第7話 赤き竜、月に立つ

 事の発端は2029年6月、中国の有人月面探査だった。

 彼らはアポロ14号から、わずか1kmの地点に着陸した。


 なぜ14号だったかという疑問が真っ先に生じるが、中国政府の発表によれば特に大意は無いそうだ。この日の地球と月の位置関係として最適だったというのが彼らの発表である。なお実際はもっと高い精度で着陸する事もできたが、アポロ14号の残骸を傷つける事を危惧して1kmの余裕を持たせたそうである。それがハッタリなのか、本当にそういう誠意を持っていたのかは不明だが、ともかくだ。ともかく彼らはアポロ14号の着陸地点から1kmの距離に着陸すると、今度は着陸船から月面車を発進させた。月面車には男女2人のパイロットが乗り込み、アポロ14号へのを開始した。いくら礼儀を尽くしても地球であれば国境侵犯になるだろうが、ここは月面、そうした国際法は通じない。

 

 むろんこの様子は世界中に高フレームレート・高画質でライブ放送され、天文ファンにとどまらず多くの人々を熱狂させた。

 月面車はパレードでもするようにたっぷり10分をかけて14号の着陸船の残骸、そしてなにより半世紀を経てもなお健気に立ち続けるアメリカ国旗の前に到着した。国旗は容赦の無い紫外線と寒暖差にやられて、真っ白になっている。


 パイロットの男女は車両を降り、アメリカ国旗に深々とをすると(軍事行動ではないからではない。お辞儀だ)その隣に新品の中国国旗を突き立てた。モノクロの世界に鮮やかな赤が眩しい。しかもアポロの頃とは違う。最新の技術で耐久性に考慮して編まれたこの旗は一世紀は翻る事だろう。


 それから二人は二つの国旗をバックに記念写真をとった。

 ここで勘ぐり深い視聴者は膝を打った。どうしてサイズだけでなく男女用で宇宙服のデザインが違うのかと疑問に思っていたが、なるほど宇宙服越しでも性別がハッキリと分かる体型の男女が地球をバックに月の大地に立つ様は、まるで次世代のアダムとイブのように見えるではないか。

「月から見ると地球に国境はない」とか「アメリカの偉業をたたえる」といった彼らの台詞に嘘はないのだろうと思う。なかば感涙しているように声を震わせている。

 だがアメリカ国民の一部が、不快感を覚えるのも分かる放送だった。

 礼は尽くしている。だがボロボロのアメリカ国旗と新品の中国国旗を並べて、しかもその前でルーベンスをやられては腹を立てても仕方在るまい。


 最後に二人はもう一度、両国の旗に一礼すると足早に車両に戻った。現実的な話をするとボディラインを露わにするまで軽量化した宇宙服は積載する酸素が少ないのだ。急いで自分達の着陸船に戻らねばならない。


 着陸船までの帰路、その間さっそく地球では侃々諤々の物議が醸し出された。理由は上記の通りである。大分して純粋に偉業を湛えるべきだという意見と、冒涜だという意見だ。しかしその下らない争いは次の瞬間、一蹴された。

「那是什公!?」

 ―アレは何だ!?―

 ―What's That!?―

 ―ما هذا!?―

 ―저건 뭐야!?―

 その言葉は世界中の言語に同時通訳された。ただならぬ語気に放送を見ている世界中の人々が息を呑んだ。


 パイロットは、月にを見つけたのだった。

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