第73話 雷竜の午後(前編)
それは、戦いまで(この時点で彼らは知らないが)残り三ヶ月に迫ったある日の事である。
軍が接収した旧アクオル市立病院にエースの姿があった。
彼は人類側の確率次元の月…通称「むこうの月」から、
むろん、エイリアンに傷つけられた足の治療のためである。
人間には少し暑いぐらいだがサウロイドにはちょうど良いぐらいの、穏やかな陽光が差し込む午後。裕に40人は一緒に食事が摂れそうな入院病棟の多目的ホールの窓辺にポツンと一人、足にギブスをつけたエースは座っていた。
食堂兼、面会室兼、関係者のミーティングルーム兼、子供の患者用のちょっとしたプレイルームといった趣の部屋である。場所は4階にあって、大パノラマというほどではないが景色も良い。
遙か遠くの森には、放牧されている「デメテルサウルス」が数頭見えた。
まるで呼吸のために海上に首を出す「プレシオドン」のように、長い首を伸ばして森の木の絨毯の上にヒョイと頭を出す様は愛らしい。遊園地のライドのように森の中には彼らが進む順路が引かれていて、彼らは何の疑問も持たずそこを練り歩きながら、道の両壁を造るセコイアの木々の葉っぱを食べていく。こうして森の中をグルグルと進ませるのは、一カ所の木に負担が集中せずに森全体の葉っぱを均一に食べさせるための仕組みである。
一方、広い食堂に独りポツンと座るエースは誰かを待っているようだ。
『遅いな…』
と言いつつ彼は甲虫茶(我々でいうコーヒーだ)を一口やるものの、傍らに広げた新聞を読む気にはならず、また視線を「デメテルサウルス」に遷した。
と、一頭がまた顔を森の上に出した。
口の端に木の枝を咥えながら何を考えているのか、潜望鏡のようにキョロキョロと周囲を見回し、それから太陽の光を愉しむように真上に伸びをした後、また長い首を樹海に沈めていった。
食用に
家畜なので皆若く体の不安も無ければ、冒険心の無い親同士を代々かけ合わせているので、徹底的に温厚で消極的であり繰り返される日常への不満も無いようだ。
感情はあるが、それが長続きしないのである。
エースは一瞬、無様だとは思わないが哀れだ、と思った。
思ったが、やはり思い直した。
一概にそれを不幸だと決めつけるのは、価値観の押しつけかもしれない。自分達の価値観で物事を捉えているから、家畜を不幸だと思っているだけかもしれない。
家畜を哀れと決めれるのは、家畜だけだろう。
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