僕とがっかりイケメンの(非)日常
朝の日差しよりも眩しい白いセーラー服に紺のリボン。ひらひらとなびくスカートからのぞく白い足。新しい生活に期待と緊張を膨らませる少女たちが、この世の穢れ全てを浄化してしまいそうな笑みを振りまき、しとやかに歩いて行く。
その様は、もはや天使の行進。
天使たちが向かう先には、厳かにそびえる鉄の門。その両脇で口をへの字に佇む警備員が、いかなる男の侵入をも許さない。ここは地上に創られた楽園。この地域一帯のお嬢様たちが集う聖地、超名門私立女学院である。
――一方、その向かいで、彼女たちとは正反対に青白い顔で佇む学ラン姿の少年が一人。
彼の前には、廃校と見紛うほどのぼろぼろの校舎が。黒くくすみ、品の無い落書きだらけの壁。ガラスは砕け、枠しか残っていない窓。それは『悪の巣窟』とも呼ばれる不良の城。答案に名前を書けば受かるとされる私立男子高校だ。
少年は憂鬱そうにため息を漏らした。
気だるそうに通り過ぎて行く不良たちの中で、彼は浮いていた。彼はまるで普通だった。中肉中背、特徴の無い顔、地味な髪型。『不良』なんて単語とは無縁の平均的な容姿だ。場違いそのもの。
しかし、彼もれっきとしたこの不良高校の生徒だ。――今日から。
「どうせ、僕は目立たないんだ」
自分を勇気づけるように少年はひとりごちた。
そう、目立たなければ問題ないだろう。存在さえ気づかれないほど地味に生きていればいい。目を付けられなければ怖いことなどないはずだ。
その点、彼は有利と言えた。何もかも平均的な彼は、中学三年間、ごく普通に暮らした。名前を正しく覚えてもらうこともなく、いつだって「そういえばいたっけ」的な存在だった。同窓会に行っても、誰一人として彼のことは覚えていないだろう。
そんな自分から卒業しようとしたこともあった。だが、それも過去の話だ。
これからは今以上に平均的に当たり障り無く日常を送る。彼はそう決意していた。それだけが、彼が生き残れる道に思えた。目立たず生き、不良たちの注意を引かない。記憶に残らない存在のまま、三年間をやり過ごす。それしかない。
目標を再確認し、少年は一人頷くと校門をくぐった。
「おい、なんだよ、その頭はよ?」
校庭に入るなり、さっそく誰かが不良の洗礼を受けていた。
「一年だろ、お前。調子に乗ってんのかよ? あぁ?」
ほらみろ。目立つからそうなるんだ。
少年は同情の眼差しで、洗礼を受けている新入生をちらりと見やった。
「いや、これ生まれつきなんで」
新入生はあっけらかんとそう言ってのけた。
いやいや。天然パーマとかいうレベルじゃないだろ、そのリーゼントは。とにかく、巻き込まれないようにしなくては。
少年は気づかれないうちに、と顔を背け、そそくさと遠ざかるように歩き出し――、
「って……リーゼント?」
「あ! 鈴木じゃねぇ?」
少年――鈴木はぎょっと目を見開き、足を止めた。
「よう、お前もこの学校だったんだなぁ。奇遇じゃねぇか」
校庭に響き渡る野太い声。聞き覚えがあった。いや、というより、あのリーゼント……見間違うはずはない。
鈴木の顔色はみるみるうちに悪くなる。まさか……まさか、そんな……。
しかし、現実は確実に忍び寄る。その大きな影はやがて鈴木を覆った。
「卒業式んとき、さっさと帰りやがってよぉ。捜したんだぜ?」
がしっとつかまれる肩。もう逃げ場はないことを悟り、鈴木はおずおずと顔を上げた。
「あんときは悪かったな。失神したお前残して、さっさと帰っちまってよ。ずっと謝りたくてよぉ」
鈴木の頭上にのびたリーゼントは、たった一筋の光明をも遮るよう。
「よ……よっちゃんさん」
鈴木は泣いているのか笑っているのか分からない表情を浮かべ、よっちゃんを見上げていた。そんな鈴木に、運命のいたずらは容赦することなく、さらに追い討ちをかける。
「よっちゃーん!」
背後から、さらに聞き覚えのある声がした。それも、一つじゃない。
「悪い、寝坊しちった」
「って、あれ? 殿じゃねぇ?」
不安に押しつぶされそうになりながらも、カタカタとからくり人形のように鈴木は振り返る。
「やっぱ、殿じゃーん!」
「おはようございやーす!」
天をも貫く勢いでそそり立つモヒカン頭に、何かが惜しい中途半端なイケメン。
ああ、間違いない。はるちゃんと白井さんだ。卒業して一ヶ月にして、鈴木の目の前でラガーマンズ三人組の同窓会が実現した。
「いや、卒業式んときにお礼に伺おうかと思ってたんスけど……水臭ぇじゃねぇっすか。さっさと帰っちまって」
「ほんと、まじかっこよかったっす、殿。俺たちのために女相手にもドスをきかせるお姿!」
頬を染め、キラキラ輝く瞳で見つめてくる二人に、鈴木は「いやいやいや」と両手を猛スピードで左右に振った。なんだ、その尊敬に満ちた眼差しは? てか、なんで敬語? なんで殿!?
