第75話 雷竜の午後(後編)
何の疑いもなく屠殺されるのを待つばかりの巨大な家畜、デメテルサウルス達の
『……哀れだと気づけないのが、哀れなのではないか?』
とエースは思った。
そしてそう結論した瞬間、不意にあの月面で戦ったエイリアンの事が頭によぎった。
――!
無防備に月の虚空をのたうち回るエイリアン。
奴に目はないが、完全に意識という視線がフレアボールの照準越しに交差して、それから自分は引き金を引いたのだ――。
そんな映像がフラッシュバックしたのである。
哀れというなら、あの生物こそ哀れに見える……。
自己憐憫という高等な感情を持っていないにしてもデメテルサウルスは午後の陽光を愉しむ事はできるが、果たしてあの生物も何か歓びというモノを持っているのだろうか…。
あれは生物兵器ですらない、誰かが作った有機ロボットなのだろうか?
彼は長い溜息を吐く。
そしてちょうどそのとき、ようやく待ち人が来た。
『どうした?』
レオであった。
片手に封筒型のファイルに収めた何かの資料を持っている。ファイルは樹脂(プラスティック)ではなく金属製で、面白い事に正方形だった。
『遅いよ』
エースは二つの意味で腹を立てた。遅い事と、そのせいで無駄な考え事をしてしまった事である。
『すまん。で、足はいいのか?』
軍の階級は大尉と少将なので天と地ほど違うが、二人の会話は親友のそれだった。レオは基本的に相手が年下でも下級でも、です・ます調で喋るがエースと二人きりのときは違うようだ。
『割と良くない』
エースは首を縮めてから言った。これは人間でいう肩をすくめるジェスチャーと同じである。カラスやインコといった知能の高い鳥でも見るジェスチャーだ。
それに対してレオは『ん?』とだけ言ってエースの次の言葉を促しながら、傍らに座った。
お互い窓を向いている。
『あと二ヶ月はかかる。皮膚と違って筋繊維は回復に時間がかかるそうだ』
『治るならいいさ。壊死…融解と言ったか?』
『溶解だ』エースが訂正した。
『溶解が骨にまで到達してると聞いたとき、お前、もう歩けないのかと思ったよ』
もちろん話題は、エイリアンの溶解液の事である。
『その後、中和もせずに動き回ったのも良くなかったが…どっちにしろ、すごい液体だよ。100mlで300gぐらいの肉を解かすんだぜ。ありゃあ』
『まぁな…』レオは一瞬考えたが、それ以上に言える事も無かったし、深刻ぶっても仕方がないので素っ頓狂に話題を変えた。『あ。ここからもデメテルサウルスの畜産場が見えるんだな?』
『さんざん、見たよ』とエースは苦笑した。
『ははは、よほど暇らしいな』
『お前は女みたいだな。太っているのかと思ったが、そうじゃないようだ』
『ずっと月にいればな。太るのとは違う方向に体が丸くなる。戻ってきて一週間は地面にへばりついていたよ』
サウロイドは恐竜の進化した姿であり、どちらかといえば恐竜より鳥に似ているが、性差が濃厚にあるという点で鳥とは決定的に違った。この点はむしろ人類と同じであり、もしかすると知恵や文化を持つように進化する道中には性差というファクターがマイルストーンのように置かれているのかもしれない。
『すぐにでも月に戻りたいな?』エースは和やかに言った。
『ん?ああ。お前がな?』レオは視線を窓からエースに向けて訊ね返す。
『いや、お前がだよ。正直なところ副司令の指揮力には…悪いが疑問が残る。あの人は四、五人の小隊指揮の人だろう。なんで副司令なんだよ』
『それは言うな』
『だからお前のことだ』エースもレオの方を向き直って言った。『副司令に任せている月なんて心配でならんはずだ。それに今すぐにでもあっちの地球からの攻撃があるかもしれない』
『焦っても仕方ないさ。ホールが干潮に入った。二週間は戻れない』
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