第2話 病篤し


 清楓さやかは、何故自分が病院にいたのかわからなかったし、富沢とみざわがいつ来ていたのかも知らなかったので、三人に見下ろされている事にとにかく驚いていた。

 少女があまり自分の病状を知っている様子ではなかったので、三人はとりあえず相談し、彼女に今日の事は伏せて主治医の診断を仰ぎ、医師の方から事実を告げてもらう事にした。


 きょとんとした顔で、三人の顔を一人ずつ見てから彼女はやっと疑問を声にした。


「あれ? なんで私、こんなところにいるの」

清楓さやか、びっくりしたよー」


 真友まゆが、いつものような明るい口調で声をかけると、少女は体を普段のように起こして、ベッドに座るように姿勢を変えた。特に問題のなさそうな普通の動作で、三人は揃って安堵の表情を浮かべる。


「すまない、私が乱暴に突き飛ばしたからだ。痛む所はないかね」

「あ、はい」

「もう帰宅していいらしいから、送ろう」


 富沢とみざわはそう言うと、清楓さやかを掬い上げるようにして抱き上げた。


「きゃっ、歩けますけど」

「無理しない方がいい、救急車で運ばれたんだぞ」


 車まで抱きかかえられたまま運ばれ、彼女らは真友まゆの家の車でマンションに戻って来た。


真友まゆはここで彼女についていてあげなさい。パパは少し行く所がある」


 そう言うと新里にいざとは、車に戻って去って行った。

 富沢とみざわはここでも部屋まで清楓さやかを抱きかかえて運び、真友まゆが寝室に先に入り、ぱっと布団をめくり上げたので、続けてそこに少女をそっと横たえた。そして首元まで布団をかける。


「具合はどうだ?」

「元気いっぱいですけど……」

「ねえ清楓さやか、なんでソファーをあんな狭い部屋に突っ込んでるの?」

「あ、それは、あれなの、模様替えしようかなって」


 男に振られて、自棄やけになってやったとは言えなかった。


「どう変えたかったんだ?」

清楓さやかったら、引きずったんでしょ? 床に傷が入ってるわよ」

「とりあえず寝てろ、適当に良さげにしておくから」

「あ、はい、お願いします」


 何故、富沢とみざわがいるのかわからなくて、素直に従う。一旦、寝室のドアは閉められた。

 富沢とみざわは上着とジャケットを脱いでダイニングの椅子に投げ置くと、袖をまくり、真友まゆとソファーの移動をした。


「おにいちゃん、もうちょっと右がいいわよ」

「こっちか?」


 当然のように”おにいちゃん”と呼ばれている事に、彼は時間差で気づき、少し恥ずかしそうな顔をした。

 そして真友まゆは、カーテンをめくって外を見ているような柴犬の大きなぬいぐるみに目を向けた。


清楓さやかったら、こんなの持ってたんだ。これ、どっかの遊園地のマスコットキャラじゃなかったかしら」

「なんでこんな変な飾り方をしてるんだ」

「とりあえずキッチンを借りてお茶を淹れるわ。一息つきましょ」

「そうしようか」


 彼はそのぬいぐるみを抱え上げ、軽く寝室のドアをノックして入ると、ベッドに大人しく横になる少女に、それを手渡した。

 受け取った少女はそれを、ぎゅーっと愛おし気に抱きしめる。


「……何故、日夏君がライザを知っているのか、聞いてもいいかな?」

 

 少女は少し上目遣いで、ぬいぐるみを盾にしながら躊躇した顔を見せた。


「あの、怒りません?」

「怒られるような事をしたのかな?」


 富沢とみざわは、そう言いながらも叱るような態度ではなかったので、少女は窪崎くぼざきと最初に出会った日の事を、正直に告白した。それを聞いて、富沢とみざわは苦笑した。


「あれは君の仕業だったのか」

「ごめんなさい、彼がそういう事をしてる人とは思ってなくて」

「まぁ、済んだ事だし。ところでライザがその後、どうしたんだ」


 なんとなくおかしい、と言う理由だけで告げるには、相応しくないと思ったが、窪崎くぼざきが、強制的に連れ去られたような気がするという疑念を伝えた。


「あの男の研究は何だったんだ」

「超能力は進化ではなく退化だから、人類全員に高ランクになりうる素養がある、というものでした」

「なるほど……」


 お茶が入ったと呼ぶ真友まゆの声がした。


「起きられるかな」

「あの、もう本当に歩けますからね!」


 抱き上げられるのは流石に、恥ずかしくてたまらなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 柏ひなつこども病院に到着した新里にいざとは、院長との面会を求めた。約束をしていたわけではないのに、すぐに会ってもらえる事となり、案内されるまま応接室で、ソワソワとしながら彼を待つ。


 程なくして老医師が応接室に入って来ると、新里にいざとは立ち上がり、頭を下げた。


「今まで、失礼な事を」

「どういう心境の変化でしょうか、新里にいざとさん」


 促され、お互いがソファーに同時に腰を下ろす。


「長い間、娘は必要のない手術をされてしまったのだと思い込んでおりまして。そうではなかった事を今日になって知り、謝罪をさせていただけたらと」

「あなたのように視野の狭い、無知な患者やその家族が、医療の進歩を妨げるという事は、ご存知だろうか」

「それは、まことに不徳の致すところ」

「随分と、献金にいそしまれていたようで。そのような時間があるなら、病気について学んでいただきたかった」


 新里にいざとは日夏憎しのあまり、多数の国会議員に献金を続け、次の手術の認可が下りる事がないよう、画策し続けてきていた。不要な手術を人体実験の如く行う医師は弾劾されるべきであり、それが、正義だと思っていたからだ。


「誤解があったと思っております。それが無くなった今となりましては、このような事は二度とないでしょう」

「それは、ありがたい。今、入院している子供達に、チャンスが生まれる」

「お孫さん……は?」

清楓さやかはもう十七歳。もう移植を受けられる年齢ではない。あの手術で効果があるのは、八歳が上限と言われている」

「そんな」

「謝罪は受け入れた」


 老医師は立ち上がる。


「ご足労頂き、感謝する」


 それだけ言い残すと、静かに部屋を出て行き、座り込む中年の紳士だけが応接室に取り残され、同時に携帯電話に真友まゆからメッセージが入り、今夜は親友のところに泊まるので、迎えは不要という連絡が入った。


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