笹葉の小鬼 6
笹葉山の小屋ん中でマルタがぼんやり歌ってた。
つぅきの ひぃかり やぁさしくぅ…
みぃずぅみ てらしぃてた
窓から月の光が射し込んで、囲炉裏の端を金色に染めている。
マルタは壁にもたれて昼間ひろった棒切れに赤いべべ着せて、それを赤んぼみたいにだっこして歌ってた。
たぁびだつぅ あなたぁのこと
なぁにもいぃえず …
いつもなら、とうに夕餉の時刻じゃ。でも今日はまだ『小若』が帰らんからこうして待っている。
…何してるんじゃろ?
マルタは思った。
不思議な事にな、他の事はみんなぼんやりしてるのに、『小若』の事だけははっきり分かる。誰の言葉も通じんのに、小若の言葉だけは分かる。今日は、小若が出かける時に『オイラが戻るまで、決して外に出るな』って言ってたから、マルタはずっと小屋の中に居た。
…それにしても、小若、遅いなあ。どこぞで遊んでいるんじゃろうか?
って、マルタは窓越しに外を見た。
隣の山の上で金色のお月さんが光ってる。
さわさわと、風が木の葉を揺らしてる。
その景色があんまり綺麗だから、マルタはいつまでも窓越しに外を見てた。
そしたらな、木々のざわめきに混じり、誰かが草を踏む音が聞こえて来たんじゃ。
ざくっざくっ…
…誰じゃろう? などと考えもせず、マルタはじーっと外を見ている。
ざくっざくっ…
足音は、小屋の前でぴたっと止まる。
とんとん
誰かが戸を叩いた。その音にマルタが反応する。
とんとん…
「開けてくれ」
子供の声がする。マルタは首をかしげた。誰じゃ? 聞き覚えある。けど、いつも聞きなれた『あの子』の声じゃねえ。
とんとん…
声の主は再び戸を叩いた。
「開けてくれ、おっ母。おれじゃ、小若じゃ」
…小若じゃって?
マルタは立ち上がり、ふらふらと歩いてった。
そいで、からりと戸を開けた。そこに、くりくりした目の男の子が立っておる。
…ありゃ? こりゃ『あの子』じゃねえぞ。一体誰じゃ? けど、見覚えあるなあ。懐かしいなあ…。
「そうだろう? 懐かしいだろう? だったら外に出て来ておくれよ」
男の子は、マルタの心が聞こえるみてえに笑う。
…けど、『あの子』が外に出るなと言ってたもの。この小屋はお札に守られてるから安全だって言ったもの。
「何言ってるんだ? 外は全然恐くねえぞ。遊ぼうよ、おっ母」
そう言うと、男の子はくりって向こう向いてぱたぱたと走ってった。そいでな、杉の幹に手をかけておいでおいでって手招きする。
…なんで、おっ母って呼ぶんだ。お前はあたしの知ってる『あの子』じゃねえよ。でも、あたしはお前を知ってる。誰だろう? とっても大切な、大切な…。
そのころ銀は、すおうと一緒に佐和の火の玉追っかけ山道を走ってた。
…あと少しじゃ、あと少しじゃ。
て、心ん中で唱えてた。
…マルタ、外に出るなよ。ぜってえに、ぜってえに外に出るなよ…って
「おっ母、早うこっち来いよ」
杉の根元で男の子が手招きする。
霧がかかったみてえな頭ん中で、マルタは必死に何か思い出そうとしてた。
…あれは、誰? あれは、誰?
