第33話 地響き
A棟では先述のラプトルコマンダーの小隊が、2人の融合炉技師を中心にして円陣を作って警告灯で紫に明滅する暗闇の中を進んでいた。
慎重というには歩みは遅すぎる。
どこからエイリアンの襲撃を受けるか分からない恐怖は足下に撒かれたコールタールのように彼らの歩みを重いものにしているのだろう。
夜襲用の装備であればよかったが、今は一人一つの基本装備に含まれる懐中電灯しかないのだ。サウロイドと人類の技術力は、どこかが勝ればどこかが劣るというような形で拮抗しているが、殊、電灯についてはサウロイドは遅れていた。
サウロイドの世界線ではLED照明の技術はまだ研究室の外に出ておらず、彼らが使う懐中電灯の光源は――度重なる技術向上を経りはしたが基本構造は――希ガスを封入したタイプの昔ながらの電球であった。
彼らは人類より腕力に優れるので電池の重さはさして問題ではなかったが、なにより明るさが足りない。
『さっきの地響きは何だったんでしょう…!?』技師の一人が言った。
『外に出ようとしていたのかも…』
懐中電灯が放つ光の柱が七本、壁や天井をまさぐりながら暗闇の中を進んでいく。その様はまるで、豪奢な寿司屋の街頭に面したディスプレイ用の生け簀に展示される‟ウニ”のようだった。どこにも逃げ場などなく、捕食者に美食と称して選り好みされるのを待つだけである。
『外に?じゃあ、さっきのドーン、ドーンって地響きはヤツが壁に体当たりでもしていたって事ですかね?』
『その可能性は高いな。だが…バカめ!外は真空だ』
ラプトルコマンダーは、自分を含めたチームを安心させるように乱暴に言った。
『しかし…ヤツは空気が無くても大丈夫なのかもしれませんよ』
『いや吸うだろうさ』コマンダーは失笑気味に言った後、敬語を使う事で言葉の方向を技師に変えた。『…どう思います?』
『自分は見ていないのでなんとも言えませんが、もし何人かが殺されたというなら酸素を代謝に使っているとは思います』
酸素は諸刃の剣である。
生物にとって毒性を持つが、その代わり超高速の代謝を可能にする。我々が嫌気生物と比べものにならない俊敏で動けるのは酸素を代謝に使っているからだ。
――とすれば、エイリアンも好気生物なのは間違いないはずだ。
『ただそうでなくても』もう一人の技師が言った。『つまり空気が要らない生物だとしても、気圧差で死ぬでしょうね。あ、この曲がり角を右です』
彼らはマイクロ核融合炉の発電室を目指している。
とその刹那…
もう一度、ドーンという地響きが鳴ったかと思うと、次の瞬間、闇さえもカチコチに凍結したようだった月面ステーションの廊下を突風が駆け抜けた――!
ただ本物の風と違う。
空気の流れはどこか画一的で直線的だ。これはそうだ。
『本当に穴を開けやがった!』
身を屈めた吹き飛ばされないようにしながら、ラプトルコマンダーが叫んだ。
『まさか!ヤツにそんな知能があるとは思えません!』
あの野蛮なエイリアンが、ステーション内の空気を奪うという間接的な攻撃を発想できるはずがないとラプトルソルジャーの一人が叫んだ。
『穴を塞がないと!』
意外にもメカニックは冷静だった。彼は壁に体を張り付けて、傍らにあった点検口のレバーを掴むことで風圧に耐えながら益体のない意見を一蹴した。
そうだ。跳弾の穴などではない。
体重100kgを超えるラプトリアン達を吹き飛ばすほどの空気の流れが生まれるというのは、相当に大きな穴のハズなのだ。
『ええ、もちろん!』コマンダーも同意した。
むろん空気は無限ではない。
A棟だけでも合計で数万立方メートルの空気が圧縮されたボンベを何百本も有しているが、それらが今や一斉にバルブを全開にしている。ボンベの調整を任されたコンピュータが、設定された最低気圧を守ろうとして、しゃにむに空気を補充しているためだ。
それは命を守るための自動制御であるのだが、しかしである。
『ヤツがいるかもしれん。二名、着いてこい!』
行く先は簡単だ。風が道案内をしてくれる。
『いえ!だめです』
技師は二人とも妙に泰然としている。ラプトリアンが皆そうなのか、彼が特別なのか、あるいはエイリアンを目撃していないからそう言えるのか、それは分からない。『穴の大きさはおそらく、ラテックスガン(※先ほどの戦闘の後、銃の穴を塞いだ銃状の器具。月面ステーションという事で兵士の標準装備になっている)で塞げるものではありません!溶接が必要だ』
『そう!我々も同行します。今やヤツより危険な状態だ』
『…分かりました!』
幸い、床は格子状だった。
彼らは半分四つん這いのような格好になって自慢の爪を格子に引っかけながら風下へと向かった。尻尾に携えられた懐中電灯の光はサソリの針のようにキリッと前を向き、さきほどの‟ウニ”の無様さからは幾分か勇猛に見えた。
エイリアンめ…来るな来い。
暗い廊下を轟々と吹きすさぶ風が彼らを奮い立たせる――!
一方、レオのいる司令室もまた、驚天動地の事が起きていた。
『が、基地外部のセンサーが…!?』その予兆を計器類を通して初めて見た下士官は驚きで言葉を詰まらせた。
『何ですか?不明瞭な言い方は控えてください』レオは白い息を吐きながら、聞き返した。
限界を超えて生命維持機能を下げていたため司令室の室温はわずか華氏30度(氷点下である)になっていた。サウロイドも恒温動物ではあり、人間と同じように低温地域へ進出する事で進化してきた生物ではあるが寒さに弱い。なにより肺の性能が良すぎるのだ。体内外の空気の交換効率が良いと言うことはそれだけグングン体内の熱を奪われるという事だ。氷点下というのは、サウロイドが長時間は耐えられない気温である。
『いや…やっぱり…』モニターに口先がぶつからんばかりに顔を近づけ、そして確信した下士官は、凍り付いたような空気を割るように叫んだ。
『基地外部のセンサーが反応しています!!』
『え、何だって!?』もう一人の下士官が飛び上がり、隣の席へと駆け寄って同じモニター信じられなかったのだろう。
だがレオは違った。
彼は月が地球の夜の面を通過するたび、見慣れた地球の、見慣れぬ明かりを見上げ、その日に向けて心の準備をしてきたからだ。
――来たのかもしれませんね…!こちらの世界の霊長種が。
――それも、最悪なタイミングで。
レオは、こちらの世界の知的生物…つまり人類が攻めてきたものと悟った。
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