第206話 痛快なる殺意
司令官というのは、戦いの火蓋が落ちる直前に呆然とするほど暇になってしまう。
人事を尽くした後でただ天命を待つ間の司令官はまるで、楽しみにしていた約束をドタキャンされて老人しかいないドトールで呆然と座っている土曜の朝に似ている。
だからレオは、戦いが迫っている月面基地の司令官だというのに中等傷用の大部屋で友人のベッドの隣に座っては、ボォっと解決の見えない心配事を益体もなく繰り返していた。
――こっちの地球の敵は、いったい何をしてくる…?
彼は、薬で眠らされている負傷者の背中をボンヤリと見つめながら一頻り無言になって、そんな事を考えていた。――と。
『ところで、ヤツはどんな面だった?』
隣のベッドに横たわって一緒に沈黙を
『ヤツの正体は分かったか?……いや、生きているのか?』
エースはギリギリの戦いを演じた宿敵に特別な感情を抱き、それが言葉尻からも溢れ出していた。
『…?ああ。』レオは一瞬だけ怪訝そうに、しかしすぐに相手の機微を察して微笑んだ。『そうです。そのようです』
『治療中か?…解剖か?』
『それはフォル博士に一任しています。しかしまずは治療でしょう。同じ検体なら生きている方が価値がある』
『そりゃあ、そうか』
エースは少し胸を撫でおろす。
『立ち会いたかったです?つまり、ヘルメットを外すその瞬間に』
エースのホッとした様子を見たレオは、我々が冗談を言って相手のツッコミを待つときのように、笑いかけた。サウロイドもこういう表情をするから面白い。知的生物共通の言語は「数学」と「笑い」なのかもしれない。
『まぁ…。ある意味では歴史的瞬間だからな。まさに未知との遭遇』
『しかし』と微笑みつつ前置きして、レオは話題を変えた。『差し迫っている戦闘には、生物医学はあまり役に立たない。彼らの容姿などは、もっと無意味です。目下、情報として必要なのは彼らの着ている服と、そしてお前…いや大尉が一緒に持ち帰ってくれた武器の性能です』
エースは意識不明のネッゲル青年の体だけでなく、彼が使っていたライフルも回収していた。ライフルはサウロイド達にとって未知の兵器だったので、その連射力や破壊力の調査は「防壁にはどのぐらい強度が必要か」といった迎撃策の
『嫌な武器だ、あれは。基地に入られたら押し込まれるぞ』
人類側のライフル(月面用ライフルは特に)はサウロイドからすれば低威力で、‟殺す”よりは‟傷つける”ことを目的とした非人道的な武器に見えたようだ。すぐに殺さず怪我を負わせて、それを庇おうとする仲間をさらに攻撃する ――それは彼らの世界で最も忌み嫌われている野生生物スキュラスクスが行う狩りの方法であったのだ。
『分かっていますよ』
レオは早口でそう応じると、何かを決したようにスクッと立ち上がった。その場を辞すつもりのようだ。
『おい、本当に見舞いだけだったのか?』それを見たエースは驚いた。『なんか秘密の話があるんじゃないのか?』
『いえ、本当にただの
『レオ。お前は…』
『余りに多くの人が殺された。第二郭のMMECの砲兵は全員……』レオは意味も無く首を縦に、頷くように僅かに振りながら言う。『だから、エース。私は今、少し高揚している。良くないと分かっていても邪悪な勇気が湧き上がっている。私は、彼らの姿形のままで我々の目の前に現れて、それを叩ける事に歓びを感じてさえいるんだよ』
姿が見えない遠隔地で敵が死んでも意味が無い。戦艦を撃破しても気が晴れない。頭では敵を倒したと理解しても、生きとし生ける姿を目で見てそれを殺さなければ心が認知できないのだ。
『そうか…まぁ』
すでに敵に出会ったエースはレオより一歩進んでいて、敵への憐憫(シンパシー)至っていたからレオが思う痛快な殺意は嘘で、胸がスカッとする殺人行為などには至れないと分かっていたが
『まぁ存分にやれや』
彼は言葉が無力だと悟ったので、何も言わず親友の背中を押した。
今は、言葉は無意味だ。
『ああ、そうする』レオはですます調を捨てて言う。『煙幕か閃光か、きっと何らかの目くらましでジョージ平原を突破する気だろう。しかしそうはならない。MMECの弾倉は――』
そのときだ。
『敵歩兵部隊、捕捉!』
基地内のスピーカーがけたたましく鳴ったのである。
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