なぜか涙がこぼれ落ちて来る。
「おっ母ってば」
男の子はにこにこ笑った。
マルタは小屋から一歩踏み出した。
走って、走って、走るうちに、視界をさえぎる木々がだんだんとまばらになって来る。そうして、ようやく見なれた杉の木のてっぺんが現れて、そいでもってすおうと銀はついに小屋の前に辿り着いた。火の玉はそこでぐるぐる輪を描き、再びゆらゆらと佐和の姿に戻った。
「ここか?」
ってすおうが尋ねると、佐和はこくりと頷く。
…ああ、やっぱし
ってすおうは思った。
…鬼はマルタを狙ってたか。
それにしても、マルタは無事なのか? 銀は飛ぶように走り出した。
マルタは涙流しながら男の子の目の前に立ってた。
男の子はくりくりした目で無邪気にマルタを見上げてる。
「会いたかったよ、おっ母」
男の子も目をうるます。
マルタは子供を抱き締めた。
遠い昔、マルタの心がこなごなに壊れちまう前に、夕暮れの道でいつもそうしてたみたいに小若を抱き締めた。
けど、その腕ん中で、子供はぎょろっと目を光らせる。くりくりした黒い目が、今は真っ赤に染まってる。
「やっと、術にかかったか。手こずらせやがって」
子供はしわがれた声で言った。
その口は耳まで裂け、いつの間にか額からはニ本の角が生えている…。
「すごい妖気だ! 鬼はすぐそこに居るぞ!」
すおうが叫んだ。それで、すおうの後を追い、銀と佐和は小屋の表にまわって行った。
「マルタ!」
銀は悲鳴を上げた。なぜなら、そこで、茫々とした白髪の恐ろしい鬼が、今まさにマルタを食おうと牙を光らせていたからじゃ。
すおうはとっさに光の宝珠を外し、呪文を唱えはじめた。そして手の平から例の光の縄を出すと、鬼に向かって投げ付けた。
ところが、鬼は間一髪でそれをかわし、マルタを抱えたまま後ろに高く跳躍した。そしてそのまま杉の木のてっぺんに乗っかり、せせら笑ってこっちを見下ろす。あんな高さじゃ、光の縄も届かねえと、すおうは歯がみする。
「マルタを返せ!」
銀は梢に向かって叫んだ。
「離さねえと、ただおかねえぞ!」
そしたら、鬼がどなり返して来た。
「何ぬかす。この裏切りもんのガキが! 人間なんぞにしっぽふりやがって。見せしめにお前の大事なもん奪ってやるんじゃ」
鬼の言葉に佐和が奇妙な顔をする。どういう意味じゃ? って思ったんだろう。けど銀にはその意味が分かった。あいつはどうやら銀が鬼だって気付いてたらしい。そのくせ人間と仲良くやっているのを憎らしく思ったらしい。
「それで、佐和を食ったのか?」
「そうじゃ、お人好しの女じゃ。お前に化けたら、あっさりひっかかって着いて来よったわ」
「マルタにもオレに化けて近付いたのか?」
「違う、この女には死んだガキの姿で近付いたんじゃ」
「本物の小若に化けたのか?」
「そうじゃ。人間なんて哀れなもんよ。気がふれてもわが子の事は忘れられんのじゃのお」
そう言って、鬼はカラカラと笑った。銀は怒りのあまり血が逆流するような気がして来る。
と、その時、鬼がぎゃっと悲鳴を上げた。なんじゃ? と思って見ると、肩に光の矢が刺さってる。いつの間にか、杉の木の向こうに回ったすおうが投げておったらしい。
「マルタを離せ! 離さんともう一発お見舞いするぞ!」
って、次の光の矢を片手にすおうが叫ぶ。ところが鬼は憎々しげにすおうを見下ろし、
「誰が離すか」
って、マルタの首にかぶりついた。
「いけねえ!」
すおうは青ざめた。
…その時だ、銀が高く跳び上がた。跳びながら銀は頭の輪っかに手をかけた。そしてな、それをあっさり外してな、地上に向かって放り投げてたんじゃ。そしたら、銀の体に光が走ってな、目は赤くなり、黒かった髪が見る見る真っ白になり、額から角が生えて来る。その姿のまま銀は杉の木のてっぺんまで飛び上がり、額の角を鬼の喉元向けてぐさっとさした。
鈍色の血がほとばしり、鬼が悲鳴を上げた。
生臭い血を浴びて銀は眉しかめた。そいで、思いっきり角を引っこ抜いた。そしたら鬼はマルタを離し、まっ逆さまに地上に落ちてった。
