第70話 月の軍団(後編)

 ――仮に…

 とネッゲル青年は思索を巡らせた。

 仮に彼らの正体がムーンマンの末裔、月に移住した人類であっても衝突は回避できないだろう。


 実際のところは ――我々が知っているように―― 月面基地はサウロイドのもので、人類同士が地球と月に分かれて戦うというネッゲル青年のビジョンは杞憂に終わるのだが、本質は同じであった。


 地球から月を見上げるネッゲル青年が…

 そして月から地球を見上げるエースが抱いた「自分達の方が武力が上である事を示さねば征服されてしまう。相手は自分と違う理倫観に生きているのかもしれない」という猜疑心と恐怖心は、彼らだけでなく双方の種族の全体に宿っていたものだった。


 こうして見ると、この六か月後に火蓋が落ちる事となる「ティファニー山の戦い」は誰のせいでもなく、避けようが無いものだったのかもしれない。結果的には双方が「勝てる」と思ってしまったこと、つまり技術力が拮抗している事が不幸を呼んでしまったわけである。


「あ、止めろ。そこだ」

大尉が酸化しきったコーヒーを飲みながら技師に言った。「1フレーム戻せ」

「はい」

 技師はあるコマのところで手をとめ、今度は「←」と「→」を交互に押して時間を戻したり進めたりを続けた。

「見えるだろ?」大尉はネッゲル青年に問いかけた。

「…ノイズじゃない?」

 確かにノイズではなさそうだ。その問題の1コマには画面を左上から右下へ横断する残像が走ってる。


 その残像はちょうど画面の左上から右下へと斜線を引くように横断していた。

 これを我々だけが知る情報で言い換えると、その残像は画面の左上に位置するレールガン砲台(サウロイドの呼び名に従えばMMEC)から画面中央のA棟を通り、右下に抜けていく弾道を示していた。

 つまりこれは、一匹目のエイリアンを撃ち抜いたレールガンの映像というわけである。

 月面基地でサウロイドと一緒になって危機を搔い潜ってきた我々からすると、この地球から見た俯瞰映像のたった一コマで収められてしまうのには、何とも言えない気持ちにさせられる。端的に言って、その映像はあまりに淡泊過ぎた。


 …だが、仕方あるまい。

 そんな大変なことになっていたとは知らない人類は、その一コマの映像を眺めて単なる月の軍団の情報として分析をするだけの話である。アリを知らずに踏んで殺してしまっても咎は感じまいが、アリを見つめながら指でゆっくり潰すのは心を痛めるだろう。そのように、共感とは認知してから行えるものであり、共感を認知に先行させることは人類が会得していない能力なのである。


 ネッゲル青年もまた、サウロイドに会った後年ならば違うだろうが、現時点では彼は淡泊にただ一切の共感もなく、その映像を情報として処理した。

 その証拠に一言目は、何があったのか、ではなく……

「まさか1コマにも満たないとは…!」だった。


「そうですね」技師が応じた。「前と後のコマには何も映っていません」

「1コマ…」

 その前のコマにも、そして次のコマにも残像は綺麗さっぱり映っていないので、本当に問題の1コマの間にレールガンの弾丸は画面を横断したと分かる。

「正確な解析は後から来るだろう。こんなコマ送りの原始的な方法じゃなくな。だがザッと見積もって…」

「映像は30フレーム。映像の一辺は100mです」

 人類の命運をかけた観測・監視望遠鏡が30フレームであるというのは驚くだろう。だがそうではない。見るべき対象は約一光秒(正確には38万キロ)も遠方であり、それだけ光も弱くなる。そんな弱い光をたった0.333秒のシャッタースピードで捉えて識別できるのだから、いかに優れた望遠鏡かが分かる。

「ということは…」ネッゲル青年は暗算を試み、腕組みをした。分かりやすい男である。「画面を斜めに横断するには√2の100で…142m。それを1/30秒で通過したというなら……え-秒速に直すと」

「ざっくり、秒速4200mだ。音速にすると11…いや12ぐらいになる」

「マッハ12…想像が付きませんね」

「海軍が研究部門が開発しているレールガンは、マッハ9と言っていたな。だから彼らのレールガンは我々より優れているといえる」

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