最終話 それを恋とは知らなくて
翌年の春。
私は次の標的となるアジトへと向かう。
バイクで向かう途中信号待ちをしていると、そよそよと舞う薄紅色の花びらが視界の端に入った。
「あれが……サクラ」
桜の木が連なり、舞うように降り注ぐ花びらは幻想的で、とても美しかった。確かに目を引くものだ。
ユウは不思議とどこにでも現れ、そのたびに他愛のない会話をする。たったそれだけ。
けれど同じ時間を積み重ねていくうちに、少しずつ変わってくものがある。
(この案件が終われば日本を去るだろうし、一度ぐらいはユウを誘うのはありかもしれない)
彼のことを「好きとか嫌いとか」と問われたら、好きの部類に入るだろう。
私にとっては日常の象徴であるユウは、お日様のように温かい。
時より熱い眼差しを向ける時があるが、口説くような言葉はなかった。クリスマスもバレンタインも、ホワイトデーもいつも通り、カフェでスイーツを堪能する。
私が人並みに世間のイベントと同じことをしていることが、新鮮で少し楽しかった。半面、警鐘がずっと頭の中で鳴り続けていた。これ以上、踏み込んではいけない──と。
私は仕事は殺し屋。所属は世界連合安全保障理事会、通称WNSCの
世界の均衡を崩そうとする人間の駆除。戦争孤児や家庭の事情で孤児院にいた中から特殊訓練を受けて、組織されている。私自身、正義だとか、世界の為だなんて微塵も思ってない。
そうしなければ、生きていけなかった。選択肢が他にないから同じ境遇の同僚が『人は誰かと出会うと、今までの景色が大きく変わる』といった時は本当は驚いた。そしてそれと同時に日常での生活に、圧死するだろうとも思ったのだ。
結果、今回ずっと追っていた研究者の女幹部と逃亡を図ろうとして失敗。消された。
(運命。……ううん、思い出すんじゃなかった)
信号が青に変わると、私は視界を前方に戻す。サクラのことなど頭から消えていた。今日の標的は、危険思想を持つ異常者集団だと聞いている。生体兵器を生み出すマッドサイエンティストたち。今までは海外を転々としていたが、ここ一年は日本留まっているらしい。
『シクスス、標的の追加だ。データを送る』
「承知しました」
今回のメンバーは私を含めて五人いる。もっとも裏工作が一人、潜入捜査で一人なので、乗り込むのは三人だ。正面、裏口、上空から。
研究所は人目につかない県境の森の奥地。
桜並木が道沿いに並んで、花吹雪を豪快にまき散らしていた。まるで死に急ぐように。
研究室はすぐそこで、私は茂みに身を潜めていた。
情報が更新されたデータを見て固まる。
「は」
データの中に要注意人物として、彼の名前があった。
一瞬、頭が真っ白になった。呼吸が上手くできない。
心臓の音がけたたましく鳴り響く。
嘘であって欲しい。
夢であってほしい。
他人の空似だったのならよかった。
これこそ運命の仕業のような展開ではないか。
(ああ……)
大きく息を吸って、吐いた。
(私は彼が好きなんだ)
失うかもしれない。そう思った瞬間、私は視界が歪んでいた。
泣いていると理解するまでに数秒かかった。
嫌だ。
まだ彼との約束を果たしてない。
今なら同僚が裏切った理由が痛いほどわかった。こんなにも誰かを失うことで胸が痛むなんて知らない。
体は熱が上がるのに、頭はこれ以上ないほど冷静になる。自分にとっての最適解を数秒で導き出す。手持ちの武装ではやや火力不足だが、今更戻るわけにはいかない。
何もかも想定外で、想像以上のアクシデントだ。けれど、今、私は生きていると実感できた。
轟ッツ!
突入の合図が響く。
私はすぐさまダミー用の携帯端末を取り出し、ユウに連絡を入れる。どうやら彼のいる場所は一階のセキュリティの高い研究室だそうだ。
私は素早くバイクにまたがると、そのままエンジンをかけた。
派手な音がしたが今更気にならない。映画でやっていたように、たまには派手なアクションもいいだろう。
とりあえず全部が終わったら桜のスイーツを食べよう。運が良ければ、何とかなるかもしれない。
告白というタイミングをいつするか、それは後々考えればいい。
私は思い切りアクセルを踏んで、彼のいる研究室へと乗り込んだ。
ガシャンと、正面入り口のガラスを破っての突入。
研究室に飛び込んだ私はバイクを捨てて目的の部屋に向かった。研究員はパニックで逃げ惑うが、私は彼らを無視してとにかく進んだ。セキュリティ番号はユウから聞いている。
──*********──
──ロック解除します──
プシュ、と頑丈な扉が自動で開いた。刹那、彼に腕を引かれて抱きしめられる。
「こっちだ」と、女口調は今の彼にない。それが少しだけ新鮮だった。
***
連続的な爆破によって建物は半壊。
私たちは爆破と混乱のどさくさに紛れて脱出口から地下通路に出た。それは私が突入して数分後のことだ。
組織も把握していなかった地下通路。どうやら逃げ切る事は可能そうだと安堵する。
「ふう」
「…………!」
ふと私はユウと目が合った。
二人とも煤だらけだったけれど、言葉はなくて。
どちらともなく自然と唇が重なり、リップ音が通路に響いた。触れる唇が熱くて、生きていることを実感する。
たぶんだけれど、私と彼が愛を語るのは五分後の話になるだろう。
どちらが先に告白するかは不明だけれど、答えはもう出ている。
END
それを恋とは知らなくて~約束のパンケーキ~ あさぎかな@電子書籍/コミカライズ決定 @honran05
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