第四章 狼たちの饗宴

第1話 悪い大人

 清楓さやかは以前もらった真面目な公務員の名刺を見ている。


 富沢博史とみざわひろふみ


 彼はランクの高い超能力者の事を嫌っていそうではあったが、悪い人ではなく単に職務に忠実な真面目な人という印象と好感を清楓さやかは持った。

 そんな彼に撃たれた窪崎くぼざきは一体何をやらかしたのだろうと、すごく気になって来る。


「どっちが悪い人かと言うと、ポチの方が何かしでかしそう」


 とにかく窪崎くぼざきは自分のやりたい事をまず優先する。目的がまずメインにあってそれを達成するためには、少々強引であっても気にしないというか。人生経験が豊富とは言えない清楓さやかでも、彼が人を利用するタイプだというのは感じ取っていた。


 女子視点的には窪崎くぼざきはカッコイイ大人の人という感じで、顔や声を思い出すとうっかりときめいてしまうのだが、この気持ちをどうしたらいいのかもわからない。

 会いたいと思ってしまうからやっぱり好きになっちゃったのかなあと思ったりもして、ぬいぐるみを抱いてベッドを転がるしかない。


 メッセージは特に送っていない。何と送ればいいのかわからないからだ。向こうからも何もないし。クリスマスの夜は連絡するチャンスでもあったのだが色々あって送り損ねていた。次に何か送るチャンスがあるとしたら、年明けの挨拶になるだろうかと漠然と考える。


 そんなこんなでもう昼なのに、モコモコパジャマのままベッドの上でぬいぐるみと格闘していたのだがマンションの外玄関からのインターフォンが鳴る。


「荷物かな」


 インターフォンに出ると、窪崎くぼざきが画面に映った。


「あれ!? どうしたの」

『近くまで来る用事があったから寄ってみた』

「あ、上がって、えっと私まだパジャマだからゆっくりペースで」

『わかった』


 返事に笑い声が重なるのを聞きながら慌てて部屋に駆け込むと急いで着替えた。荒っぽく手櫛で髪を整えるがいつものヘアピンは省略。

 窪崎くぼざきは都内中心地の、ちょっと有名な店のベーグルサンドをランチ用に買って来てくれていた。


「これ、並ばないといけないやつじゃないの」

「初めて行列に並んだ」


 並んでる男の姿を想像して少女は少し笑ってしまった。ソファーに隣り合って座り一緒に食べる。窪崎くぼざきが右で、清楓さやかが左。


清楓さやかは一人で家にいて、寂しくはないのか」

「そりゃ寂しいけど」

「祖父さんに会いに行ったりは?」

「正直言うと、会いたくない……頼み事はもうしたくないし」

「……嫌なのか。会わせて欲しいと俺が頼んでも?」

「何の用があるのかわからないけど、別に私を介さなくても病院に行けば会えるよ?」


 以前すでに出向いたものの、患者ではないからと門前払いされた事を言うべきかどうか、男は悩む。自分の要望を知ってか知らずか、あの病院の院長は取り付く島もなかった。


「ところで、ぬいぐるみは寝室なのか」


 キョロキョロと窪崎くぼざきは周囲を見渡したが、あの巨大な柴犬のぬいぐるみはリビングには見当たらなかった。


「うん、ポチって名前をつけて、抱いて寝てるよ」


 うっかりバカ正直に言ってしまい、ハッとすると真っ赤になってうつむく。


「ポチ、ね」


 意味ありげな微笑を浮かべ男は少女の左肩にその左手を伸ばすと、自分の方にグイっと引き寄せる。真っ赤になった少女は窪崎くぼざきの顔が見られない。


「こっちを抱いて寝ようとは思わないのか?」

「何を言って……」


 思わず男の方を向くと顔がものすごく近かった。意地悪そうな笑い方。反射的に少女は男を押しのけて離れた。そしてこの男が、何か企んでいると同時に気付いた。


「何を企んでるの」

「一人暮らしの女の子の家に来た男が、企む事って何だろうな」


 楽し気にからかうような口調だがそういう理由ではないと、テレパスではないはずだが清楓さやかは感じ取り、先ほどまで赤面していた同じ娘とは思えない強い目線を男に向けた。


「ずっと聞こうと思っていたんだけど。一体何をして、あの時、撃たれたの?」


 一筋縄ではいかない少女に窪崎くぼざきは本来の目的を一時的に諦める事にし、両手を上げる降参のポーズで笑って答える。


「ちょっと情報が欲しくて、PSI管理局サイかんりきょくのコンピューターにハッキングを少々。バレるはずではなかったが、告げ口をする裏切り者が予想外に近くにいてね」

「そんなの、撃たれるに決まってるじゃない!」


 知らぬ事とはいえ自分が犯罪者の逃亡の手助けをしてしまった事を知り、清楓さやかは怒りを持って叫んでしまった。


「どいつもこいつも、情報を隠し過ぎるんだよ、共有すべき情報っていうのも、世の中にはあるんだがな」

「でも、ポチも全部の情報を開示してるわけじゃないでしょ」

「まあ、それはそうだな」


 窪崎くぼざきは少女に対しなかなか正義感が強くてやりにくいなと自己中心的な事を考えながら、どうにか彼女を完全な自分の味方に引き込みたいと思っている。先日のデートで彼女が自分に恋心を抱いているのを感じ取り、それを利用する気満々であった。


「俺の全部を、清楓さやかに開示するのは、やぶさかではないのだが?」


 再び少女ににじりより、逃げようとする彼女をソファーの上に押し倒す。


「どうだ? 知ってみないか」


 少女は目を見開いてものすごく驚いた表情をしたが、直後瞳が大きく揺れる。


「う……っ、ひっく」


 少女は両腕で顔を隠して、嗚咽を漏らして泣き始めてしまった。窪崎くぼざきとしては彼女が他の女性のように赤面して恥ずかしがるだけだと思っていたので、この反応に仰天し思わず心を読んでしまった。


――怖い、怖いよ。


 ばっと、身体を離す。


「っ、すまん」

「ぐす……ひっく、ひっく」


 窪崎くぼざきの心中に罪悪感が一気に広がる。変なトラウマを植え付けてしまったとしたらと思うと、このまま立ち去るわけにもいかず。

 座る位置をずらし彼女から距離を取る


「許しては、くれないか?」

「もうしない?」

「しない」

「しないの?」


 二度目の問われ方が意味深で、どう答えるのが正解なのかわからなくなる。


清楓さやかが望むまで」


 少女がほっとした顔をしたのでなんとか正解だったようだと、窪崎くぼざきは胸を撫でおろす。


「びっくりしただけだから」


 ごしごしと顔を袖でこする。


 彼は彼女を懐柔して祖父とあまり会いたくないというその考えを反故ほごさせ、場合によっては味方に引き入れて日夏友彦との有利な面会を取り付けようと考えていたのだがとてもじゃないがそのような事は出来なくなってしまっていた。


「ほんと、すまん」


 目を逸らしながら二度目の謝罪をした。


「私に何かして欲しい事があるなら、普通に頼んで欲しい。犯罪じゃなければ手伝うから。こんな事しなくても」


 ぐすぐすと鼻をすすりながらそう言う少女を見て、更に男の罪悪感が深まった。


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