第4話 過去は痛みを伴って


 大晦日。


 清楓さやかはあまり気は乗らなかったが事前に連絡を入れ、祖父の都合を確認し面会の予約をしてから院長室の扉の前に立っていた。大晦日なのに、彼は今日もここにいる。


 どう切り出せばいいのかわからずノック代わりのインターフォンのボタンも押せずにいたが、ここに立っていても何も始まらない。

 何度目かの深呼吸の後、約束の時間ぴったりにボタンを押して名前を告げると静かに扉は開いた。眼前に広がるのはいつもの圧迫感のあるキャビネットと本棚だらけの部屋。

 そして同様に、机に向かって堂々と座る祖父の姿。


「おじい様、お久しぶりです」

「そこに座れ」

「……はい」


 院長の机の真正面にはまるでこれから面接でもするかのように椅子が一脚、準備されていた。面接ならいいが尋問されるような気さえする。聞きたい事があって来たのは彼女の方だったのだが。

 富沢とみざわとの会話で、どうしても知りたい事が出来てしまった。事務の人に聞けるような内容ではなく、祖父に聞くしかない事を。


「今日は何の用で来た」

「お父さんは、どうして死んじゃったのかなって?」

「聞きたくなるような事があったのか?」

「昔あった、病院内の超能力暴走事故の事を聞いて、私が入院してた時期だったから、もしかしてお父さんなのかなって……」

「おまえがやった訳ではないと、言っただろう?」

「じゃあ、誰が?」


 祖父の言葉に被せるように、清楓さやかは叫ぶように言った。


「聞く覚悟があって、ここに来たのか」

「はい」


 真剣な目線で祖父の迫力に負けじと、膝上で握る手にも力を籠める。

 祖父は椅子から立ち上がるとキャビネットの端に積まれた小さな小箱を開き、その中から一枚の写真を取り出して彼女に突き付けるように見せた。


「これが、お前の父だ」


 彼女はその写真の顔を見る。見た瞬間、頭の中で何か弾けた。

 体格の良い、黒縁眼鏡の白衣の医師。


 あの日。


 深夜。


 六歳だった清楓さやかは、隣のベッドから藻掻くようなシーツの擦れ合う音を聞き目を覚ました。薄暗いが、真っ暗になると子供には危ないので黄色のライトが足元から僅かに照らし、暗闇に目が慣れていれば顔の判別が出来る程度には明るかった。


 四人部屋の病室に彼女はいて、対面のベッド二台は空いており隣は同じ年齢、同じ病気の少女が使っている。

 藻掻いているのはその隣の少女で、その少女を藻掻かせていたのは体格の良い黒縁眼鏡の白衣の男。彼は少女の首を絞めていた。


「お、お父さん?」


 目をこすりながら声をかけると、男は我に返ったように腕の力を緩め、ゆっくりと清楓さやかの方を向いた。


「さ、さや……」


 苦しさから僅かに解放された隣のベッドの少女は、パニックになったままその超能力を、自分の首を絞めていた恐怖の対象を追い出したいがために、ほぼ反射的に使った。



 幼い少女の、つたない力。

 行先をコントロールの出来ない「触れた物を飛ばす」という物質テレポート。自分の持ち上げられる重量が限界で。

 体格の良い大人の男性全体を飛ばす事ができずに、その前面半分だけを何処か遠くにふっ飛ばしてしまった。


 薄暗い部屋に散る血は、黒く見える。


 それは清楓さやかの顔に、数滴散った。


 床に倒れる、残った部分。表現しがたい、音がして。


 隣の少女と目が合う。

 お互い、茫然と。


「ま、真友まゆ……?」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 どれくらいの時間、過去の記憶を見ていたのだろう。


 祖父は彼女が過去から戻って来るのを急かしもせず、じっと前に立って待っていたようだった。

 清楓さやかの目線が写真から自分に戻った事を確認して、口を開く。


「おまえの父を死なせたのは、おまえが親友と慕っていた娘だ」

「お父さんは、なんで、真友まゆにあんなことを」

「順番のため。彼女が死ねば、次はお前の番だった」

「何の順番?」

「移植順位だ」


 老医師はキャビネットから分厚いフォルダを取り出した。数枚のデータディスクを取り出すとタブレット型の端末に差し込み、画面を開いて少女に見せる。


「ヴィルケグリム症候群を完治させる、現在唯一の方法。脳の神経幹細胞の生体移植という手術だ。これを行えば、今お前が飲んでいるような毎日の薬は必要なくなるし、超能力を使った時の脳内出血の心配もない」

「そうなの?」

「だが、ドナーは滅多にいない。おまえの父は、この病気からおまえを救うために、清楓さやかに手術を受けさせたがっていた。反面、新里真友にいざと まゆの両親は、手術に反対していた。倫理に反するからと」

「それなのに、真友まゆだったの?」

「決められた順番を、動かすのは許されない」


 あまりにもかたくなな、臨機応変と言う言葉を知らないかのよう。自分がその手術を受けたかったわけではないが、反対する患者に施すのは。そういう感情が清楓さやかの胸中をざわつかせる。


「順番を狂わせると、二度、三度と狂わせる事が出来てしまうからだ」


 祖父は清楓さやかに背を向ける。


 最初に決められた順番を守るべきだと彼は言う。もし、それを情愛という不確かな物で変えてしまえば、次の手術は金を多く出したものが順番を奪うという事が出来るようになってしまう。

 貴重な手術の機会を、症状の重篤度で定めた順番以外の要素で狂わせる事は、将来を見据えると到底出来ないのだ。

 最初の一例目をその前例にするわけにはいかなった。


 医師として、患者の完治は嬉しい。それが自分の家族であるなら喜びも更に大きい。だが未来を思えば。

 権力者や裕福な者だけが受けられる手術にするわけにはいかなかったのだ。


 真友まゆの両親も、最初はどんな方法であっても完治させたいと望んでいて手術に応募した。そして最も症状が重く、手術が優先されるべき患者として彼女が選ばれた。

 だがドナーが見つかり実際の手術が決まったその段階になって、やっぱり嫌だと言い始めたのだ。


 清楓さやかにはどちらが悪いとも言えないこの現実に、言葉を失うしかなかった。祖父の言い分も理解でき、真友まゆの両親の心情も理解できる。


 そしてもう一つ分かった事は、真友まゆ清楓さやかから離れた理由。彼女は自分が親友の父を殺めた事を知ったのだ。そして、手術を強行した祖父に対する彼女の両親の憎しみも。


 その結果だったのだと。


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