第7話 退路は断たれて


 公園から元恋人同士とそのほかの男達は、港の倉庫に移動していた。

 冷たいコンクリートの床と研究のための機材が仮設的に並ぶ倉庫の中で、窪崎くぼざきは一人椅子に座る。座らされていると言った方が正しいだろうか。


「やだ、そんな怖い顔をしないで。あなたと私の仲じゃない」

「こいつらは何なんだ」

「北海道の研究所のお友達よ」

「小樽の連中か」


 人体実験も辞さない、薬品開発が主力の研究所だという印象が彼にはある。


 小樽阪上研究所。


 大手製薬メーカーと関係があり、その製薬メーカーは一部の政治家とのつながりが深いなど、黒い噂も絶えなかった。昨年起こった薬害も、有耶無耶にしようとしていると話題にもなっていたし。

 この研究所は不老不死の薬を作ろうとしているとか、死者を蘇らせる薬だとか、胡散臭い研究も聞かれ現代の錬金術師アルケミストとも言われる。ただ実力が伴っているという話は聞かない。しかし発想がとにかく突飛で奇抜でその結果、稀に売れる物を生み出しているという感じだろうか。


「あなたの研究成果が欲しいの、何処にあるの?」

「それは俺が聞きたい。消したのはおまえだろう」

「バックアップの痕跡があったのよね」


 女は椅子に座らされ、後ろ手に縛られている窪崎くぼざきのまわりをゆっくりと歩く。


「お前は何をやろうとしているんだ」

「私は昔に戻りたいだけ、マサともね」

「北海道の研究所がどうして俺の研究を欲しがる」

「あなたの理論なら、Aランクが作れるでしょ? 試したくなるじゃない。もし成功すればあなたの理論が証明されるわけだし、協力してくれても損じゃなくない?」

「とにかく、データは俺の手元にない。あるなら、その在り処は俺が知りたい」


 女は鼻白んだ様子で、後ろに立つ白衣の髭の男は女を睨む。話が違うじゃないかと言いたげだが、女はその視線を殊更ことさらに無視した。


「あなたの頭の中には入ってるでしょ?」

「実験や調査の数値まで覚えているものか」

「ここでゆっくり思い出すといいわ、気が変わったらいつでも」


 ライザと数人の白衣の男達が連れ立って倉庫を出て行くのを、窪崎くぼざきは憎々し気に見送るしかなかった。


「くそ、参ったな」


 ライザは窪崎くぼざきを引き寄せる時も袖を掴み、彼の体に触れる事はなかった。接触テレパスである彼と触れる事を当然のように避け、とにかく心を読まれまいとする相変わらずの女に失笑が漏れる。


――何が元に戻りたい、だ。


 そして最後に見た清楓さやかの辛そうな顔を思い出すと、切なくてたまらない。正直彼としては、自分がこのような感情をあんな子供に抱くようになるとは思ってもいなかった。目的のためには手段を選ばない彼であったが、彼女に対してはその意思が揺らいでしまうようになって。


 目的より、まず彼女を優先したくなる。


 無事に帰ってくれていればそれでいい。自分が彼女に並々ならぬ感情を抱いている事を知られれば、彼女も人質として巻き込まれるのではないかと思い咄嗟に手を離してしまったが、その時の少女の表情が忘れられない。泣いているかもしれないと思うと胸が痛むが、今の彼にはどうしようもなかった。


「さてどうするかな……」


 正直なところ逃げ出す手段も外部と連絡を取る手段も思いつかず、彼等の要求を受け入れるフリをしつつチャンスを待つしかないように思われた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 正月早々、相変わらず深夜まで仕事をする富沢とみざわに、局長の時田は心底呆れた声をかけて来た。そういう彼も正月早々に出勤しているわけだが。


「おまえ、本当に仕事が好きだな」

「好きでやってるわけじゃないですよ。あるから、やってるんです」


 面倒臭そうにキーを叩いて、最後にリターン。


「局長、何やらヤバそうな薬物が、出回ってるみたいですよ」

「どうヤバイんだ」

「ストレス解消サプリとして出回ってる奴が、超能力を一ランク引き上げる効果があるとかないとか」


 頭を少しだけ背後に向け目線を上げて後ろに立つロマンスグレーの上司に言い放つが、他の局員からも報告を受けているはずの時田が、まるで初めて知ったかのようにうそぶく感じが富沢とみざわの気に障った。


「上から、何か命令でも?」

「お前は本当に優秀だな、中間管理職の辛い所だと思って欲しい」

「まさか、国が絡んでるとか言わないでくださいよ」


 生真面目なこの男はこういう時は目障りだなと時田は思ったが、実際、時田の個人感情としては許せない事態ではあった。


「秘密裡にAランクが欲しいという願望は、一部の政治家にはあるようだな。だが国がそれに向けて動いている訳ではないと思う。あくまで一部だろう、流石に」

「だからと言って、市中に流しますかね、普通」

「病院や大学での実験を超能力学会と医学会に断られれば、それしかあるまい」

「あの学会に、そんな良識があったとは」


 富沢とみざわはモニターの電源を切ると、席を立って伸びをした。


「やっと帰るのか?」

「仮眠室ですよ、今夜はもう」


 流石に欠伸あくびが出る。それを見て、シワを刻んだ彫りの深い顔がほころぶ。


「おまえはいつも眠そうだが、本当に眠い時の方が目が覚めてる顔をしてるのが面白いよな」

「そんなところを面白がらないでください、気にしてるんですから」


 再び伸びをして、彼は仮眠室に向かった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 夜が明けた。


 泣きすぎたせいなのか少し頭痛がし、涙で水分を出しきってしまったのかひどく喉が渇いている。

 水を飲みに行こうと彼女はベッドから体を起こし、いつものようにスリッパに足を入れ立ち上がろうとしたのだが、全く膝に力が入らず崩れ落ちるようにペタリと床に座り込んでしまった。


「あ、あれ?」


 何度も立ち上がろうとしたのだが足に力が入らない。恐る恐る手で足に触れてみると手が触れた感触はある。しばらくすると、立てそうな気がしてきて、足に力をいれると普段のように立ち上がる事が出来た。

 その後は歩いても何の問題もなく、今のが何だったのかわからなくて怖いがとりあえずキッチンに行って水を飲む。いつもの通り、決められた薬も飲んだ。


 足に力が入らなかった事を祖父に伝えるべきではないかと脳裏をよぎったが、どうせ心配などしてくれないしと思い、そのまま言わずにいる事にした。毎夜送っていたメッセージも夕べは送らなかった。もう送るつもりはない。本当に見ているかどうかも怪しいと思えてきたし。


 顔を洗って着替え、殺風景なリビングを見る。

 一人ぼっちの自分に相応しい部屋ではないかと、改めて思ってしまった。


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