第193話 安く言えば、戦いでしか結ばれない友情

 決着が、ついた。

 猿人間サピエンス鳥人間サウロイドの間で行われた、戦闘と呼ぶにはあまりに虚しい殺し合いの決着がついたのだ。


 月面の、あまりに余所余所しい灰色の大地に突っ伏せて転がる敵の背に哀れみの視線を向けてエースは呟いた。

『嫌な…感触だ』

 あのハイキックのとき…自分が履く宇宙ブーツと相手が被るヘルメットを貫通して、彼の足の甲は相手の肉と骨格を感じたからだ。相手の首(頸椎)が外れるようなグニッという触感は言い様の無いものである。

 砂浜に打ち上げられた死体も哀れだが、月の大地に転がる死体はもっと悲しい。南極で凍死した冒険家の傍らにはペンギンが、砂漠で干からびた死体の傍らにだって風が、地球ならそうやって何か息吹のようなものが寄りそってやれるはずなのに。


『お前はよく戦ったよ』

 エースはうつ伏せの死体の背中に呟くと、耳に手を当てて通信を再開した。

『司令部。最後の一人も始末し…』

 そうエースが言いかけると、かぶせるように副司令が怒鳴った。

『作戦中に回線を切るんじゃない!』

 これにはエースも憤慨した。いや悲憤だ、なぜか悲しくなったのだ。

『あ、はい』得意の軽口で言い返す気も起きなかった。

『……ともかく、早く戻れ』その雰囲気を察知してか、副司令はそれ以上の難詰はせず、むしろ思慮の言葉をかけた。『酸素が危ういのだ。大尉』

『はい…』

『しかし死体は持ち帰ってください』レオは友人の憂鬱を察し、あえて気づかないフリをして毅然と言った。『無菌室をスタンバっています』

『ああ』

『あと、大尉』今度は技師がマイクを代わったようだ。『テクノレックスは全滅した模様。全ての信号断絶』

『そうか。いい奇襲をさせてやれなかったからな。特にクリムゾンは…』

 エースは男の子の性なのか、マシンへの愛着を言葉の端に見せた。

『しかし…敵の損害を見に行く余裕は無ぇぞ?レオ』

『はい、構いません』

『承知。では戻る』他人と話す事で気分は快方するものだ。エースは少し多弁に戻っている。『幸い五体満足の死体が手に入った。首は折れてるだろうがな』

『それはいい。内臓への損傷が無いなら、検体としては最高です』

 レオも微笑した。

『ああ。しかし良くやった相手なんだ』エースは傍らに転がっているネッゲル青年の死体に歩み寄った。『丁重にもてなしてやってくれ』

『……?』

『宇宙で戦う恐怖をお前らはわからないだろう?』

『……』

 司令室の誰も即座に相槌する事はできなかった。

 美談ではなく、WW1までの戦争では同じ恐怖を共有したとして相手にシンパシーを感じるというのはあったそうだ。闘いでしか結ばれない絆…などというと稚拙極まりないが、事実、それがいま2034年の月面で人とサウロイドの間で生じたのである。

 少しの間があって司令室の代弁者としてゾフィが相槌した。

『わかったわ。アナタも私もと最初は思っていたけど、そうじゃないのね?』

『そうじゃない』

『そうじゃない…か。顔を見るのが楽しみだわ』

『…ああ』

 エースは含みのある頷きを返すと、ネッゲル青年の片足を掴み引きずりながら基地への帰路についた。肩も腹もひどく痛み、悪いとは思うが担ぐことはできなかったのだ。

 

 まっさらな月の大地にネッゲル青年の体を引きづったラインが伸びていく…。ナスカの地上絵のように、風化浸食のない月ではそのラインは未来永劫残ることだろう。


 ――――――

 ―――――

 ――――


 月軌道を回る宇宙艦隊が、このムーンリバー渓谷の闘いについてを知るには30分後のことだった。

 ミサイルを使い切った宇宙艦隊はサウロイドの基地に残されているだろうレールガンを恐れ、その空域(星の規模でいえばムーンリバー渓谷の上空と言い換えてよい)を通過しないような軌道を描いているため、ムーンリバー渓谷の底を陽月隊と通信を密にする事は、ほとんどできなかったのである。回線が開くのは、ムーンリバー渓谷から見て空の端、地平線のギリギリ下を艦隊が通過するときのみで、電波がわずかに回折する(電波もまた光と同じように回り込むのだ)のを利用した通信になるのだ。


「欠損率60%ですが…」

 旗艦デイビッドのブリッジの天井に備え付けられた大モニターに電源が入る。少しでもエネルギーを無駄にしないため普段は貧乏くさくモニターの電源は落とされているのだ。

「映像を出せそうです。復元中。少々お待ちを」

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