「これから楽しくなりそうだなぁ」
がはは、とよっちゃんは豪快に笑いだす。
「三人仲良くどんだけバカなんですかー!?」
同じ高校に進んでおいて理不尽な文句だとは分かっている。だが、そう叫ばずにはいられなかった。
「おいおい、シカトかぁ? ふざけんじゃねぇぞ」
不意に、怒りに震えた声がした。ぎくりとして振り返ると、よっちゃんに洗礼を浴びせていた上級生が目の前に――よっちゃんの背後に――ぬっと佇んでいた。血走った目に鼻ピアス、後ろで一つに結んだ長い黒髪。鼻筋が通り、狐のような印象の顔立ちは、どこか女好きの歌舞伎役者を思わせる。
その両脇には、双子だろうか、同じ顔をした短い金髪と銀髪の二人組。よっちゃん以上にがたいのいい身体をしている。眉毛はもはや無く、岩のようなごつごつとした顔だ。そして、彼ら三人の背後では、五人の男たちがこちらを睨みつけている。おそらく取り巻き連中だろう。
入学式の朝から見事に絡まれてしまったようだ。クラウチングスタートで地面に顔をつっこむくらいの、ひどいスタートだ。
縮み込む鈴木をよそに、よっちゃんは引けを取らない。「あぁ?」とガンを飛ばしている。やめてくれー! と鈴木は心の中で叫んだ。これ以上、刺激しないでくれ。さっさと謝ってくれ。
辺りにはすっかり不穏な空気が立ちこめて、ピリピリとした緊張感が漂っていた。新入生も上級生も、皆こちらの様子を伺っている。ケンカが起きようものなら、飛び込んでやろう、という意気込みが伝わってくる。辺りを見回しても教師の姿は見当たらないし、絶望的だ。
どうにかこの場を平和的に解決して、目立たない日常を始めなくては……いや、待て。これ――すっかり、注目の的になってない!? 鈴木はクラウチングスタートでアキレス腱を切ったことを悟った。
「先輩として、後輩の面倒はちゃんと見てやんないとなぁ。な、昴クン」
金髪銀髪の双子が声を重ねて、パキポキと指を鳴らした。
「手取り足取り、礼儀ってものを教えてやるぜ」
真ん中の男――どうやら、昴というらしい――は、うすら笑みを浮かべて、どこから取り出したのか、ナックルを右拳にはめた。
「てめぇ」と背後ではるちゃんが声を上げた。「道具使うなんて卑怯じゃねぇか。男のケンカは素手だろ」
「何言ってんだ?」蔑むような眼差しをこちらに向けて、昴は怪しげに笑う。「いかに道具をうまく扱うか。それも勝負の内だろう――がはっ!?」
悦に入ったような表情を浮かべる昴の顔に、ものすごいスピードで飛んで来た『何か』がめりこんだ。
「昴クーン!?」
直撃の勢いで背後に倒れた昴の身体を、双子と取り巻きが慌てて囲む。
「くっ」と昴は苦しげに顔をゆがめながら、傍らに落ちている『ある物』を睨みつけた。「なんで……国語辞典が飛んで来んだ?」
「国語辞典?」
双子はそろって訝しげに顔をしかめた。
いったい、誰が? その場にいた全員が、国語辞典が飛んできた方角へと視線を向けた。すると――、
「あんたみたいな猿、道具が握れただけでも大したもんよ。うまく扱う? 笑わせんじゃないわよ。進化論でも勉強して、六百万年後に出直しなさい」
天の声の如く、高らかな声が響き渡った。
「まったく……あんたってほんっと、絡まれるのが好きね。鈴木」
校門の前でパンパンと手を払う美少女。毒舌を吐く生き物とは思えない、あどけなさの残る純真そうな顔立ち。新品の白いセーラー服が目が眩むほどに眩しい。色は違えど、惜しむこと無くその白い脚を披露するスカートの丈は相変わらずだ。
「ふ、藤本砺波―!?」
「あの制服、まさか……あいつ、あのお嬢様高校に!?」
「いや、それより、隣にいるのは……」
振り返って目にしたものに、よっちゃんたちは口々に動揺の声を上げた。鈴木はといえば、もはや声も出せずに硬直していた。
