第165話 未知との遭遇(後編)

の容体は?」

 音質の悪い通信でレオが訊ねてきた。

「待て、焦るな」エースは崖のへりからそっと顔を出して、ムーンリバー渓谷の間を進むの様子を探った。「ヤツらはまず…直立二足歩行だ。尻尾は無い。重心が高い印象がある」

「重心が高い?」副司令が訊き返した。

「腕が太いというのかな?胸が開いていて肩がしっかりしている。その肩から足のように太い腕が体に平行に降りているようだ。"射撃用と思われる武器”は右腕で携えているが腕に固定されているわけでは無く、手の握力でもって保持しているようだ」


 エースの実況中継を聞く司令室ではどよめきが走った。

「分からんな。どうです、司令?」

「いえ、なんとも……」

 どうです、と言われても分かるワケがない。二足歩行で腕の太い動物というのが彼らサウロイドには想像ができなかったのである。


 副司令の無謀な問いかけはレオを苦笑させたが、彼はそれには気付かず続けざまに今度はエースに問い直した。

「…写真は撮れるな?」

「もちろん、すでに」

 エースは肩をすくめて見せたが、それを見ているのは誰もいない。彼は今は月面に独りぼっちである。

「しかし…副司令。その写真を私が持ち帰っててもですね、あらためる余裕などは無いのですよ」エースは続ける。「敵の一団はまっすぐ基地(そちら)に進んでいる。そしてもう、交渉の余地などない。彼らの任務が偵察などではないのは、彼らが帰還するための装備を一切持っていない事が証明しているためです。……必ず戦闘になる」

 エースは月の刺々しい小石を手のひらですくっては握りつぶす、という手遊びをしながら説明した。30億年も遠慮無い紫外線に晒された月の小石は、ラスク(彼らの世界にも小麦の焼き菓子はある)のように小気味よく粉々になった。

「だから頭数を減らす必要があります。有利な今――」

「――今ただちに、奇襲でもって」とエースの語尾をレオが奪った。

「分かっているよ、エース。だから司軍法官ゾフィから交戦の許可を得たんだ」

「では、実戦の細かい所は現場に任せてもらうとして!」と言ってエースが意気揚々と立ち上がろうとしたとき

「大尉、待て!」

 副司令が制した。

 彼はエースにどうしてもの写真を持って帰らせたかったのでレオに提案する。

「司令…!」

 月面でひとりぼっちのエースも寒さと緊張に包まれていたが、司令室は別の意味の嫌な緊張が走った。副司令が真っ向から反駁するのはラプトリアンという人種である事もあって珍しかったからだ。

「司令…!奇襲はだけに任せても良いのでは?敵の情報はいま、大尉のカメラの中にのみあります。世界中どこを見ても無い、最重要な情報です…!」

「副司令」レオ(サウロイド)は自分の倍も体重がありそうな副司令(ラプトリアン)が凄んでも微笑を崩さずに応じた。「敵の姿形はあと1時間もすれば見れますよ」

「……!?」

 あと1時間もすれば敵は渓谷を出、ティファニー山と基地の間に横たわる幅1kmほどの平原に到達する。彼らがそこまで来れば、その姿はちょっとした双眼鏡で誰でも容易に見る事ができるだろう。

「エースがいま戦力を削ったとしても、残った人数で彼らは猪突猛進してくるでしょう。何せ彼らは逃げ帰るための船が無いのですから。きっと、あの平原を抑えて宇宙船の滑走路にするつもりなのでしょう」


 位置関係を人類の呼び名で整理しよう。

 まず巨視的に始めると、地球からも肉眼で見える「靜の海」という直径800kmを超える巨大クレーターがある。そのクレーター縁を「靜の海山脈」と呼ぶ。つまり山脈は延べ2400km(800×3.14)の長さを持つ円形という事になる。

 そんな“円い万里の長城”のような山脈のうち、サウロイドの基地の近くでピョンと頭を出している最高峰を「ティファニー山」と言い、その山の裾野のひび割れのような渓谷を「ムーンリバー」と呼んでいる。

 そのムーンリバー渓谷を、いま敵勢力じんるいの揚月部隊が進んでいた。

 ムーンリバー渓谷はちょうど基地の方に伸びていて、川が三角州となって海に注がれるように、渓谷は徐々に拓けて最後には真っ平らな平原に接続した。そのティファニー山と基地との間に横たわる平原を「ジョージ平原」と呼ぶ。


 と――。

 司令と副司令の衝突に微妙な空気に包まれた司令室の中に、清涼感のある声が響いた。

「うーん。やはり多少の損害をもろともせず、ジョージ平原に突進してくるでしょうね。彼らは」

 ゾフィであった。

 司軍法官の仕事ではないが、黙っていられない性質なのだ。しかしレオは彼女の潔いまでの越権行為を咎める事もなく、思わず学生時代に戻って

「ああ」

 と頷いてしまった。

 そしてエースもまたスピーカ越しに、そうだなと頷く。

「でしょう」調子に乗ったゾフィは続けた。「それはまるで興奮した――」

「――メガロケラトプスのように」

 これまたレオとエースの声が重なってしまった。「興奮した」の枕詞に対しては「メガロケラトプス」と答えるという三人の中での何かがあるのだろう。

 どんな思い出を共有しているのか知らない他人からすれば面白くもなんともないが、幼なじみの三人が醸す空気だけは良かった。小気味よい空気感はハリー、ロン、ハーマイオニーを思わせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る