第32話 伝令
ラプトリアン達を見送ってしまったエースはポツンと取り残された。
足はジンジン痛んだが、心のモヤモヤの方が辛い。
だが、出来る事はあるまい。
彼は足を引き摺りながら、みじめな気持ちで来た道を引き返した。手には切り落とした宇宙人の尻尾を握っている。唯一の手土産である。
尻尾の先端はそれぞれの辺が理想的なカーブを描いた四角錐のような形をしていて、優れた工業製品のように突き刺す事に特化した形をしていた。返しのようなものは無く、むしろ刺した後は引き抜きやすくなっているようだった。
なるほどな、とエースは思った。
ティラノサウルス(サウロイドの世界では、我々の世界における熊かライオンのように野生の肉食獣として大型の獣脚類が闊歩している)の歯もそうだが返しなどは無い。刺さった時点で相手は絶命しているだろうから、刺さった後に何をする必要がないため返しが無いのだ。
殺戮用にデザインされている…と思った。
エースはその四角錐に尖った先端を握っている。
仲間の血がべっとりと吐いているが、仕方ない。切り取られた尻尾の反対からは宇宙人の血か何か例の危険な体液が滴り、それが自分の足の皮膚を焼いた事を知っているからだ。
酸か塩基か…きっと何か強烈に化学変化を強要する液体だろう。この液体を被った皮膚では水が溢れ出し、黄土色の垢のようなものが析出していた。つまり端的に溶かされたのだ。
そんな事を考えつつ、例の上半身を引きちぎられた死体が残るエアロックにさしかかった。ここが最終防衛線。この扉の前にはラプトルソルジャーが待機しているはずだ。
そんなアナログではないが、エースは扉をノックして声をかけた。
『俺だ。すまん、扉を開けてくれ。ワケあって手がいっぱいだ』
『お待ちください』と分厚い扉の反対から声が戻ってくる。
『与減圧は不要だ。こっちも空気はある』
『分かりました』
扉が開かれるまで、傍らに倒れる下半身に軽い黙祷を捧げた。
たぶん彼のおかげで宇宙人をA棟に封じ込める事ができたのだ。よく回りを見れば、このエアロックをぶち破ろうと宇宙人が殴ったりし体当たりをした後であろう凹みが壁のそこかしこにあった。
おそらく彼は宇宙人に追われながらココに駆けて来、間一髪でエアロックを閉じたのだろう。宇宙人はエアロックが閉じられるや否や彼を殺したが、結局エアロックを破れなかったのだろう。
と、その時だった。
ドーン、ドーンという地響きに近い音がA棟中に響いた。
なんの音だ…!?
音量は大きかったが、音自体は遠くからのもののようだった。
エコーが強くかかっている。壁などを伝わる音は早く、空気中を伝わる音は遅く、あるいは壁に当たった音が反射する経路の差…音の伝わる速さの微妙な差がエコーとなり、それが強く出ると言うことは音の震源が遠いという事だ。
エアロックが開くや否や、ラプトルソルジャーが叫んだ。
『いったい何の音です!?』
『分からん…』エースは扉を潜るとすぐに『閉じろ』と命じた。それがまるでA棟を見捨てるように聞こえたので、ラプトルソルジャーは困惑した。
『え?』
『大丈夫だ。倒せる。念のためだ』
倒せる?とラプトルソルジャーは一瞬怪訝な表情を浮かべたが、エースから鬼気迫るものを感じてもう何も言わずに彼に従うことにした。
ラプトルソルジャーがエアロックの扉を締めるため重いレバー(人間世界ではこうしたレバーは回して使うものだが、サウロイドは骨格的に腕を回すのが苦手なため、レバーは上下に動かす仕組みになっている。油圧ジャッキのようにプシュプシュと上下に動かす)を操作する間も、エースは歩みを止めない。
だから
『それはなんなんです!?』二人は背中合わせで大声で会話する構図になる。ラプトルソルジャーはエアロックを占めながら、背中越しにエースに叫んだ。
『アレの尻尾だよ』
『まさか!?』
『ああ、研究員が殺されるわけだろ』
『そんな大きさなんですか!?』
『しかも手足まである。宇宙人だ、あれは』
鈍く低い、壁が軋むような嫌な音がしてエアロックが閉じられる。
これでA棟は再び陸の孤島、いやそれ以上に密閉された巨大なカプセルに戻ったわけだ。何しろ外は月面、その極薄の大気が産み出す気圧はわずか10パスカルで、地球の一万分の位置だ。減圧なく飛び出せば体が内側から弾けるであろう。普通なら。
『エイリアンですか?』エアロックを閉じ終えたラプトルソルジャーは振り返って走り出し、先行するエースに追いついた。