不良たちの熱い視線を気にする様子もなく、砺波はウェーブがかった髪をはらうと
「じゃ」と軽く言って身を翻す。
「第一印象、きっちり決めなさいよ」
ぽん、と隣に佇む少年の肩を軽く叩いて、砺波は聖なる花園へと歩き出した。
「てめぇ、待て、この!」
無論、不良に国語辞典を投げつけておいて、穏やかに済むわけはない。昴は血を滴らせる鼻を押さえて立ち上がった。
「おい、あの女、捕まえろ!」
「おう! 任せろ、昴クン」
双子のかけ声に、取り巻きたちがいっせいに走り出す。
立ち上る土ぼこりにむせながらも、鈴木は思い出したように慌ててよっちゃんに振り返った。
「よ、よっちゃんさん! なんとかしないと……」
「なぁに心配してんだよ」
よっちゃんはいたって落ち着いていた。その余裕の笑みは、不安がる鈴木に呆れているようにさえ見える。
「いや、でも……」
「やめといたほうがいいぜ、センパイ」憎らしく言って、よっちゃんは昴を睨みつけた。「あそこに立ってるイケメン、見えねぇのか?」
「ありゃ、ウチの中学で有名だったイケメンでよ」
「関わらねぇほうが身のためってやつだ」
はるちゃんと白井さんの言葉に、よっちゃんは「そう」と勝ち誇ったように頷くと、ぎらりと鋭い眼光を光らせる。
「あれに関わると、『がっかり』することになるぜぇ」
「はあ? 何言ってやがる?」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せる昴だったが、すぐにその言葉の意味を悟ることになる。
「ぎゃあ!」
悲鳴とともにふっとぶ巨体。双子の片割れ、金髪の不良が天高く舞った。どすん、と地響きを起こしてその巨体が校庭に沈む。
銀髪も他の取り巻きたちも、何が起こったか理解できないようだ。駆け寄ることもなく、呆然と立ち尽くしている。
校庭は静まり返り、土ぼこりの中に佇む一つの影に視線が集中する。
予想通り、と言わんばかりの表情を浮かべるよっちゃんたち三人組。その傍らで目を丸くする昴――と、げんなりとする鈴木。
やがて、おほんと間の抜けた咳払いがした。
「どーも、初めまして」
土ぼこりがおさまると、スラリとした長身の少年が姿を現した。
イケメンという言葉さえ物足りなく感じさせる、端整で、それでいて愛嬌のある顔立ち。どこか日本人離れした白い肌に高い鼻。茶色まじりの髪はさらりと風になびき、くりっとした深みのある瞳は映ったもの全てを魅了することだろう。
少年は足下に落ちている鞄を拾い上げ、おもむろに中から三十センチ定規を取り出した。
校庭中の不良たちが息を呑んで見守る中、びしっとそれを竹刀のごとく構えると、
「藤本曽良だ、このやろー」
覇気の感じられないゆるい声で言い放ち、少年――藤本曽良はニコリと微笑んだ。
「夜露死苦」
「ふ……ふざけやがって! イケメンだからって、調子に乗るなよ!」
わっと不良たちの怒りの声が湧く。爽やかイケメンスマイルが、一瞬にして学校中の不良の反感を買ったようだ。
これはもう他人のフリをするしかない。それしか、生き残る道はない。鈴木はそっと顔を逸らし――。
「やあ、殿! おはよう。気分はどう?」
「!」
どういうタイミング!? ぎょっと視線を戻すと、あいつも仲間か? という不良たちの鋭い視線がこちらに集中していた。
この瞬間、見事な高校デビューを果たしたことを鈴木は悟った。
「最悪だ、このやろー!」
こうして、鈴木の『がっかりイケメン』との平均的な非日常が始まりを告げたのだった。
僕とがっかりイケメンの(非)日常 立川マナ @Tachikawa
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