媚薬を飲んだ従者が助けようとしてくる主人を全力で拒もうとする話
コトリノことり(旧こやま ことり)
二人がくっつくまで100話くらいかかるような主従が性癖
ガチャン、と扉を閉める。
自室に戻り、一人になったテオドールは鍵をかけ、そのまま倒れるように扉にもたれかけた。
身体がアツい。端正な顔は歪み、汗によって髪が肌に張り付く。呼吸するのもままならない。
(――だいぶキツイ媚薬だな。即効性じゃないだけマシだが、こんなものをライト様に飲ませようとしてたのか、あの伯爵令嬢は。落ち着いたら、あの家の対処をしなくては)
頭を無理やり回しているが、身体はそれどころではない。
発熱、呼吸の乱れ、思考力の低下、なによりも――強い、性欲衝動。
単純だからこそ恐ろしいほどの暴力的な欲求。
この熱を発散させたい。抱きたい。犯したい。あの、細い体を――。
テオドールは平素の彼らしくなく舌打ちする。
襟の詰まったボタンを無理やり外す。しかしそれぐらいでどうにかなる熱ではない。なんとかベッドまで行きたいが、少しでも気を緩めると口からありえない言葉を叫びだしそうになる。
テオドールが媚薬を飲んだのは、主君であるライトの紅茶に媚薬が盛られていたことに気づき、代わりに飲んだためだ。
ライトは公爵家嫡男で、年齢は十七。体つきは細いが、ライトの利発さを表したような美麗な耳目。公爵家の跡取りであるのに、まだ婚約者は決まっていない。そこで強引な手を使って既成事実を作り、公爵家の夫人の座に収まろうと画策する貴族は多い。
だからこそ、従者であるテオドールがそういった輩を『処理』ないし『処置』してきた。
だが、まさか堂々とお茶会に招いて、昼の時分からこんな薬を用いてくるとは。
寸前で気づいたテオドールが、ライトが飲む前に毒見と称して飲まなければ今頃ライトは伯爵家の部屋に令嬢とともにとらわれて、朝を迎えぬうちに公爵家に『娘を傷物にした責任を取れ』と押しかけられていただろう。
即効性ではなくとも、媚薬を飲めば影響は出る。それでも毒をはじめとした薬の耐性をつけていたテオドールだから、その場は平静な顔で切り抜けた。平然としたテオドールを見て、令嬢が驚いた顔をしていたから、本人も知っていたのだろう。
招待された身として必要な分の挨拶だけを交わし、ライトに公爵家に戻るように言った。
それにライトは素直にうなずいたが、ライトだけはテオドールの異変に気付いていた。
公爵家に着いた時には薬の効果がかなりでていたが、同僚の護衛騎士にライトのことを任せて自分の部屋に戻ってきたのがいまだ。
深く息を吸って吐く。同僚にはとにかく大量の水と布を後で持って来いと頼んである。もう吐いて効果を薄めるのは間に合わない。ひたすら水を飲み、薬の成分を汗と――体液と一緒に外に出すしかない。一晩かかるかもしれないが、これくらいは自分で処理はできる。
いや、むしろ、一人でないと困る。
もし、ここに、他に誰かがいたら。
特に、彼だけはここにきてほしくない――。
「――テオドール、いるのか?」
それなのに、今、最も聞きたくない声が扉越しに聞こえた。
「……ライト様?」
「サードに聞いたんだ。テオドールが、オレの代わりに、その……薬を飲んだって」
テオドールは頭の中で、同僚の護衛騎士であるサードを10回ほど短剣で突き刺した。アイツは仕事はできるのに、いかんせん口が軽い。
サードへの報いはあとだ。とにかく、今は扉の前で心配顔を作っているであろう、主人をここから離れさせなければ。
薬で崩壊しかけている理性を、無理やり手繰り寄せる。なるべく、普段と変わらないような声を心がける。
「……ライト様がお気になさるほどではありません、明日には体調を戻しますので、どうか、お部屋に」
「……ッテオドール。オレが、その、力になれることはないか?」
震えたライトの声。
薬の効果以上に頭がクラクラしそうだった。サード、あいつは一体どこまでライトに話したのか。
これはサードなりのお節介だろう。それはきっと、ライトに対しての。もしくはテオドールにもか。
だが、それは、絶対に受け入れてはならない。
「――ライト様のお力を借りなくてはいけないようなことは、御座いません」
熱くて仕方ないのに、冷たい声が出た。
扉の向こうで、すくむ気配が聞こえる。ああ、怯えさせたくなどない。
主人の憂いも、悲しみも、すべて取り払い、彼が健やかにいられるように、彼の望むままに過ごせるように、その意志にかなえるための存在でありたいのに。
だが、ここだけは譲れない。譲ってはいけないのだ。
――主人であるライトが、従者のテオドールに対して恋慕の情を抱いていることを、認めてはならない。
「……でもっ、オレはっ。テオがオレのせいで辛い目にあってるのに、放っておくことなんてできない」
