第28話 急成長

 エイリアンは、尻尾を象の鼻のように器用に使って獲物であるラプトルソルジャーの亡骸を掴むと、廊下の奥の深い闇へと姿を消した。


 もちろんエースは追撃を図ったが、次の瞬間に3つの理由が頭に浮かび冷静になってそれを辞めた。

 1つ目の理由は情けないものだが、エイリアンの尻尾を切断したときの返り血を浴びた足の痛みが、どんどんひどくなっていた事である。毒だとするなら調べなければ一大事になるだろう。


『大丈夫か!?』

 上の階にいたラプトルコマンダーが駆け寄ってきた。エースが開けた穴を使って階下に降りたのだろう。

 残りの三人の姿は見えなかったが、かすかに聞こえる音からすると跳弾で穴を開けてしまった外壁の応急処置に奔走しているようだ。応急処置できる器具を持っていたのは、もちろんである。それがあるからこそ、跳弾のリスクを追って発砲したのだ。


『すまん、もう死んでいた…』

 エースは苦悶の表情を浮かべつつ、最小限の表現で仲間のラプトルソルジャーを助けられなかった事を伝えた。

『ああ…分かっている』

 ラプトルコマンダーも何も言わない。

 これが2つ目の理由である。無理に追いかけて救出しようとしても意味がなかったのである。

 

 二人は黙祷に似た短い沈黙を共有し、互いの無念と憤怒を交換した。そしてエースの浅い深呼吸を契機にして、二人は現実に戻った。

『さ…足を見てくれ』

 エースは壁にもたれながら、座り込み、足を投げ出した。

『よし!』

 ラプトルコマンダーは手にしていたライトを、器用に尻尾に持ち替えて、両方の手をフリーにした。

 人間でいえば口にライトを咥えるようなもので、サウロイド世界(サウロイドの尻尾は退化してしまっているが、ラプトリアンは逆に尻尾をより器用に進化させている。ちなみに彼らは哺乳類ではないので、乳首を吸うための器用な頬と唇を持たず小物を口で咥えるような真似はできない)では珍しくない行為であったが、その象の鼻のような尻尾の使い方が、先ほどの宇宙人の動きに似ていてエースはハッとなった。

 

 まさか…!?

 …いや、しかし。今は考えている場合ではない。


『何だ、この傷は…!火傷のようだが?』ラプトルコマンダーは、自分自身の武器で怪我をしたのかとエースに訊いた。『おいおい、自滅したのか?』

『まさか。宇宙人の返り血を浴びたのさ』エースは少しだけ憤慨した。ラプトリアンは竹を割ったような性格だが、代わりにぞんざいだ。

『ほう…』

『…血なのかは分からないが、尻尾を切ってやったときに、ともかく体液みてーのが噴き出てな。それが足に付いたんだ』

 顔見知りだった上、同じ階級なので二人とも敬語は使わない。

『ここでは治せんな』

『毒でないな?』

『ああ、そうは見えない』

『火傷と同じ処置をしてくれ』

『いいのか』

 エースは無言で頷き、ラプトルコマンダーは一瞬だけ逡巡しつつも処置を始めた。火傷用の軟膏を塗り、血小板の働きを助ける人工皮膚を張って、そして包帯を巻く。これがサウロイド世界での戦場における火傷の応急手当である。

『しかし…どこから入ってきたんだ、ヤツは! ‟アレ”の親か?』

『‟アレ”?』コマンダーは包帯を巻くので視線を落としたまま、声だけで聞き返した。

『‟アレ”だよ。ホール3仮設基地から運び込まれたって言う検体さ』エースは苦痛に顔を歪ませながら言った。

『いや違うぞ』コマンダーは事も投げに言った。包帯を巻き終え、視線をエースに向ける。『ヤツこそが、その検体だ』

『なんだって!!?』エースは驚愕した。

 いや無理もない。エースが追ってきた‟アレ”が、あの巨大な宇宙人だというのだから。

『信じようがない…!』

『だから宇宙人なのだろう』

『しかし!脱走したとは聞いたが、大きさがまるで違うぞ』

 エースはなおも信じようとしなかった。

 

 エースがこうも頑なに信じないのは、実は我々とサウロイド達のサブカルチャーの違いによる影響が大きい。

 我々(人間世界)のサブカルチャー、たとえばマンガの中では物理法則は蔑ろにされがちであるが、特にエネルギー保存則と質量保存則はほぼ無視されているといっても過言ではない。


 たとえば人の平均的な一日の食事で得るエネルギーを2000Kcalとした場合、仮にそれを全てエネルギーに変換して目からビームを放つ事ができるできる超人がいたとしても、それは200リットルの水を10℃温めるだけのパワーでしかない。1Kcalは1リットルの水を1℃上げる熱量であるという定義は、その超人の能力をウンヌンする前に決まっている法だからだ。

 つまり人間と同じような生活(エネルギー摂取)をしてる超人が出来る事といえば、ビルを吹き飛ばすビームを放つ事でも空を飛ぶ事(※)でもなく、少し冷めた風呂を温め直すぐらいの事なのである。

 体の大きさも同じで、フィクションの世界では体が巨大化する事をさも些細な事としておざなりにしてしまうが、食べた質量より体重が重くなる事は宇宙の法として絶対に在ってはならない事であるはずだ。


 ――人間世界と違って、サウロイドの世界では娯楽作品の中でも上記のような科学的な常識は必ずと言って良いほど守られていた。というか、よほど幼児向けのものでなければ、気合一発で体を巨大化させるモンスターなどを出したら荒唐無稽だと笑われる文化を持っているのである。

 エースは科学者というワケではなかったが、そういう常識を持つ文化の中で育ってきたので、腕ほどの大きさだった‟アレ”がエイリアンへとしたという事を我々以上に、どうしても受け入れられなかったのである。


 『簡単に言いやがって…! なんて、あってたまるか』



 ※ちなみに完全なる余談だが…

 筆者自身「超人が空を飛ぶ」の件が気になったので計算してみた。


 スーパーマンが空を、例のポーズで時速300kmで飛ぶ場合を考える。

 このとき空気抵抗による減速度(後ろ向きの加速度)は色々調べたところ、ちょうど良く約10[m/s^2]ほどになるようだ。そしてここに重力、つまり同じ約10[m/s^2]の重力加速度(下向きの加速度)が加わるので、彼が水平に飛び続けるためには前方の斜め45度方向に10×√2[m/s^2]で加速し続ける必要がある事が分かる。

 とりあえず彼の体重を60kg(絶対にこんなひ弱ではないだろうが)とすると、1m飛ぶのに約840ジュール(60×10×√2)のエネルギー使うことになる。

 一方で人間の社会で普通に生きている彼が一日に摂取できるエネルギー、つまり食事の2000Kcalという熱量をジュールに変換すると、ちょうど8400000ジュールとなる。

 先の通り、1m飛ぶと840ジュール必要なのだから割り算して…諸々ざっくり10km飛べるという事になる。(意外に長い距離を飛べて筆者は驚いている…)


 ただし時速300kmで飛んでいるので、飛行時間はたったの2分だ。

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