アリアネット
潁川誠
1.アリアネット
「やめてみたら?生きるの」
そう、バイトなんて辞めたらええやんぐらいの軽い気持ちで言われたのが、最初だった。
彼女はハイライトを吸っていた。短いオレンジ色の茶色の髪が、夜の闇に同化してふわふわ揺れていた。紫煙の中で彼女が揺蕩うように微笑見かけてくる様をじっと見ていたら、彼女はタバコを持っていない方の手で私の鼻をぎゅっと摘んできた。
ぐぇ、とカエルが潰れたような声を出せば、彼女はくしゃりと笑った。
「アキ、見すぎ」
「……だって、変な事言うんやもん」
「べつにさしておかしなことは言ってないでしょ」
ぶぅと頬を膨らませる。彼女が持っていたタバコを奪ってやったら、彼女は「あ!ちょっとそれわたしのモンなのに!」と声を上げた。彼女の紫色のリップが着いたタバコを唇に挟んで勢いよく吸い込む。
「うっ、ゲホッゴホッ」
「…ほらみたことか。あんた吸わないんだから、そりゃそーなるわな」
「やって…っげほ、ナカがそんなに美味そうに吸うから」
「わたしは美味しいよ、けどあんたにとっちゃ不味いでしょ。そんだけのことよ」
「…ナカのこと全部分かっとるつもりやったけど、それだけはわからんわ」
ため息をついてタバコを返せば、彼女は苦笑しながらそれを受け取った。
「…ナカは、あたしが死にたいって言うても、全部肯定するね」
「まぁ、人の生き死に指図できるほどできた人間じゃないからね」
「……死なないで欲しいって思わんの?」
縋るような私の声に、彼女はゆらりとこちらに目線を向けてきた。スカンディナヴィアとかいうよくわからん北欧の国のクォーターである彼女の瞳は、炭のように真っ黒なのにどこか青みがかかっている。宝石のように美しいその目を彼女はずっと細めた。
「言ったところで、所詮聞かないでしょ」
「………うん」
「わたしはあんたをよく知ってる。だから、死にたいならやめてみればいいのよ。生きることを」
「生きることをやめることと、死ぬことはちゃうんかな」
「さぁ?なにを持って生きると定めるのかは人次第でしょ。例えば、私なら生きるということはコレを吸うこと」
そう言いながら彼女はタバコを掲げた。
「わたしはこれがなきゃ生きていけない。だから、もしわたしが死にたくなったら、これを吸わなきゃいい話なのよね」
「……生きてるけど、死んでる?」
「そう。生きてるけど、死んでる。生きるのやめたいなら、そんな風にすればいいんじゃい?まぁ、本気で死にたいならそれはそれで止めないけどさ」
ははっと彼女は笑った。すっかり短くなった吸殻を携帯灰皿に押し付けた彼女は、私の頬をするりと撫でてきた。妖艶な笑みにドクンと心臓がはねる。月光と相まって彼女はとても美しい。
「アキの死に様は綺麗なんだろうね」
「……ナカもやろ」
「わたしよりあんたの方が綺麗だよ」
顔が近づいてくる。黙って瞳を閉じれば、期待していたどおり彼女の唇が降りてきた。甘くて苦いタバコの香り。それと、優しい彼女の匂いにクラクラとする。彼女が離れたのを見計らって瞳を開ければ、彼女はもうこちらを見ていなかった。
優しいキス、優しい言葉、優しい肯定。
貴女とならば、生きるのをやめてしまいたいとそう思った。
アリアネット 潁川誠 @yuzurihamako
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