第17話 サウロイド軍、立つ(後編)
『皆さんの知っての通り!』
あのサウロイドの青年将校が‟ホール”を背に、凛々しく声を張った。サウロイドの声は鳥の声がそうであるように、高音であるのによく反響した。
時はいま、彼らの言う作戦の当日を迎えていた。
『ここの核爆弾は攻撃用ではありません。…自爆用です』
基地の中枢である‟ホール”を抱えた大ホール(巨大な部屋という意味のHallだ。穴のHoleではない)にズラリと整列するサウロイドとラプトリアンの混成中隊。
…いや中隊というには、ほとんどが工兵のようだった。代わりに全員が宇宙服を身につけている。その服の、実に十四層になる布地の第一層目は白のポリアミド合成樹脂であり、尻尾を収める袖以外は人類の宇宙服と全く同じ構造であった。科学技術における収斂進化とでも呼ぶべきだろう。
この大ホールはバスケットコートを裕に2面は収められるほど巨大だったが、いまや寿司詰め状態である。部屋の中央にはもちろん‟ホール”があり、その前には整列した宇宙服の一団が総勢34名。さらにそれを取り囲むように基地の研究者や守備隊が150人以上、加えて将軍や小コンスル(副大統領や長官などに相当)達が20人ほどいたからだ。
さながら、恐竜人間達の卒業式のようである。
この式の主役である青年将校は部屋の中央の壇上に立ち、自分の背後にある‟ホール”を少しだけ眺めて間をとった。
‟ホール”の奥には月面が広がって、その先に別の地球が見えている。違う文明が栄えている地球である。
彼は振り向き直って、言葉をつづけた。
これからの作戦に恐れ慄いている、宇宙服の34人だけを彼なりの淡々とした口調で勇気づけた。
『敵の…今は端的に敵と言う事にしましょう…敵の侵入を許した場合、核爆弾が起爆します。敵がどんなに微力な戦力であってもです』
そう、このホールの四方全ての壁には核爆弾が敷設されているのである。
防音室の壁の穴のようなものだと思っていた模様はすべて、放射線の危険を示すハザードアイコンだった。壁の全面がビッシリと、ベータ崩壊を模式化したアイコンで埋め尽くされていた。(ベータ崩壊の模式図という違いはあるが、放射線の危険を示すためにアイコンを用いるといのは人間と同じ発想だった。もっとも、アイコンの色は彼らにとって警戒心を掻き立てる紫と黄緑で、人間の黒と黄色の物とは全く印象が違う)
『ここの守衛部隊は予備です。核爆弾が万一起爆しなかった場合の予備の戦力。ただその万一が起きなければ必ず死ぬ…決死隊なのです。それほどまでして、我々は何としても向こう側の世界の侵入を防がなければならない』
確かに、未知のウィルスなど可能性もある。未知の世界からの異物は核の炎で必ずや滅却する心づもりのようだ。
『核爆発が起きれば、たとえ山中での爆発であっても、イベリア半島は数十万年は死の半島になるでしょう』
いや、これは誇張である。たとえ核でも、それほどの被害はない。
『ですから、本作戦は救命のための任務なのです。命を救うための任務。ホールの向こう側に基地を建設できれば、ここの守衛部隊だけでなく半島に住まう動植物と未来の子供達を救う事になるでしょう』
そう、工兵が多いのはそのためであった。
彼らの作戦はホールの向こう側の出口、人類世界の月面にあるホール1†を掌握し、関所を作るつもりであったのだ。
『では未知への船出…です』
と、不意にこみあげてきた幾種類もの感情が彼の言葉をつまらせた。彼はこの段になってようやく、軍属としての責任感で忘れていた事実に気づいたのである。
それは本当に‟ホール”を肉体が通り抜けることができるのか…といった恐怖ではない。その感慨とは、神か誰かによる形而上の運命によって、奇しくも自分が今まさに歴史の先端に立っているのだというものだった。
嬉しさとも違う感情だった。ただただ「あぁ…そうか…」という陶然、いや呆然だけだった。コロンブスも、ガガーリンも任務から一瞬、心が離れたとき、そういう呆然を感じたに違いない。
『司令?』
隣の副官が間に耐え切れず、声をかけた。
『…作戦発動!』彼は形而下に戻った。
過去の偉人たちと同じだ。未来の凡人たちが歴史と呼べばいい。現在の私はやってみるだけだ。
『作戦発動!各員、予定通り作業に入ってください』
――――――
―――――
――――
飛行機の搭乗タラップのような車両が‟ホール”の前に進み出て、床から5mほど浮いている‟ホール”へと向かう短い階段を形成した。
監視・研究室()の中では研究員や技師達が慌ただしく動き出す。各監視室はこの体育館のような巨大な部屋を囲うように3カ所あり、それぞれまるで水族館の展示のように超硬ガラスで隔てられている。
それぞれがホールの状態について、最後の確認をし合っているようだ。
『次元跳躍孔は全軸とも安定』
『探査針打ち込み! …すべて問題なし』
『表面温度、0ケルビン。一切の零点振動を認めず』
『皮膜は依然としてプランク長を下回っています。異常ありません』
ガチャンという低い音をタラップが固定されると、特に重装備の一人の兵士が青年将校の前に歩み出た。
あらゆる計器に被われた特殊スーツで、歩くのがやっとという雰囲気だ。
容姿はもちろん分からないが、身長や尻尾の長さから人種(人ではないが)はラプトリアンだろう。歩くのもやっとという重装備だったが、その体からは緊張が見てとれた。
青年将校とそのラプトリアンの兵士は、人間でいう握手に相当する、お互いの首を指で撫でるジェスチャーをした。
それから青年将校が道を譲る形で横に退き、そのラプトリアンはタラップを登ってホールの中に入っていった。
その一歩一歩が重々しいのは全身の計器類のせいでないのは想像に易しい。
これが――
サウロイドの初となる有人によるホールの中への探査であった。
そして、かくもあっけなくというべきか、安全は証明された。
重装備のラプトリアンは‟ホール”の中に入り、そしてすぐに月の土を両手ですくって‟ホール”から戻ってきたのである。
わー、と歓声があがったが、それだけであった。
あっけないものだ。
地球が丸い事が証明されるやいなや、名もない商船が一斉に大航海に乗り出すように、宇宙服のサウロイド達は‟ホール”に飛び込んでいった。
そして予定通り同日中に若い青年将校を含む30人の中隊が月面に……いや人類世界の月面に侵攻する事になったのである。
もっとも、これらは月での出来事である。
人類側は妨害どころか知る由もなく、基地の設営は着々と進み、瞬く間に37ヶ月が過ぎた…。
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