第2話 東京都埼玉区
東京都埼玉区。
何度か首都移転の話が持ち上がっては消え、提案されては反対運動が起こって有耶無耶になり、西暦二千八十年の今は、茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・神奈川県・山梨県の七県を取り込み、かつて首都圏とされていた全てのエリアが、首都東京となっていた。それぞれの県名は、区として名を残すに留まる。
かつて東京都に存在した市町村も、すべて合併の末に区の扱いに。元々存在した区はすべて統合し、東京区と名前を変えた。
広大な地域を一つの区として管轄する事は、ネットワークが発達した昨今では何の問題も生じなくなっている。何処に住んだら便利か? 等という理由では、もはや人は住処を選ばない。
それでも首都に住むというのは外聞が良いと思うのか、今なお東京都は人口を増やし続けていた。合併の結果がもたらした面積が広いため、過去のような人口密度は無くなりなかなか快適な場所となっている。
完全なガソリン車は無くなったが電力需要に発電が追い付かず、現在の自動車の主流は電気とガソリンのハイブリッドで落ち着いていた。リチウムイオン電池は徐々に置き換えられ、現在主流となる電池は全固体電池。
フィルタ機能の発達で、排気ガスによる公害もいまや昔の話だ。
しかし開発が進むにつれてどの街も特徴を失って、没個性な風景がどこまでも広がる。
まるでコピーペーストで作られている世界のように見えてしまうほどに同じ店が並び、似た建物が集う。区画が整えられた町は数字を割り振られて、どの町も管理のしやすさが優先されていた。
酔いつぶれた友人を助けている、というのには少し変わった状況だったが、すれ違う人達は何の興味も持たないようで、この不自然な二人に手を貸そうという者はおろか、目線を送る者すらいなかった。
街灯と全ての高い建物に張り付けられた大型液晶ビジョンで明るい街を歩く彼女は、夜の町も酔っ払いにも縁がないであろう新設されたばかりの有名お嬢様学校、私立富士見女学院の制服を着ている。
少し明るめの黒髪は、肩にかかる事がないぐらい短く切りそろえられ、邪魔にならないよう、ヘアピンできっちり横で押さえられていて、一見すると運動部に所属していそうなスポーティな印象だったが、体の動かし方には器用さは見て取れず、体力は図書室に籠る文学少女のそれだった。
肩を借りてる男の方はというと、ラフな服装に乱雑に乱れるような野性的な髪型で、こちらもお嬢様という人種とは縁遠い見た目の人物だから、この二人の組み合わせは相当に違和感があるが、少女にとっても男にとっても、周囲のこの無関心が今は有難い。
「……っ!」
「もうちょっとだから、頑張って、はぁ、はぁ」
男はなるべく、彼女に体重を掛けまいと努力はしている様子だが、額にはじわりと汗が浮き出し、時々玉にまとまってポタリとアスファルトに落ちる。
この冬に向かう秋の季節にあって、少女もこの力仕事に汗が出る。二人の汗の種類は違っていて、男の方はいわゆる脂汗であったが。
「ねえ、やっぱ、病院、行く?」
「……ダメだ」
「何なの、本当に。もう」
息が切れて言葉は途切れ途切れになり、もうこれ以上は喋るのは辞めようと彼女は決心した。
街頭を彩る3thLED(進化した第三世代LED)によるスクリーンディスプレーは立体的で、三次元表示の広告がせわしなく動き回り、人が本当にそこにいるかのように見える。何が本物で、何が虚構かもわからない風景の中、九時前の五分程度のスポットニュースが流れ始めた。
『……タリスマンズカンパニーが新型の超能力リミッターの開発に成功したと発表。代表のジーミン・ヘルムガード氏は記者会見で次のように述べ……』
少女は”新型リミッター”という単語に興味を惹かれ、その画面に目を向けようとしたが、覆いかぶさるような状態の青年を肩に乗せているせいで、顔を向けた先はその男の顔という感じになってしまった。
彼の目が半分閉じかけているのが見て取れて、これはそろそろヤバイかもと彼女は思い始めたが目的地はあとわずか。
なんとかマンションの自動ドアにたどり着き、腕時計に着けられた小さな星型の解除キーを入口の装置に掲げ、扉が開くのを待つ。
観音開き式の自動ドアは、重々しく開いた。
このタイプの自動ドアを持つマンションは、一部の富裕層が住まう建物に多い。ガラスが左右にスライドするような安物の自動ドアの家に住むような金持ちはいないのだ。
だが重厚感を出すためか動きがゆっくりで、急いでいる時はまだるっこしい。
例にもれず、今日もこの緩慢な動作を見る事に彼女はうんざりしていた。
エレベーターは各戸に備え付けで、それがすでに玄関の入り口の扱い。彼女は普段のようにパスワードを入力し、これまた重々しくゆっくり開いた扉の奥に男を引きずるようにして滑り込む。
再びエレベーターの扉が開くと、そこはすでに室内という感じだった。
すっかり欧米化され、このようなマンション利用者の中では靴を脱いで部屋に上がるという文化は廃れてしまっていたが、彼女は床が汚れるのを嫌うようで、自身はなんとか靴を脱ぐ。男の靴はとりあえずそのままに。
リビングにたどり着くともはや投げ落とすという感じで、その部屋の中央に置かれた大きなソファーに男を降ろした。
「はぁ、はぁ、なんでこんな事になったんだっけ」
袖で顔の汗をぬぐいながら何とか呼吸を落ち着かせると、男の靴を脱がすと、「よいしょ」と声を出して力を込め、その長い足もソファーの上に乗せる形でなんとか彼の体を横たえさせる。
上着から覗き見える脇腹付近から滲み出る赤い染みに、少女は顔色を失った。
「やだ、結構やばくない?」
「あまり見るな、恥ずかしい」
「はぁ!? 何言ってんの」
何故、彼女がこんな望まない肉体労働をする羽目になったかは、三時間ほど時間を遡る事になる。
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