第157話 降着!(後編)

 そうこうしているうちに、もう月の地表が目の前に迫ってきた。

 

 降下棺チェンバーの中の揚隊の面々は振動と恐怖に耐えるように、ヘルメットの中に響く管制官達の声という‟手すり”をギュっと掴んでいた。

「心配するな、万事順調だ。初運用とは思えないほどに」

「M-1、減速開始10秒前!」

「M-1に続き各機も順次減速だ。耐ショック体勢を崩すな」

 同時に、降下作戦を支援する六番艦ていえんの管制官達も緊張の中にいて、それを跳ねのけるための強気の悪態を吐く者もいた。

「異常発生中のM-9は六番艦こちらで遠隔操作してやる」

「お客様の安全は保障いたします、ってな」

「では…Good Luck!」


 ――減速開始!


 ティファニー山の麓に、炎で出来た四枚の花弁を持つ花が一斉に咲いた。

 その数は20。

 数年に一度催される、高山植物達のささやかで神秘的なイベントのようである。もっとも、優雅に見えるのは‟引き”のアングルで眺めた時だけだ。

 それは可憐なる高山植物達が実際のところは峻厳な環境に脅かされているように、月降下棺の減速ためのブースター噴射はその火花が山麓に咲いた花に見えるほどだったのだ――。


 ドドーン!

 月降下棺チェンバーは月の大地に突き刺さるように着地した。

 敵性勢力の対空砲をかいくぐるため猛スピードで落下し、地面スレスレで「着地の衝撃に人の脊椎くびが耐えられる限界速度の時速220km」まで急減速する…というのが降下棺の正規の仕様である。骨格(フレーム)が軽く頑丈であるという特性のみに人類の英知の全てが注がれたビークル、それが月降下棺のであった!


 ダムッ!!

 不意に来たなら間違いなく打ち身になろう衝撃が、降下棺の中の兵士達を襲った。

「ぬうっ…!」

 それはネッゲル青年も例外ではない。ネバタの砂漠での訓練よりは総合的に見れば軽いが、性質の違う衝撃で体が驚いた。


 …だがそんな悠長な感想は言っていられない。

 ネッゲル青年を班長とする降下棺M-8は、月の大気の影響で進路を狂わされた一つであったからだ。本来なら渓谷の中のはずが、いまはティファニー山の麓に降着してしまっていたのだ。

 山の斜面に着地したM-7~M-16は、まるでのようである。もし敵にレールガン砲台が残っているなら(そしてその人類の予測は当たっている)屋台の射的の景品のような状態で着地したチェンバー達を狙っているかもしれないのだ。


「無事か!?を急ぐんだ」

 ネッゲル青年は‟筋肉バカ風”の男だがインテリだ。いつもの彼ならと正しい表現を使うだろうから、いかに焦っていたかが分かる。

「出れる者から出ろ!」

 固定ベルトを外しながら青年は叫んだ。


 着地時に降下棺チェンバーが横転したため(それも織り込み済みだ。アポロの月着陸船のような行儀のよい足は持たない)彼はほとんど俯せになっていた。そのせいで、ベルトを外すと体は地面の方向に叩きつけられる。

 彼の正面の扉は地面に埋まっているような形なので反対側にいくしかない。

「開けます!」

 彼の位置を時計の文字盤でいう五時とすると、二時の方向にいる隊員が叫んだ。開けます、と言いはしたがもともと気密されている乗り物では無いので、車から降りるぐらいの軽い報告である。

「いけ!」

 二時の位置の彼に続いて、十一時、八時の隊員達も次々に扉(蝶番はないく外れる)を蹴破るようにして外に飛び出した。

 この展開の速さこも降下棺の優れた点である。棺を揺するバンバン、という小気味よい振動のあと、ひと刹那の沈黙があって

「出ました!」

 三人のうちの一人が月に降着した事を伝えた。

「周囲を警戒!」

「隊長、どうぞ!」

「よし」ネッゲル青年は「自分もはやく月の高原を見たい」という無邪気が心の内に湧き上がるのを感じつつ、極めて冷静に叫ぶ。

「みんな


 下がれ――?


 ワンドアのコンパクトカーで後部座席から車外に出るときのように、狭い船内を芋虫のように張って土に埋まっていない方のドアから外に出るのかと思いきや、そうではなかった。

 次の瞬間、彼は驚くべき行動に出た。

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