【後日談】 富沢

 清楓さやかは電話をいきなり切られ、茫然と地下鉄の駅のホームに立ち尽くしていた。


 今日は大学の説明会で都内に出ていたのだが、台風の接近があるという事で若干早めの解散となり、丁度電車に乗っていたところ、窪崎くぼざきからの電話。滅多に彼の方からかけて来る事はないので、彼女は電車のドアが閉まる間際になって、慌てて降りて電話に出たのだ。

 久しぶりの彼の声にドキドキしたのに。


――ライザさんが、かけろって言ったからかけてきたの?


 クリップフォンを持つ手が少し、震えてしまう。


――ライザさんが切れと言ったから、切ったの……?


 電話の向こうで聞こえた声。英語だったが、将来研究者を目指すべく猛勉強をはじめていた清楓さやかには、理解できたのだ。


 心の奥から、ざわざわとした波が押し寄せて来る。少し体も震えてしまっていたかもしれない。泣くのは、家に帰ってからにしよう……。とにかくその決心で、次の電車を待っていたのだが。


『お客様にお知らせいたします。台風十三号の接近による豪雨により、地下区域が一部冠水したため、以降の運行を休止いたします、お客様にはご迷惑を……』

「えっ」


 周囲の乗客もざわめいたが、皆、それならタクシー乗り場に急がねば!といった風情で、次々とエスカレーターに向かって行く。彼女は人波に翻弄され、出遅れてしまった。


 駅から出ると、タクシー乗り場もバス乗り場もすでに長蛇の列だった。とてもじゃないが乗れる気がしない。三十分ほど並んでみたが、一向に前に進む気配がないのだ。

 彼女は駅に掲示されてる地図と路線図を見る。


――地下鉄はダメでも、大手町まで行けば他の電車が。


 すでに外はなかなかの暴風雨で、傘は役に立たない有様ではあった。夕方だが、夜のようにどんよりと暗くなり始めている。

 彼女は無謀にも二駅の距離をこの暴風雨の中、歩いて移動しようと思ったのだ。濡れて帰りたい気分でもあったから……。もしうっかり涙が出ても、雨に濡れていれば人にバレないし。


 バスやタクシーを諦めた人々が、同じ方向に向かっているのも見えた。その人の流れに乗るように彼女は歩いていたのだが、風にあおられて、よろよろと街灯のポールにしがみつく。


「うう、無謀だったかなあ、どうしよう」

「日夏君!」


 聞き覚えのある声がして、清楓さやかは振り返った。そこには、息を切らして、両腿に手を当てたまま俯き、とにかく呼吸を整えるのに必死な、見覚えのある眠たげな顔の茶髪の男が。


「と、富沢とみざわさん……!? 何故ここに」

「ぜぇぜぇ、はぁはぁ……」


 ポールにしがみついたまま、彼女は男が喋れる状態になるまで大人しく待っていた。息が若干落ち着いたのか、彼はばっと顔を上げ、ジャケットを脱ぐと、少女の頭からかぶせた。


「ああ、くそ、どうするか。今から車を捕まえるのも無理そうだし……」


 彼は周囲を見ながら、独り言のように言う。

 清楓さやかの頭には先ほどから?マークが飛んでいるのだが、彼はそんな事は気にする様子もない。


「仕方ない……」


 ぱっと富沢とみざわ清楓さやかの肩を抱くように引き寄せると、路地に彼女をいざなった。複雑で狭い都市部の路地裏は、風雨が多少はマシで、ずぶ濡れの彼女は、今頃になって体が冷えた故の寒さを感じた。そして、少し服が透けている。すでにずぶ濡れなのに、彼がジャケットを彼女にかけた理由に気付き、赤面した。

 複雑な通路を、慣れた感じで進む彼に、肩を抱かれたまま歩く。


「えっと、何処に行くんですか?」

「とりあえず僕の家へ。ここからなら歩いて行ける距離だから。とにかく台風が抜けるまではそこに」


 雑居ビル群を抜け、マンション等が増えるエリアに入ると、一階に複数の二十四時間営業の店舗が入ったそのうちの一つの建物に、彼は少女を伴った。エレベーターで十階まで上がり、そこから二部屋目の扉の鍵を、彼は手慣れた様子で開ける。


「とりあえず、タオル。あと着替えがいるか」


 彼女をリビングの入り口に残し、彼はパタパタと収納を開ける。

 この家は、ほぼ寝るためだけに使っているようで、家具も荷物もろくになく、清楓さやかの家に勝るとも劣らない殺風景さだった。台所は、明らかにお湯を沸かす程度にしか使ってなさそうで、油汚れひとつなく、生活感は皆無。だがなんとなく、富沢とみざわの香りがする気がした。

 初めて男性の一人暮らしの部屋に入った彼女は、好奇心から興味津々で、ずっとキョロキョロとしている。


「別に変な物はないからね! えっとこれ、着替えとタオル。シャワーを浴びてとりあえず温まってきて欲しい。そのままだと風邪をひく」

「あ、はい」

「クリーニングに出すから、濡れた服はそこの籠に入れて、廊下に出しておいてもらえるかな?」


 少女は背中を押され、脱衣所に押し込まれて、何も言えずにとりあえず彼の指示に従った。

 やがてシャワーの音がし始めた所で、リビングにいた富沢とみざわは、ほっと息をついた。


――参ったな……。


 とりあえず自身も濡れた服を着替え、廊下にだされた籠の中身を紙袋に突っ込み、一階の店舗群の中にあるクリーニング店に向かった。

 店員が出された服を改めていて、女の子の服からクリップフォンを見つけた。


「こちらがポケットに」

「あ、すまない紛れこんでいたか」

「四時間後の仕上がりになります」

「よろしく頼む」


 いつも変な時間にクリーニングを依頼して来る客だったので、店員は彼をよく覚えていたが、女性の服を持ちこんだのは初めてだった。常連の彼は気さくだったし、深夜に働くこちら側への気遣いも見せてくれていたので、この店員も彼には好意的である。


――頑張ってくださいね!


