第27話 進化史の一撃
エースは宇宙人の背中を捉え、足の爪を振り下ろした。
足の先端の速度は200km/hを超えた。爪を含む足首より先の重さを5kgと概算すれば運動エネルギーは約7500ジュール。ヒット後に一切の力を追加しないとしても、慣性だけでライフル弾を裕に超える破壊力である…!
しかし、宇宙人も一筋縄ではいかない。
宇宙人は背中越しにどうしてかそれを察知して、体を翻して回避と反転を同時に行ってみせた。やはり彼らの主感覚器官は視覚では無かったのだ――!
かわされる…!エースはそう直感した。
これは、一秒に満たない攻防である。
エースはこの蹴撃が外れる事を瞬時に理解した。この宇宙人の感覚器官は地球生物には及びつかない優れたものがあるようだ。
あるようだが、しかし――!
地球の生物には地球の生物で底力が備わっている!
アドレナリンだ。
それは脳のオーバードライブ。
知覚のアフターバーナー。その脳内麻薬は瞬時に神経系に広がって一時的に処理能力をブーストする。
一秒は何倍にも引き延ばされた。
もっとも、それに肉体はついていかない。筋収縮が素早くなるわけではない。アクチンとミオシン中で起きる化学変化の速度を変えられるわけではないのだ。
ゆっくりと流れる時間の中で、エースにはこの蹴りがハズレる事はわかったが、十分に加速されてしまった足を途中で止める手立ては無かった。
脳が肉体を凌駕してしまっている。
どうしたら…!?
そのとき(と、いっても0.3秒にも満たない刹那だ)エースは宇宙人の長い尻尾が取り残されている事に気付いた。
宇宙人はクルリと素早く体を反転させて回避を行ったが、その同じ角速度が長い尻尾の先端まで伝わるわけではない。尻尾は先端に行くほど体の回転に遅れて、鞭のように
そこだ!
彼は爪の先端が描く軌道を変えようと力を込めた。
運動はほとんど変えられらない。右足を右上から左下への振り下ろすという袈裟切り運動はそのまま、膝、足首、指先、全てを可能な限り捻って、その軌道を右上から右下への縦に変えようとしたのである。
もちろん狙いは回避の遅れた宇宙人の長い尻尾である。
右上から左下への斜めの斬撃は、途中で苦しそうに曲がり、右上から中央を取って右下へと三日月型の斬撃になって、尻尾を捉えた。
インパクト!
エースの足の爪は宇宙人の尻尾を貫き、それでも止まることなく爪の先端は鉄格子状の床にも突き刺さった。
爪は我々が想像するラプトルのそれである。
先端は鋭く、途中から太くなっていく形だ。それが深く突き刺さったというなら、宇宙人の尻尾はむろん切断されれる!
ただの蹴りの一撃だが、地球の生命の誇りがこもったような一撃だった。
石のように硬い爪という皮膚を形成する細胞、精密機械のように駆動する筋繊維、そして文字通り神が宿らんばかりの神秘の神経系、それぞれが完璧に調和してこそ、この蹴りは繰り出せる。礼儀を知らぬ異邦人に、地球の進化史を見せつけるような一撃であった。
ワインのボトルほどある千切れた尻尾の先端が宙に舞った。
宇宙人の、ぎゃあああ、という甲高いがしゃがれて太い、老婆のような悲鳴が基地の廊下に響き渡った。
宇宙人の血なのか、妙なにおいが立ちこめた。
また同時に、エースは何故か蹴りを行った右足に鈍痛ではなく焼かれるような痛みを感じていた。
だが、調べている暇は無い。少しも視線を外す事はできない。ただ尻尾の一部を切断しただけで、宇宙人に致命傷は与えられていないはずだからだ。
来いよ…!
エースは身構えたが、宇宙人の次の行動はそうではなかった。
怒りか闘志か、それどころかどこを見ているのか分からなかったが、ともかく宇宙人はいったん振り返り、シャーと蛇のように吠えはしたが、したのはその威嚇だけで、あっけなく逃走したのだった。
恐怖などの生命としての意識があるのなら、生物兵器ではないのか―?
むろんエースも後を追おうとしたが、踏み出した一歩目で右足が床に着いた時に謎の激痛が走り、怯んでしまった。
その隙に宇宙人は四つん這いになると、切られずに残った尻尾を象の鼻のように器用に使ってラプトルソルジャーの死体を掴むと、驚くべき俊敏さで闇の向こうへ姿を消してしまった。
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