。その様子を一歩退いて見ていたゾフィは、その知的生物の気味の悪い5本指が何か図形を作っている事に気付いた。
『……あら?彼は何かを言いたいようよ』
『え?』
研究員もそれに気付いた。確かに指でOKサインのような輪っかを作っている。
『両手の拘束を外してあげたらどう?』
『まさか?』
『だって、腰も首も繋がっているでしょう』
『だめですよ。コイツらの腕力はきっと相当です』
『じゃあ、手首だけ。肘から上は繋いだままでいいわ』
研究員はひとしきり迷ったものの、その気味の悪い5本指が何かを伝えたがっている事も確かだし、このままでは
『仕方ない…離れてください』
彼は意を決すと、盗塁ランナーのように後方に重心を掛けながらその知的生物の手首の拘束を解いた。
これでその知的生物…もとい「ネッゲル青年」の腕は最低限の可動域を得た。
肘から下が自由になり、埋葬される死者のようにヘソの上で両手の指を組めるようになったのだ。
「ようやくか…」
ネッゲル青年は辟易として言った。
「愚か者めが。いいかヘルメットは引っ張るんじゃ無い。こうやって回すんだ」
もちろんこれはラプトリアンの研究員にも、サウロイドのゾフィにも伝わらない。
『また何か唸っていますよ…』
『黙って。ほらあの指を見て』
「こうだ。接合リングをこう回せ」
ネッゲル青年はOKのサインを両手で作りながら、それを捻るようなジェスチャーをした。それがヘルメットの外し方であることをゾフィは鋭敏に察知した。人間からしたら当たり前のように思うが、人種どころか生物種が違うので仕方ない。サウロイドの腕の骨格構造は犬の前足のように捩じる動きが苦手なので、彼らの文化の中ではネジからボトルからスクリューキャップというものが存在しないのだ。
『なるほど…。わかったわ。回すのよ。私がヘルメットを外す』
『え?』
『アナタは彼の手首を抑えていて』
『仕方ない…。しかし「彼」と言うのはやめてください。代名詞が必要なら「アレ」です』
『あーはいはい』
今度はゾフィが歯科医のようにネッゲル青年の頭側に立ち、研究員のラプトリアンが助手のようにネッゲル青年の手首を掴んだ。ジェスチャーのヒントが必要なので、掴んでいるだけで力を入れずに自由にさせているが、なにか暴力に訴えようならばギュッと押さえつけようという構えである。
『こう…?』
「そうだ…。そして、そこで押し込む」
『こう?』
「違う。違う!」
『こう?』
「そうだ…そう!」
ゾフィがネッゲル青年のヘルメットを回すと、それに合わせてネッゲル青年は指でそれの模式図を示して動かすべき方向を指示した。互いの言葉はもちろん分からないが、声のトーンでYES/NOは何となく伝わるから面白い。
『あぁ、ここの突起を押し込むのね』
「いいぞ、そのまま押し込みながら逆に回せ」
そうやって奇妙な5本指のフィンガーサインを参考に、ゾフィが1分ほど悪戦苦闘したところ、遂に――
ガチャ!
不自然なほど大きな音がして、
『あは…外れちゃった…!』
ゾフィは笑ったが、隣のラプトリアンは違った。
『えい!』
次の瞬間、彼はハッと息を呑むと同時に「もうフィンガーサインは不要だな!」と乱暴な看守のように、力いっぱいにネッゲル青年の手首をベッドに押さえつけにかかった。いやそれだけでない。ラプトリアンの4本の指のうち、押さえつけるのに用いるのは3本で、残りの1本はその鋭い爪をネッゲル青年の手首に突き立てていたのだ。
「
すでに死を覚悟していたネッゲル青年も、突然の暴力に反射的にたじろいだ。
『わかるな!?動くなよ!』
文官とはいえ、オスのラプトリアンは体重300kgの巨漢である。
握力こそ猿から進化した我々の相手ではないが、その体重で押さえつけれたらひとたまりもない。
「くぅ……何がしたいんだ、こいつらは。どうせ殺すなら先にやれ」
『まだ吠える!』
『ちょ!慌てないで。大丈夫そうよ』
相手への恐怖心が暴力にすり替わる事があるのだ。
今まさに人類がサウロイドのこの月面基地を謂われなく攻撃している事の縮図のように、そのラプトリアンは突き立てた爪がネッゲル青年の皮膚を破り血を滲ませているのも構わずに腕を押さえつけた。
『僕が押さえていますから、さぁ』
『…ああ、はいはい』
ゾフィはその無様な暴力に軽く溜息をついたがもう諦めて何も言わず、ただヘルメットの方に集中した。そして彼女は月の重力でも分かる重いヘルメットをミイラの黄金マスクにするかのように慎重に、
―――!!
その衝撃たるや、お互い様である。
まるで「眠れる森の美女」を逆転させたような位置関係で、ゾフィとネッゲル青年の視線は‟宿命的”に交わった。
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