どうか私を温めて

添野いのち

第1話 温かい日

目をゆっくり、ゆっくりと開けた。見飽きた部屋の天井が目に入ってきた。そして暖房の動く音が耳に入ってくる。目を横にやると、お母さんが作ってくれた朝ごはんが見えた。

私はそれを取ろうと思い、ベッドから体を起こす。窓から忍び込んできた冷気が背中を撫でた。今、身につけているのは本当に防寒具なんだろうか。

私、春川桜はるかわさくらは中学2年生。私は寒いのが大の苦手だ。冬になると必ず学校を休む。というのも私は、冬に体調を崩してしまうからだ。お腹を壊すのは当たり前、インフルエンザも毎年かかるし風邪の症状なら毎日のように出る。今日は喉が痛かった。おまけに冷え性でもあった。12月から2月にかけて、自分の部屋でベッドに潜り、1人寂しく過ごす日々が続く。私にとって苦しく辛い時期である。

今日もセーターに手袋、レッグウォーマーを着けて寝ていた。これで布団をかぶってちょうど良い暖かさなのに、冬用のセーラー服と学校指定の防寒具だけでまともに過ごせるはずも無かった。

はぁー、と大きくため息をつき、トレーに乗せてある朝ごはんをベッドの中で食べる。何もしゃべらず、ただ1人で食べる。私にとってはこれが苦痛で仕方ない。元々誰かとおしゃべりして過ごすのが大好きなのに、毎年冬にそれを封印されるから。

ご飯を口に放り込む。少しべちゃっとしたお米が腫れた喉を撫でる。じーんとした痛みが走ると、私はぬるい紅茶を飲み、それを鎮めようとする。アイスティーは飲めないので、ぬるい紅茶で痛みを何とかするしか無い。しかし痛みは鎮まる訳も無く、私の喉に居座り続ける。紅茶の味など楽しむ暇も無い。結局私はゼリーだけを平らげ、それ以外のものはほとんど残した。そして燃えるような怒りと痛みを抱え、またベッドに潜り目を閉じた。それでも燃え続ける心と喉は、眠りという逃げ場すら与えてくれなかった。私は左目から涙を1つこぼし、目を開けた。左目が見る世界は歪んでいた。

部屋に掛けてあるカレンダーを右目で見てふと思い出した。そういえば今日はクリスマスだった。でも私はサンタを信じていない。小学生の頃から、私の1番欲しいものが届けられなくなったからだ。毎年サンタにお願いしても届けられないプレゼント、それは「寒さに強い私」であった。サンタクロースが毎年、良い子に欲しいものを贈ってくれる?私は毎年こうして苦痛に耐えているのに良い子では無いの?どうして私にはプレゼントをくれないの?12月、私の頭の中で渦巻く疑問。答えは今も出ないままだった。

・・・暇だ。苦しい。辛い。痛い。また涙が流れてきた。今度は両目から。私が見ている世界がどんどん歪み、揺れて、ぼやけていく。なんだか私だけ別の世界に取り残されているみたいだ。私は手探りでそばに置いてある薬を袋から取り出し、震える手で口に放り込んだ。

その時、インターホンの音が家中に響いた。鉛のように重い体をゆっくりと動かし、布団を被ったまま1階の玄関へ向かった。

「は、はぁい。」

幸い声は枯れていなかったが、それでも声を出すと喉に痛みが走る。手探りで玄関のドアハンドルを探し、掴み、ドアを開いた。そこに立っていたのは、私と同じくらいの背丈の少年だった。

「春川さん。こんにちは。」

聞き覚えのある声だ。しかしそこで私の身体が崩れ落ちていくのが分かった。

「春川さん!」

声が大きくなったが、私の耳からずっと遠いところで叫んでいるようだ。めまいがする。歪んだ世界がさらに回り始めた。意識はあるが、体は完全に私のものでは無くなった。

背中に何かがっちりとしたものを感じたその時、私の身体は宙に浮かんだ。心地よい揺れと共に、暖房の暖かい風が頬を通り抜けた。そこで私は柔らかい地面に着地し、ふかふかの何かに包まれた。目の周りを拭われる感触を覚え、ようやく世界の歪みが直った。そこにいたのは私のクラスメイトの川越くんだった。川越くん、川越優輝かわごえゆうきくんは2年C組で学級委員をしている。男子の中では背が低い方で、私と同じくらいだ。優しい性格と、かっこいいというよりは可愛らしい顔つきでクラスでは人気だ。

