第162話 たった一人の増援(後編)

 C棟の先端、次元跳躍孔ホール封印牢では、本国(サウロイドの時空の地球)からワープアウトしてきたエースが惨状を聞かされた。

 こっちの世界の知的生物にんげんに、第二郭砲台群が壊滅させられたというのである。彼らは自分達が持たないような宇宙船を持ち、スーサイドロケットミサイルを操る科学技術を有しているそうだ。



『ところで、ヤバい、っていうのはなんだ?』

 エースは次元跳躍孔ホール潜行用スーツを脱ぎながら訊ねた。

『お前の悪運が尽きないって話だ』

『ん?』

『攻撃を受けたのさ。こっちのヤツらに』

『…!?早く言えよ。無駄話をしている場合じゃなかったろ?』

 エースは服を脱ぐペースを速めながら憤慨した。憤慨しても爽やかな男である。彼の難詰には嫌味がないのだ。

『落ち着け。いまはまだの出番じゃなんだ』

『そう。急いだところで、何が出来るわけじゃない』

 二人の研究員は少し諦念するように言った。腹が据わっているというより、非戦闘員特有の無責任な雰囲気がある。「いざとなれば目の前にホールがあるんだ。飛び込んで逃げてしまえばいい」ぐらいに思っているのだろう。


『なるほどな』

 エースはだいたいの状況を察した。

――敵が砲戦を仕掛けてきたという形だな。…そして圧倒されたワケか。


『しかしその言い様だと、次には機兵の出番が控えているという事でもあるな。翻って言えば』

『俺はそう読むね』

 一人の研究員は悪っぽく頷き、もう一人は肩をすくめた。

『レオ司令がどう考えているか…だが』

『レオはああ見えて居丈高な奴だ。撤退はしない』エースは脱ぎ終えた潜行用スーツを部屋の隅に投げ捨てると、代わりにホールを抜けるときに持ってきた箱を携えた。『備えあればなんとやらだ。俺はB棟に行く!』

『B棟?』

『工務室に用がある。がさっそく役に経つぜ』

 エースはをちょっとばかり持ち上げて、揺すって見せた。子犬の入った段ボールを見せるように無邪気だった。だが――

『まて!』研究員が止める。

『なんだ?』

『そのままじゃいけないぜ』

『――?』

『お色直しが必要だ』

『はぁ?』

 エースは人類のミサイル攻撃により連絡通路が絶たれ、C棟が陸の孤島になっている事を知らなかったのだである。C棟から移動するためには、いちいち月面服を着て基地の外を回らなければならないのだ。

 潜行スーツを脱いだばかりのエースは、すぐさま月面服へのお色直しドレスアップを要求されたのである。



 他方――

 人類側の切り込み隊ビショップ、つまりネッゲル青年をはじめとする77人の陽月隊も苦戦を強いられていた。

 行軍速度が、思うほど伸びなかったのである。


 レールガンの射線を避けるためそこを縫うように進む…というのは作戦の通りなのだが、実際は渓谷というよりうねと呼んだ方が良いほど浅いところもあったためだ。(おそらく、この渓谷を造った巨大隕石はバウンドしながら転がったのだろう。すごく深い所と浅い所が300mおきに現れた)

 渓谷が浅いところでは伏せて進まなければならず、畝にさしかかる度に行軍の速度が殺されてしまう。

 なぜなら陽月隊の行軍速度を支える“ムーンウォーク”は、びょんびょん高く跳ねる走法なので低い渓谷の中では使う事ができなかったし、それを使わないとなると今度はとたんに速度が殺されるからだ。

 月で中腰で静かに歩くのは容易ではないのである。


 歩行の推力とはすなわち足裏と地面の摩擦力だが、摩擦は下向きの力(質量と重力加速度の積)に比例するので、月では素早く足を動かすと空回りしてしまうのである。プールで歩いているとき、ある一定の速度を超えて足を踏み出すとツルンッと空回りしてしまうのに感覚が近い。


「隊長!」

 ネッゲル青年は両壁が高い(渓谷が深い)ポイントを見つけて大ジャンプし、十数人の頭上をごぼう抜きして一気に隊列前方のノリスのところまで来た。

「速力を上げられませんか?このままでは予定時間に遅れてしまいます」

 ネッゲル青年はノリスの傍らにスタッと着地する。トランポリンのような大ジャンプだったが、膝を上手く使って勢いを殺し、ほとんどバウンドしない。

「あせるな。艦隊はもうと言っている」

 現在の艦隊の速度からすると、月の一周には13分ほどかかる。39分までなら遅れても良いという事だ。

「艦隊が良くても」ネッゲル青年は反論した。上手くいかない事への苛立ちを転嫁した駄々に近かった。彼は実直な人間だがこういう生真面目さからくる幼さがあった。

「敵に準備の隙を与えないというのが、この作戦の根幹でした」

「そうだが、それで被害を出す事も避けなければな」

 ノリスは青年の心模様を見透かして、ハイキングでもするように落ちつている。

「見ろよ!」ノリスは両手を広げてみせた。「俺達は人類未到の景勝地を歩いているんだぞ」

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