第96話 アルテミス級揚月艦(後編)

 ――話をアルテミス級に戻そう。


 本来は月面と宇宙を往復する定期便シャトルであるこの揚艇が、世間的に戦艦と呼ばれているのは、こうしたブースターや武装群、あるいは80mを超える巨体に依るものだけではない。


 戦艦を戦艦たらしめるファクターとは何か――。

 それは装甲である。そう。戦艦という言うからにはよろわれていなければならない。攻撃兵装だけではいくら誇張しても駆逐艦だ。


 しかし装甲と宇宙船の相性というのはすこぶる悪い。

 前述の通り、宇宙船というのは作用反作用で航行するので船体は…つまり、ごくシンプルに言って事が大前提であった。

 前世紀…というかこの「ティファニー山麓の戦い」の以前までの宇宙船は常に徹底的な軽量化が図られ、装甲という装甲は持たなかった。

 もちろん耐熱・耐圧にすぐれた地球再突入用のシールドは持っていても、基本的には内圧で膨らんでいる風船のような脆弱なものであり、仮にISS(国際宇宙ステーション)を破壊したければ、おそらくホームセンターで売っている中型のハンマーと女性一人の力で事足りるだろう。もちろん機密扉エアロック骨格フレームなど一部の非常に強固なパーツはそのままの形で残るだろうが、少なくとも中破までは女性一人の手でやれてしまうはずだ。数兆円の宇宙船が、である。


 このように相性の悪い宇宙船と装甲だったが、だからと言って従来のような冷蔵庫以下の強度の船体で敵と戦うわけにはいかない。

 アルテミス級揚月艦は仮にも‟宇宙戦艦”と渾名されているように戦うための船なのだから、敵からの攻撃にある程度は耐えれなければならなかった。ミサイルの直撃を耐えろとは言わないが、対空砲の近接信管でバラ撒かれる、ちょっとした散弾で穴だらけになるようでは困るのである。


 というわけで、アルテミス級は人類初の装甲で鎧われた宇宙船になった。

 部位にもよるが、船体は平均して厚さ5cmの新合金(チタンがベース)の装甲で覆われていた。これは、拳銃ならば数百発、スペースデブリなら数十発、対物ライフルなら一発まで耐えれる強度を誇った。

 ただし、装甲は着脱式になっている。損傷したら取り替えられるメンテナンス性はもちろん、装甲を纏ったまま月の重力を振り切る事は不可能だったからだ。

 装甲はまさにアルテミスの鎧であり、彼女は鎧をまとって月に降り立ち、月から離れるときは鎧を脱ぎ捨てて宇宙に戻るのである。

 そんな装甲の中でも唯一着脱式でない部分があり、それが船首についた流線型の五角錐の‟くちばし”であった。空気抵抗と無関係な宇宙船の頭は鈍角であるのが普通であるが、アルテミスの頭は航空機のようにシュッと尖っているのである。

 このアルテミス級をカッコ良く見せている要因であるそれは、月の敵性勢力サウロイドのレールガン、MMEC -Multi Mass Electromagnetic Cannon-に対抗するためのものだ。正面から見たとき、新幹線のようにほぼ船体を隠す鋭角な‟くちばし”は、レールガンを受け止めソッと運動方向を逸らす目的を持っていたのである。攻撃を受け流すにしても、レールガンのインパクトに負けて‟くちばし”の斜面がブレてしまって運動方向の遷移の淀みができれば、そこに運動エネルギーが集中して撃ち抜かれてしまうので、”くちばし”はアルテミスの骨格の一部としてガッチリ固定されていた。

 これが唯一、着脱式でない装甲たる所以である。


 この五角錐の‟くちばし”は恐ろしく硬く、また分子レベルで凹凸が無いほど研磨されていて、重さはなんとアルテミスの全体重量の7%を占めた。それだけのデメリットを負っても‟くちばし”を搭載したのは、ひとえサウロイドのMMECレールガンの弾速を見た人類が「見てからの回避は不可能」という判断をしたからである。人類は回避するのではなく、寧ろ船主をMMECの真正面に向けてを以てして受け流そうと考えたのである。 


 この人類側の判断は見事に奏効し、ティファニー山麓の戦いの趨勢を大きく変える事になるのであるが…

 それはまだ、三か月後の話だった。 

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