「だ、大丈夫・・・?」

川越くんの声が優しく私の耳を流れていく。

「う、うん・・・。ありがと、私を運んでくれて。」

「いえいえ、それよりもこれ。」

川越くんは封筒を1つ差し出した。中に入っていたのは12月の授業で使われたプリントだった。ざっと100枚ほど。

「ありがとう、重かったでしょ。」

すると川越くんは少しだけ笑って、

「いや、全然。春川さんの辛さに比べたら大したことないって。」

と言った。やっぱり川越くんは優しい。しかし痛んだ私の心は、それを優しさだと捉えることが出来なかった。

「・・・分かる訳無いよ。」

震えた声が出た。

「え?」

「川越くんに私の辛さが分かる訳無いよ!」

ついに叫んでしまった。その反動で喉に痛みが走った。それでも私の口は動き続けてしまう。

「みんなと同じように学校でおしゃべりして、部活やって、遊びたいのにっ!私は冬が来る度に、その楽しさを感じられなくてっ!この辛さが、川越くんに分かる訳無いんだよっ!」

ここまで言ってようやく後悔した。私、何で川越くんに当たってるんだろ。きっと川越くんは今呆れているだろう。気づけばまた涙で世界が歪んでいた。

「・・・ごめんなさい。」

小さな、小さな声で言った。しかし、川越くんから帰ってきたのは予想もしなかった言葉だった。

「僕も学校に行けなかった時期があったから、分かるよ、春川さんの気持ち。」

そう言うと川越くんは私の涙をハンカチでそっと拭い、両手を左足に近づけた。そしてズボンをまくった。

私は言葉が出なかった。そこに人間の足は無かった。代わりに金属の棒があった。

「義足だよ。3年前、足の骨にガンができた時に左足を切断したんだ。手術して、抗がん剤打って、半年くらい入院してたかな。僕はずっと、何で僕だけ遊べないの、学校でみんなと遊びたいのに、って思ってた。でも、そんな時におばあちゃんが教えてくれたんだ。『退院したら、失った時間の分だけ楽しい時間を過ごせば良いのよ。辛い今を耐えた分だけ、きっと楽しい毎日が過ごせるようになるから。だから今は、退院したら何をしたいか考えてごらんなさい。』って。当時はあんまりよく分からなかったけど、今は分かる。あの時が辛かったから、こうして当たり前の〈日常〉を過ごせるのが嬉しいし、楽しい。だから春川さんも、今は春に何をしたいのかじっくり考えて、春になったら考えていたことをして楽しく過ごせば良いと思うよ。」

終始ゆっくりと、優しく微笑みながら言った。気づけば私の目からは涙が溢れ出していた。川越くんの言葉は、凍りついていた私の心を温かく溶かしてくれた。私の辛さを分かってくれて、励ましてくれたことがただただ嬉しかった。

「・・・ありがとう。」

私の口から、自然と言葉が出てきた。

「これで春川さんの励ましになってたら良いんだけど。」

「励ましになったに決まってるじゃん。川越くんは恩人だよ。」

「恩人って、何か照れるな・・・。」

それから夕方まで川越くんと駄弁っていた。12月の学校での話とか、私が家でしていたこととか。1人で寂しく過ごすよりも、やっぱり2人で話している方が楽しかった。川越くんが帰った後、またカレンダーを見て気づいた。今日はクリスマスだ。

「久しぶりに、サンタさんが来てくれたんだ。」

私はそれから、春に思いを馳せて冬を過ごした。私が春、久しぶりに登校したらやりたいこと。それは・・・


川越くんに、好きだって伝えたい。

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どうか私を温めて 添野いのち @mokkun-t

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