足を引き摺るエースに、サッと肩を貸す。
『いや、呼び名は自由さ』
エースは思わず吹き出してしまった。『宇宙人』を敢えて第二言語(※)でエイリアンと呼ぶのは自分だけかと思っていたからだ。
皆そうしたくなるのだな。宇宙人っていう言い方だと頭が良いイメージがあるものな――とエースは笑った。
※お気づきの通り、サウロイドのセリフは『』を用いて記している。これはサウロイドの共通言語を日本語で表しているものだと考えて頂きたい。
サウロイドの世界線では約700年前にアフリカとユーラシアに跨がる超巨大帝国(それを支えたのは馬を遙かに凌駕するスタミナと走破性をもった鳥脚類ペガサソラプトルの家畜であった)が出現し、その第四代皇帝の為政の時代に言語教育における厳格な勅令を出した事の威光が今なお輝き、彼らは全人口の8割が使う共通言語を持つ。だからここでいう共通語を日本語と記して、残り2割の彼らにとっての第二言語を英語と記す関係は正しくはない。だが、便宜上仕方ない事である。ともかくラプトルソルジャーは別の言語で宇宙人を言い換えた、そう考えて頂きたい。
話を戻す。
『エイリアンですか!?』ラプトルソルジャーは仰天した。
『いや、呼び名は自由さ』エースは吹き出した。『ただ、エイリアンってのは良いかもな』
同じ意味だとしても、共感のよすがが一切無い印象が‟エイリアン”という呼び方には含まれている気がしたからだ。
『一つ頼みがある。これを』
エースは俺の事はいい、というジェスチャーを含めて一度貸されたラプトルソルジャーの肩を解きながら、代わりにエイリアンの尻尾を手渡した。
『おっと…気をつけろ、傷口を下にしろ』
『エイリアンの尻尾ですね!?』
『そうだ。こいつらの体液はタンパク質を溶解するようだ。俺の足はそれでやられた』
『分かりました』
ラプトルソルジャーは濡れたタオルを持つように、体から離して尻尾の先端を持った。切断面からはまだ溶解液がポタポタと滴っている。
『そして、走って監視室に戻れ』
ここホール1基地の根幹であり名前の由来でもある「ホール1」というワープホールを研究・占領・封印するための監視室が、今は臨時の司令室になっているのだ。『レオにエイリアンの事を伝えてくれ』
『分かりました。それから医療スタッフを送ります』
歩くのが辛いようで、壁に八割方の体重をかけるように寄りかかるエースに向かって言った。
『医者はA棟だ。エイリアンに殺されたろう。…それより聞け』エースはラプトルソルジャーを見つて続ける。『いいか。エイリアンは3mぐらいまで成長している。わずか20時間でだ。肉食…と思われる』
肉食であるというのは、エースの希望も含まれていた。
子供の腕ぐらいだった幼体が脱走し、いまや3mの巨体に成長しているのは何かを捕食したからに違いない。いくらエイリアンでも普通は何も無いところから質量が増える事はないはずだ。
となれば失踪した研究者達、あるいは不意打ちを食らったA棟の兵士達が今やエイリアンの血肉となっていると考えるのが妥当だろう。
エースは自分の、エイリアンは感染したラプトリアンなのではないかという「感染説」を控え、真っ当な推測である「成長説」で説明を続けた。
『それが尻尾の先端だといえば、大きさは分かるだろう。体の形はラプトリアンに似ている。赤外線を見ているのか、闇の中でも移動ができるようだ』
『わかりました!』
『待て!これが大事だ』
走り出したラプトルソルジャーは半身だけ振り返ってエースの言葉を聞いた。
『別に倒せない相手じゃない』無用は恐怖や混乱を避けるためにエースは力強く協調した『大した相手じゃない。問題はA棟が真っ暗闇で、そして真っ暗闇をヤツは苦にしないことだ。普通の動物の常識から逸したヤツの動きと相まって不意打ちを受ける。だからこそ、可能ならC棟からA棟に電力を送ってくれ、そう伝えろ』
『はい』
『C棟を電力維持がヤバいのは分かる。でも短期決戦だ』エースは念を押した。
再び、はい、とだけ言うと、ラプトルソルジャーは踵を返し猛然と走り出した。
エースはまた独りになった。
くそ…寒ぃ――。
電力が尽きかけようとする月面ステーションに、月の夜の侵入を阻む力は残されていなかった。
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