 等という心のエールが、富沢とみざわの後ろ姿に送られた。少し勘が良い程度とされる、低ランク非接触テレパスの彼はかすかに、応援された気がする、程度は感じ、気恥ずかしくなる。受け取りの際には、店員が交代している事を期待したい。


 エレベーターに向かっている時に、彼女のクリップフォンに電話がかかってきた。画面を見ると”ポチ”という文字と共に、犬のイラストが浮かび上がる。富沢とみざわは目を細めてそれを見ると、ロックのかかってないその彼女の電話に出た。


清楓さやか! さっきはすまん』

「おいこら、窪崎くぼざき

『……!? 富沢とみざわ、なんで』


 眠たげな男は、エレベーターには乗らず、通路の端に寄って壁にもたれた。


「おまえだな、彼女にいきなり電話をかけたのは」

『いつかけようが、俺の勝手だ』

「丁度いい、おまえに伝えたい事がある。彼女がAランクであることを上に報告した」

『なんだって!おまえ……』

「某国が、Aランク者の存在を知ったようだ。おそらくあの時、現場にいた警察官あたりから漏れたんだろうな。三名程があの場で、彼女の力を見てる」

『口止めしなかったのか』

「もちろんしたさ。まあ、そういう訳で、彼女に護衛を付ける必要が出てしまった。こうなると僕一人では、対処のしようがない。報告をして、業務として取り扱うしかなかったんだ。先週から誘拐の危険ありという事で護衛をつけたんだが、今日は彼女が電話に出るために、発車直前に電車を降りてしまって、護衛が撒かれた状態になった。だから僕が代わりに来た」

『それは、ご苦労さま、だな。すまん』


 護衛していた者達からの連絡を受け、即周辺の防犯カメラの映像を漁り彼女の居場所を必死に追った。普段から人混みの中に無意識に彼女の姿を求めてしまっていた彼にとって、群衆の中から目的の一人を見つけ出す事は容易である。PSI管理局サイかんりきょくと彼女の降りた駅が、一駅の距離しかないのも助かった。


「こっちは今日、台風で嵐だ。もう外を歩かせるのは危険と判断して、僕の家に来てもらってる。今はシャワーを浴びてる」

『手を出すなよ!』

「出す訳ないだろう、おまえじゃあるまいし」

『くそ……!』

「そういうわけだから、窪崎くぼざきはそっちの作業をとにかく急いでくれ。こちらはこちらで何とかする。いいな?」

『……わかった』


 渋々といった様子の返事を聞いて電話を切るとエレベーターに乗り、自室に向かった。


――手を出すわけにはいかないが。


 多少の役得程度はあってもいいのではないか? という思いも脳裏をかすめ、慌てて頭を振ってその考えを追い出す公務員であったが、家に戻るとちょうど彼女がタオルをかぶりブカブカの彼のパジャマを着て、浴室から出てきたところだった。


――やばい。かわいい。


 いわゆる”彼シャツ”の、攻撃力は高い。富沢とみざわは体格がいい方ではないが、それでも彼の服は彼女にはブカブカだ。袖からは手が出ていない。


「お風呂ありがとうございます、あと着替えも」


 体は芯から冷えていたようで、今のポカポカ感が心地よい。

 牛乳を温めてもらい、砂糖もたっぷり入れてもらって、くぴくぴ飲んだ。二人で、台風のニュースを見て、一緒にゲームを遊んだりもして、楽しい時間を過ごしていたのだが。


――メッセージ、くれるって言ったのに、届かないな。


 この事を、彼女は不意に思い出してしまった。窪崎くぼざきは再度の電話をした事で、約束を果たした気にすっかりなって、研究に没頭していたが、その電話に出たのは富沢とみざわである。彼の連絡は、彼女のあずかり知らぬ所だった。

 清楓さやかは急に、辛い気持ちがこみ上げて来て、突然涙を落とし、富沢とみざわを驚かせる。


「日夏君、どうしたんだ」

「ポチの馬鹿ぁ、メッセージくれるって言ってたのに」


 ひっくひっくと子供のように泣き始めた彼女を見て、富沢とみざわは慌てて彼女を抱き寄せ、背中をポンポンと叩く子供のあやしモードで対応した。


「ああ、そうだ。窪崎くぼざきから電話があったんだよ、君がシャワーを浴びてる時に」

「え?」

「また連絡、してくるさ」


 窪崎くぼざきのフォローをするのは、なんとも悔しい気もしたが、彼女の涙を止める事を富沢とみざわは優先した。

 だがしかし、抱きしめて背中を叩くのは続けた。


 ひとしきりそうしていると、彼女が寝息を立て始める。台風は抜けたようで雨の音がしなくなり、クリーニングも仕上がったであろう時間だったが、スヤスヤ眠りはじめた彼女をわざわざ起こすのもどうかと思え、そのまま抱き上げるとベッドにその体を横たえた。

 しばしその横で寝顔を見ていたのだが、彼女の規則正しい寝息につられ、うっかり彼もその場で眠りこけてしまったという。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る