第15話 サウロイド軍、立つ(前編)

『向こうの世界は2021年から2041年の間ですか』

『はい』

『誤差ですね』

『まさに、誤差です』

 宇宙の悠久の時間を考えれば10年の誤差は同じと言って差し支えない。空間次元XYZだけでなく時間次元Tもズレがないという事になり、つまりサウロイド世界と人類世界を繋ぐ「ホール1」は(X,Y,Z,T,P)の五次元のうち確率座標のPだけが少しズレた穴という事になる。


 彼らの会話の途中にあったように、確率Pの単位 ――距離であればメートル、時間であれば秒などだ―― をどのように定義すべきかは議論が続くところだが、それはいい。四次元時空を知覚する事がせいぜいの我々にとって理解の及ばない事だからだ。

 ともかく――。

 ともかく、いずれにせよ宇宙誕生時にできたエラーにより、無限に分岐していくパラレルワールドのうちサウロイドと人類という、ほんのが接触してしまっているのだろう。

 そう、ちょっとだけ違う世界だ。

 なぜなら、確率Pの値というのは強烈に作用するからだ。

 無限に分岐していくパラレルワールドの中には地球が丸々凍結している世界や、はたまた灼熱地獄、あるいはそもそも太陽系に地球が無い世界だってある。繰り返すが、これらのパラレルワールドは全く違うものに見えるが、太陽系全体の質量が変わったり、エネルギー量が変わる訳ではないので物理的には些細な差でしか無い。

 そうだ、に過ぎない。

 確率次元Pが単に我々の主観においてのみ強力な力を持っているというだけの話である。言い換えれば、我々の人生は少なくないレベルで運の力に影響されてしまうような脆弱なものなのだろう。

 運が向かず、作品を発表することなく死んだ文豪や絵画の名匠は、ごまんといた事だろう。彼らの作品は誰にも享受されることなく、いや存在に気づかれることなく確率の海の中を永遠に揺蕩たゆたい続けるのだ。


――――――

―――――

――――

 若いサウロイドの将校が現・平行宇宙隧道枢密機構(後世での通称を先にすると、ホール1基地だ)に赴任してから三日が過ぎた。


 ついにの日である。


 その作戦の予定日は快晴だった。

 基地のミーティングルームからは遺棄されたかつての大都市アクオルオ市が一望する事が出来た。朝焼けに染まる街は、まるで住民という血液をそっくり奪われたテュポノサウルスの群れのように立ったまま粛々と息絶えていた。


 作戦の前に少しだけ、この寂寞と凛然がない交ぜになった絶景がどのように生まれたか、この基地の成り立ちを説明しておきたい。

 基地の建設の物語は、もちろん次元跳躍孔が発見された事から始まる。

 後に「ホール1」と呼ばれる別世界への扉は、アクオルオ市のはずれ、上空425mで発見された。

 いつから在ったのかは不明である。

 ただホール1の向こう側、つまり後にホール1ダガーと呼ばれる事になる出口(人間世界の月面)の周辺に転がる骨の中に、新生代の初期の頃の翼竜のものがあったことから、3000万年前にはすでに在っただろうと推測された。空を飛んでいる最中にホールの中に飛び込んでしまったのだろう。

 サウロイドの航空技術が人類に遅れているわけではなかったが、しかし上空400mに在り、熱も電磁波も発しない半径3mの球体は存外発見できないものである。ホールが発見されたのは、つい5年前の事だった。

 しかも場所が不幸だった。

 アクオルオ市の人口は20万(※サウロイドは世界人口が1億である)を数えるイベリア半島最大の都市だったが、ホールの正体が判明するや否や住民は例外なく疎開を余儀なくされた。むろん経済的な損失は計り知れない。しかし当時の大コンスル(全国大統領。いま語り部として追いかけている、便宜上の主人公であるサウロイドの青年将校の叔父にあたる)はホールを大事業を断行した。

 英断であった。


 しかし、上空400mにある「ホール」をどうやってのか。

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