第97話 司軍法官の女(前編)

 いずれにせよ、これが人類側の切り札「アルテミス級揚艇」である。

 チェスで喩えるならばミサイル衛星が「ルーク」とすると、アルテミス級は「ナイト」のような役割だった。要所で柔軟・奇抜な動きをするカードである。


 なお計6艇のアルテミス級は姉妹艦であり全て同じ設計だが、建造に関してはアメリカ、中国、ロシアのほか、ヨーロッパとアジアの共同体で行われた。


 アメリカは2番艦と3番艦の2隻を建造し、その名を「デイビッド」「ソロモン」と言った。大胆で敬虔な清教徒ピューリタンの国らしいストレートな命名である。


 ヨーロッパは1番艦の建造を担当し、その名を「アルテミス」といった。

 軍艦は1番艦の名がそのまま◯◯級の名になるのが通例なので、このヨーロッパ所有の1番艦「アルテミス」がそのまま級全体の名前になっているわけだ。

 ご存じの通り、アルテミスはギリシャ神話の月の女神である。こういうときに「ギリシャ神話をモチーフにすることで、ギリシャ一国をヨーロッパの代表にするのはどうか」などという、をする者が居ないあたりが、ヨーロッパを千年に渡って文明の中心にさせている要因かもしれない。


 中国の5番艦「定遠ていえん」は第一次世界大戦以前の主要な重巡洋艦から、ロシア6番艦の「ヒョードル」はそのまま皇帝の名であった。

 (ヒョードルという名の船舶はいったい何隻あるのだろう?)


 こうして各地域が思い思いの名をつけるなか、アジアが担当した4番艦だけは「ETCS-AA」というなんとも淡泊な名を与えられてた。

 建造の主導は日本とインドであり、(コアシャトルの)組み立てと打ち上げに至っては日本の種子島で行われたのだが、その名前は「やまと」でも「つくよみ」でもなく、ただのアルファベットの羅列「ETCS-AA」である。

 ETCSはExeraTerrestrial-Cruiser-Shipの略で、2つのAはアルテミス級とアジアを示しており……と、まぁ意味は分かる。もちろんこれは日本らしいなのだが「なぜ種子島から打ち上げられたアジア担当の宇宙船に英語の頭文字を並べる事になってしまったのか」と英語圏の人々も当惑したに違いない。

 このあたりの無駄な配慮は、日本人以外は理解できないだろう。


 ――ともかく

 こうして6隻の揚月艇もとい‟宇宙戦艦”を含む人類初の宇宙艦隊が、月の静止軌道に集合したのは開戦の3週間前だった。


 いよいよである。

 

 後の歴史が「ティファニー山麓の戦い」と呼ぶ事になる月面戦争が――

 いよいよ、始まろうとしていた。


 ――――――

 ―――――

 ――――


『それでぇ。これが噂の――』

 場面シーンは開戦の10分前。

 月面のホール1基地、サウロイド達の視点から戦記ストーリーを再開しよう。

『――宇宙生物エイリアンね』

 ふふん、と愉しそうに笑ったそのサウロイドの女性は、保存液に満たされた巨大水槽の小窓に手をついた。


 長い地下通路の横の壁は一面、巨大な水槽になっていた。

 水槽は人類のFRP技術とは少し違うが似たような強化プラスチックで出来ていて、小窓の奥には例のMMECレールガンによって撃ち殺された宇宙生物エイリアンの下半身が浮いていた。ちなみに月面の低重力のせいで保存液はジェルのようにヌトヌトと波打っているが、実際は水のごとくサラサラな液体である。

『足の関節は私達のものと似ているのね。膝とか。くるぶしとか』

 そう言って肩をすくめながら小窓を覗き込む彼女の名札には「ゾフィ」とある。そう、あのエースとレオの話題に出ていた「卵殻瘤」を患っていたという彼女その人であった。治療が終わり、月に赴任してきたという風である。

『ああ。もうそれほど用は無いそうだが』

 案内役なのか、彼女の傍らにいたラプトリアンの兵士が相槌した。

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