第196話 Kamikaze

 宇宙艦隊は現在、極めて低軌道を周回しているため月の重力との綱引きで少しずつ燃料を消費し続けなくてはならなかったが、その労力に対するささやかな見返りとして窓からは月の地表が良く鑑賞できた。

 低空な上に、大気が無いから非常にクリアに見えるのだ。


 そんな窓に月の最高峰である標高2400mのピコ山が覗いたとき、ボーマン司令が言った。

「私はこの瞬間まで異星人説を否定していた…!」

 声は大きくないがその語調は、天災に対して「おぉ神よ…!」と怒りを混ぜて嘆くようなものであった。

「しかし見たまえ!これは。紛れもなく確実に」

 ボーマンが指しているのは、艦橋ブリッジの大画面に映し出されているの事である。映像は揚月隊から送られてきたもので、彼らはこの恐竜の形をしたロボットに襲われたというのだ。

「ですが司令…。不思議なことはそこではありません」アニィは首を振った。トランスフォーマーに出て来るような機械恐竜が不思議なのではない、とボーマンに反論したのだ。

「不思議なのは‟大した事がない”という点です。が」

「ああ、そうだな」真之は頷く。「レールガンで予想されていたことだが、これでハッキリした」

 その通りである。もし異星人だというなら、この太陽系には生物がいない事が確定している時点で恒星間を移動してこなければいけない。

 しかし恒星間を移動するのは、数多のアニメで描かれているように簡単な事では無い。恒星間を移動してきたという時点で人類とは比にならない科学技術を有しているはずだ。アーサーCクラークの言葉を借りれば、その科学技術は人間から見れば「魔法」にしか見えないレベルだろう。しかし、この機械恐竜は――

「こんな機械恐竜ローバーは、別に我々でも作れる。デザインはハスブロ社にでもやせりゃいい」

「ええ、ショボすぎるのよ。月に突如現れた謎の知的生物としては」

「いや、わかっているよ」

 ボーマンはほんの少しだけ憤慨して、親子ほど年の離れた艦長と副艦長に言い返した。宇宙戦艦(実質は宇宙船だが)の操艦は全く新しい軍事技術ジャンルだったので年の功は成立せず、クルーはみな押し並べて若いのである。責任者の司令官、副司令官だけが頭一つ抜けて歳を召していた。

「わかっている」そんなボーマンは自分の言葉を繰り返した。「ともかく分からん事だらけだ」


 人類はこの時点で次元跳躍孔ホールの存在を知らないため類推はどつぼにハマってしかるべき状況にあったが、同時に今ある情報ではピースが足りないのを人類は気付いていたのだ。惑星の運動がアリストテレスの言う「真円」だけ説明ができない事から「別の法則ピースが必ずあるはずだ」と逆説的に惑星運動を探究したケプラーのように…。 


「分からん事だらけだからこそ、我々はここにいる」

「そうですね、司令」真之も続いた。「揚月隊には申し訳ないが…。彼らに決死の覚悟があって、語弊を恐れずにいえばそれが無理強いでないとするならば、彼らの発起するところの敵基地への揚陸突撃というのは、何とかお願いしたいところです」

 つまりは死んで敵の正体を探れというのである。殺されたのなら、殺され方で敵の戦力も分かるだろう――!

 真之はさすがに、日本人らしいをとった。これができるのが日本人である。「突撃というのは、お願いしたいところだ」という動詞を使わない文章が艦橋ブリッジにいる欧米人達を不快にさせたのは間違いないが、インド人のアニィは別の意味で不愉快な気分になっていた。

「ええ、それが答えね。私達の」

 彼女はいま、ネッゲル青年が死んだかもしれないという動揺の中にいたのである。「誰かが死ぬのは当たり前だ、四番艦エーツーだって沈んだのだ。これはなから決死作戦だったし、自分もそれを了承していた」と頭で理解しているつもりの彼女にとって、まったく予期しない動揺だったため、このイライラが何に起因するか気付いていないのであろう。だが心では数時間前まで一緒にいた青年が、生命力を放射しているような活き活きとした青年が、いまや真空の月の大地で有機物の固まりに成り果てている図を想像しては、なんというだろうか、生命というものの奇妙さに足下が揺らぐような目眩を感じていた。

「私達の答え。私たちは陽月隊かれらのkamikazeを期待している」

「アヌシュカ…」彼女の内心を知らない真之は単に辟易して、迷惑そうに溜息を吐いた。

「言い方があるだろう?」

「でも、そうでしょう?」

「アニィ」

「いや、そうだ」と即答したのはボーマンである。「彼らには命を賭しててでもミッションを遂行してもらう。だがそれはだ」

 私達も同じ――とボーマンが言ったのにはワケがある。

「SAL、針路計算は?」

「無論です。0.04秒で計算が終わっています」

 操艦をサポートするスーパーコンピュータのSALが答えた。

「これより5分以内に針路変更の指示を頂ければ、ノリス少佐の求め通り、約30分で月を周回して一秒のズレもなく21:33(フタヒトサンサン)にジョージ平原の上空を通過する事が可能です」

「敵基地の上空に!?艦体を晒すのですか?」

「そうだ」

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