一匹狼は群れたがる

MACK

第一章 仔山羊と狼

第1話 医師二人


 深夜零時。


 柏ひなつこども病院は小児科専門の病院で、元・脳神経外科医という異色の経歴を持つ小児科医による個人経営。

 個人経営でありながらも救急対応が可能で、都内でも有数規模の病床数を誇っていたため救急車のサイレンの音が響かない日はなく、この夜も三時間に一度は救急搬送の喧騒が訪れる状態であった。


 次々と訪れていた患者が途切れ、スタッフがやっと一息をついているようなそんな時間帯。


 外はそれなりの雨が降っている。時々風が吹き、窓にその雨粒をぶつけ伝って落ちるを繰り返すが室内にその音は届かない。

 静寂と本棚とキャビネットで埋め尽くされる圧迫感のある部屋で、白衣の男が二人、至近距離で向かい合っていた。


 一切動こうとしない頑固そうな中年の医師に、黒縁眼鏡の生真面目そうな若い医師が、一歩一歩と詰め寄った結果でこの距離になっていた。

 中年医師とは比べるまでもなく若い医師の方が身長が高く、かなりがっしりとしていて良い体格だが、細身の中年医師は怯む事なく全く譲らずにいる。


「院長、どうしてもダメですか」

「くどい」


 ここ数日、毎日のようにこの若い医師は、暇を見つけては院長の説得を試み続けていた。


「あなたの孫娘ですよ?」

「順番だ」


 肉親の情に訴えかけられようと一切動じる事もなく、眉ひとつ動かさないその医師に、ついに若い医師は苛立ちを持って声を荒げた。


「わかりました! それならこちらにも考えがあります」

「何をするつもりだ」


 初めて、中年医師の表情が変化する。

 僅かに目を細めただけという、よく見なければ気づかない変化ではあるが。


「もう、あなたには期待しない!」


 吐き捨てながら、若い医師は部屋を荒々しく出て行く。スライド式の自動ドアでなければ、大きな音を出す程度には思いきり閉めたかっただろうがそれも出来ず、苛立ちをぶつけられる場所はもはや床のみという感じで、わざとらしく足音高く立ち去った。


 部屋に取り残された中年医師は無言で机に向かい、椅子を軋ませて座ると、左の胸ポケットから頑固そうな顔に似合わない何かの動物をモチーフにした可愛いマスコット付きのペンを取り出し、しばし指で弄ぶ。その表情は淡々としたものである。


 再びポケットにペンを戻すと椅子に更に深く身を預け、上を向いて目を閉じた。




 荒々しく歩く黒縁眼鏡の医師に、夜勤の看護師の一人が恐る恐る声をかけて来る。


「岡部先生、どうなされましたか」

「何て事はない、院長の頑固さに辟易しただけだ」


 看護師を振り切るよう、更に速足になる。


「仮眠室にいる、急患があれば呼んでくれ」

「は、はい」


 看護師を置き去りに、その言葉通り仮眠室に足は向かっていたが。


――あの娘さえ……。


 不意に脳裏に閃いた考えに男は足を止めると、そのまま暫く考えに沈んだ。歯ぎしりの音が僅かにし、意を決したように前を向くと今度は足音を立てないように行先を変えた。



 夜が明ける頃には小降りにまで落ち着いた雨は止んでいて、路面にいくつかの空を映す鏡のような水たまりが夕べが雨だったという痕跡として残っている。


 早朝という時間帯でありながら、何台もの車がその水たまりの上を走り、そのたびにジャッという音を立て、しぶきを上げて行く。

 その音に重なるように響くサイレンの音は、救急車ではなかった。



 複数の警察車両が病院前に並ぶ。



 ニュースのリポートをするマスコミも、多く詰め掛けていた。

 スタッフが慌ただしく原稿をリポーターに手渡し、朝の番組の生放送が始まったようで病院をバックにして撮影が始まる。


「昨夜未明、超能力の暴走事故が発生し、三十代男性医師が死亡、事故原因を現在警察が調査中とのことです。なお事故を起こしたのは入院中の患者という話も関係者から上がっておりますが、プライバシー保護のために当該病院からは詳細の発表の予定はないとのことです。以上、現場より笹山がお伝えしました」



――十年前に起こったこの事件は超能力の暴走事故のひとつとして、人々の記憶にそれほど残る事はなかった。


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