必死に絞り出された声に、媚薬の進みが一気に早くなったようだった。
視界がどんどん、赤く染まる。自分の声なのに、自分だと認めたくない、おぞましい声が耳の奥でテオドールにささやく。
――今なら全部薬のせいにできる。ライトだって望んでいる。抑えているものを、解放したっていいじゃないか――
己より細い肢体を組み敷いて。白い肌を自分の手で紅潮させて。その顔を悦楽に染めさせて。今だ誰も暴いてない、彼の奥まですべて、己で満たして――。
「……いけません。ライト様、早く、部屋に戻ってください」
「テオ! イヤだ、イヤだ。だって、こんな時じゃないと、テオは……。とにかく、いれてくれ」
「ダメです。私は平気です。部屋にはいれません」
「無理やりにでも入る。マスターキーはあるんだ、この扉なんて簡単に開けられる!」
「っ、ライト様! いけません!」
「テオは平気だっていうんだろ!? だったらオレが部屋にはいったっていいだろ!?」
ガチャリ、と向こうのドアノブが握る音が聞こえる。
ダメだ。今。このままライトが目の前に現れたら。
テオドールの理性が保つわけがない。けれど、それは絶対にしてはいけない。
テオドール本人ですら、絶対に認めてはいけないと、心の底に隠して、抑圧している、従者がもつべきではない感情を、さらけ出すことになる。
呼吸がどんどん浅くなる。
ガチャガチャと音が鳴るドア音と、心臓の動機が激しくなるのと同じくらいに煽られていく劣情に意識がとらわれていく。止めたいのに、今まさに、哀れな獲物が捕食者のもとへ自らやってこようとしていて、頭の中では、己の下で組み敷かれてあられもない姿をする主人の想像が再生されて。
はっ、はっ、と乱れた呼吸音がやけに大きく聞こえる。
自分の口から出しているのに、どこか遠くのことのようだ。
熱い、熱い、熱い。
――衝動に全てを、任せてしまえれば。
「………それだけは、絶対に、許すものか」
カキン、と音が鳴る。
マスターキーを鍵穴に差し込んだのだろう。
テオドールは腰元に常に帯びている、短剣に手を伸ばす。
あと少しで、ライトがこの部屋に入ってくる。
「――ライト様、この部屋には、はいってはなりません」
これからテオドールがすることは、テオドールにとって大したことではなくても、ライトは傷つくだろう。
しかし、今すぐに、浅ましい劣情を抑えるためには、仕方がない。
「い、や、だ!」
強情な声が返ってくる。
予想通りの返答に思わず笑いそうになる。
だが、それならば、こうするしかない。
テオドールは短剣の鞘を取り払う。
「そう、ですか」
そしてそのまま、自分の太腿に深く突き刺した。
刃の全てが埋まるほど。深く、深く。
身体を支配していた熱が、別の熱に上書きされていく。
解放されようとしていた衝動は、激痛によって抑え込まれる。
太腿から赤い血が流れだす。
つい先ほどまで、身体を巡り巡っていた熱い血液が、傷口から外に流れ出していく。
ガチャン、と扉の開く音がする。
「テ、オ……テオ!? おまえ、何をしてっ…」
「お見苦しいところを見せて申し訳ありません。止血をしたいので、お手数をおかけしますが、サードを呼んでいただけますか?」
廊下の光が逆行になって、ライトの顔はよく見えなかった。だが息をのむ気配と、驚いた顔をしているのはわかった。そして、己で己の脚を短剣で突き刺す従者を見て、そこからどんどん血が流れていくのを見て。ライトは必至な声できた廊下を戻ってサードの名前を叫んでいた。
薬のせいか、流れる血のせいか、クラりと意識が途切れそうになる。
しかし、媚薬の効果を、自傷することで誤魔化せたテオドールは安堵の息をつく。
もしもあのまま、何も対処できずに、ライトがこの部屋に入ってきていたことを考えたら。
衝動のまま、テオドールは、ライトを。
「……それだけは、ダメだ」
それは、ただ、ライトを己の激情のまま、傷つけることの恐怖だけではない。
きっとそんなことになったら、隠しきれなくなるから。
――この感情は、自分の中にあることすら、認めてはならない。欲望は、片鱗すらも見せてはならない。
なぜなら、自分はライトの従者でしかないのだから。
存在することすら、許されない、感情なのだから。
「……とりあえず、あとでサードのやつ、100回刺す」
ばたばたと、廊下の奥から口の軽い同僚と主人のせわしない声と足音が聞こえる。
ひとまず乗り越えた危機に安心して、テオドールは力がはいらない体のまま壁にもたれかけた。
媚薬を飲んだ従者が助けようとしてくる主人を全力で拒もうとする話 コトリノことり(旧こやま ことり) @cottori
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