第2話 智者


 気まずい時間が続く。

 ソファーの端と端に座る二人。


 大人の窪崎くぼざきの方がこの空気感を解消すべきなのだが、今の彼の知性は精彩を欠く様子で八歳年下の女の子に対し何と言葉をかけるべきか思いつかずにいる。状況を動かしたのは少女の方だった。


「ねえ、ポチ」

「なんだ」


 少女はじっと窪崎くぼざきの方を見るが、まだその瞳が潤んでいるしまたすぐに泣きだしそうに少し揺れてもいる。

 ソファーの端から中心まで少女は移動してきたので、少し距離が縮まる。見上げるような仕草をして何か言いたそうで言えずにいる様子でしばしいたが、おずおずと右手を窪崎くぼざきに差しだして来た。


「心、読んでもいいよ?」


 口にするのは恥ずかしいから自分で見てくれ、という事のようだった。その意を組んで男はその手を取る。


――好きって言ったら困るよね?


 窪崎くぼざきがそれに対しストレートに困惑した顔をしたのを見て、彼女はパッと彼から手を離した。


「すまん」

「いいの、なんかそんな感じだったから」


 彼女は勢いをつけてソファーから立ち上がり、ローテーブルに膝をぶつける。


「あいたっ」


 どうにも彼女は動きが不器用である。ドジだからとか運動神経が鈍いというには、違和感がある程に。

 ぶつけた足をしばしさすってから、パタパタとキッチンに向かう。


「コーヒーでいい?」

「あ、ああ」


 再びの気まずい静寂の中、お湯の沸く音とカップを出す音、コポコポと淹れる音が続く。


「砂糖とミルクは?」

「甘めでミルクなし」

「甘いのがいいんだ」


 ちょっと明るい楽し気な声になっていた。戻ってきた彼女は、直接カップを窪崎くぼざきに手渡すと、またソファーの彼の隣に座った。


「甘くしたよ?」

「いい甘さだ」


 熱さを気にせず飲みながら答える窪崎くぼざきだったが、砂糖は清楓さやかの二倍量。


「ポチの研究してる理論って何なのか、聞いてもいいもの?」

「面白くはないと思うが、聞くか?」

「うん」

「俺の理論では、超能力は進化ではなく、退だ」


 少女はびっくりした顔で、窪崎くぼざきの顔を見る。そんな理論を言う学者は見た事がないからだ。


「どうして、そう思ったの?」

「進化とするには、急過ぎる。過去にそういう能力を持っていて、進化の過程で失った物が戻って来たという方が自然だと思った」


 確かに進化というのは代を重ねて徐々に変化していくものだ。超能力はすでに大人だった人間にも、生まれたばかりの人間にも、まるで突然沸いたように発現したと言われている。


「きっかけは定説にあるように、ウィルス感染だと思う。そこで脳細胞の一部が変質し、失っていた機能を取り戻したのではないかと思ったんだ」

「どうして進化の過程で、超能力を捨てたんだろ。生存競争的にはあった方が有利じゃないの?」


 清楓さやかが本当に賢くて、窪崎くぼざきは驚く。


「使いこなせればな」


 現代人の知能と理性があっても、コントロール出来ない事も多い力だ。本能だけで生きているような動物の状態で、扱うには厳しすぎる。


「超能力を使わないようにして、知能の方を進化させる方に?」

「というか、超能力が暴走するような個体は、早々に死に絶えたんだろうな。超能力をコントロールできる知性と理性のある個体が生き残ったんだと思う。超能力をコントロールするために、知能を発達させるしかない、という感じだ。だがある程度の知能がつくと、超能力がなくても生存可能になって、わざわざ使う事もなくなって能力を失って行ったんだろう」

「なんだろう、それっぽいって思っちゃうね」

 

 少女は笑いながら答えた。


「ただ、証明は難しいな。あと、退化と聞くと、気分を害する人間も多い」

「進化って言った方がカッコイイから?」

「そうだな、そうかもしれない」


 窪崎くぼざきは、久しぶりにいつものように笑った。


「もし、退化だとしたらどうなるの?」

「進化が善で、退化が悪というわけではないと考える。生物として、今後の生存に必要という反応の結果だからな。自分の持ってる財産を、必要な時に出すというのは当然だろうし」


 清楓さやかは口元に手を持っていくと考えを深めている様子で、窪崎くぼざきの定説でない理論を素直に受け止め思索を深める少女に彼は再びではあるが彼女は研究者向きだと感じていた。


「超能力は強くなった方がいいの?」

「それは難しい所だな。扱う能力が上昇し、制御できる方向性に向かうのは良い事だと思うが、強力になるだけだと……」

「暴走したとき、怖いね」

「あともし退化だとしたら、人類すべてに同じランクの素養がある事になる」


 進化だとこれから生まれて来る子供が強力になっていく可能性があるだけに留まるが、もし退化なら今いる人間全てが同ランク強力になる因子を持つ。それがAなのかBなのかはわからないが、現在の最高がBという事は、今はEの人間も最低でもBランクの素養は存在する事になる。

 もし何らかの方法でそれを引き出す事が出来るとしたら。


「そういえば、超能力の暴走事故や、事件が増えてるって聞いたけど」

「何かろくでもない実験を、してるやつがいなければいいがな」

「ポチみたいな人が他にもいるの?」

「流石に俺は、ろくでもない実験はしてないぞ」


 憮然と答える男に、少女はくすくすと軽やかに笑った。

 その笑顔がとても可愛くて時間が許すなら、いつもその顔を近くで見ていたいと窪崎くぼざきは思う。


「どうしてリミッターを作ってるの?」

「こんな力、ない方がいいだろ?完璧に制御できるならまだしも」


 少女の目に彼の瞳が少し伏せられたのが見て取れ、その仕草に彼の秘められた寂しさを感じた。テレパスはその力を知られると、人から距離を取られる事が多い。なのでその力がある事を秘匿する場合が多く、清楓さやかもクラスメイトにテレパスがいるかどうかはわからない。

 リミッターは高ランク者にとってもそうでない者にとっても、お互いを守るためのものになるのだろう。


「あのな、清楓さやか

「なぁに?」

「おまえの気持ちに応えられないのは、今、だからだ」

「今?」

「おまえの年齢がやばい、法律と東京都の条例にひっかかる」

「その辺の法律は守るんだ」

「他の法律を守ってないように言うなよ」


 少女が明るく笑ったので、窪崎くぼざきもつられて笑ってしまった。


「じゃあ、私が、ポチの事を好きって思うのはいいの?」

「歓迎する」

「ポチは私の事どう思ってるの?」

「可愛いと思ってる」

「好きではない?」

「言ってしまうと、我慢ができなくなる。だからまた今度な」

「わかった」


 窪崎くぼざきは立ち上がり颯爽と上着を羽織り、カップに残っていた残りのコーヒーを全部飲み干した。最後に溶け切らなかった砂糖があって、ジャリっと口の中に残る。


「帰っちゃう? 用事があったんじゃないの」

「また出直す」


 振り返りながら、軽い目線を清楓さやかに送り困ったような笑顔を見せたので、彼女は大人しく手を振って彼を見送った。


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