いきなり、手を離され、マルタも地上に落ちて行く。慌てて銀は手を伸ばし、マルタの腕をぎゅっとつかんだ。マルタは銀を見て笑って言った。
「お帰り小若」
その言葉を聞いて、銀は泣き笑いみたいな妙な顔をする。
それから、マルタを抱え、枝づたいにひゅんひゅん降りてった。地上に辿り着くと、すおうがあっけにとられてこっち見てる。実は、銀が跳んでから降りて来るまで、あんまりにも速くて、すおうには何がなんだか良く分からなかったんだ。けど、とりあえず、銀の変わり果てた姿だけは良く分かる。
そん時、はじめて銀は自分が取り返しのつかねえことした事に気付いた。けど既に遅しさ。銀は観念した。
「見ての通りさ。オイラは鬼なんだよ」
ってふて腐れたように言う。
知ってたさ…ってすおうは思ったけど何も言わなかった。
その沈黙をどう受け止めたのか、銀はますますやけっぱっちになって、その場にぺタンと腰おろしてこう叫んだ。
「殺せよ。鬼はみんな殺すんだろ? かまわねえよ。オイラだっていい加減、世の中が嫌になってたところだったもん」
それを聞いて、すおうは光の宝珠を握りしめた。
…もとより殺すつもりだったんだ。けど、こんなガキ殺すのはかわいそうで迷ってただけだ。
けど、今鬼を倒したあのすばやさ、恐ろしさはどうだ? こいつはやっぱり尋常の奴じゃねえ。今は子供だから人を食らう事もしらねえが、いつかその狂気に目覚めた時、取り返しのつかねえ事になるかもしれない。幸いこいつも死にたいって言ってるんだ。何の罪もねえガキなんか殺したくねえけど、ここは、情け無用でやるしかねえかと、覚悟決めたすおうは光の宝珠を額にいただく。そいで、呪文を唱えだした。
そしたらな、佐和の幽霊がびっくりしたみてえに飛んで来て、すおうと銀の間に割り込んだ。
「なんで、止めるんだよ?」
って、怒ったのはすおうではなく銀だった。
「止める事ねえだろ? オイラは鬼だぞ。死ぬしかねえんだぞ。佐和だって言ったじゃねえか。鬼なんて死んじまえばいいってさ」
そしたら、佐和はしきりに首ふってな、涙をぼろぼろ流しはじめた。そして、透けてる手で銀を抱き締めて「ゴメンナ、ゴメンナ…」って謝る。
すおうは宝珠を握ったままで、しばらくその様子見てたけど、やがて、あっさりとそれを首にかけ直した。そいでふて腐れたみたいに言った。
「殺さねえよ、ガキなんか」
銀はびっくりしてすおうを見た。その視線を無視してすおうはさっさと歩き出した。山からおりる気みてえだ。
「いいのかよ?」
銀は叫んだが、すおうは知らん顔さ。銀はすおうの背中を追っかけた。
「待てよ! 待てったら!」
と、すおうはいきなり立ち止まり、腰かがめて何かを拾った。なんじゃって見てる銀に向かって、すおうは今拾ったもんを投げてよこす。受け取るとそれは、破邪の輪じゃ。輪っかは月の光を受けキラリと金色に輝いた。
「それが、お前の力を封じていたんだろう?」
月明かりの下ですおうは言った。
「そうさ」
って銀は頷く。
「これをかぶってりゃ、オイラは人間でいられるのさ」
「そうか」
今度はすおうが頷いた。
「じゃ、それかぶって2度と外すな。そして、どっか遠くの土地でマルタと二人で幸せにくらせ。鬼の事も何もかも忘れてな。そうすれば、お前は一生人間でいられるはずさ。そうすりゃ俺もお前を殺さずにすむ」
「一生人間でいられる? オイラが? 本当か?」
「ああ、お前が鬼になりてえと望まない限りはな…」
謎みてえな言葉さ。けど、銀は大きく頷いた。鬼になりたいなんて望まないさ。望むわけねえさ…。
それから、しばらく後、笹葉の山から銀の姿は消えていた。どこに行ったかは誰にも分からぬ。ただわらべ歌が残されたばかりじゃ。
笹葉の山には鬼がいるとよ
銀色の髪に 赤い目だとよ
月夜の晩に人食らうとよ……
<了>
銀の系譜 pipi @piccho
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。銀の系譜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます