笹葉の小鬼 5
うわ!」
って叫んで銀は飛び起きた。
よく覚えてねえが、何だかとてもいやな夢を見た。全身びっしょりと汗かいてる。
ムシロの上に、柔らかな日が差し込んでる。もう朝だ…。マルタはまだ眠ってる。その顔見ると銀はホッとして、汗を拭った。
朝飯を食い終わると、銀はすおうの後にくっついて村へ降りて行った。
昨日の村の奴らの態度を思い出すと、正直、村に行く事にはあんまり気乗りがしねえ。それでも村に向かうのは、佐和の事が気になってたからだ。なにしろ、昨日、あんな気まずい別れ方しちまったもの。他の奴らはともかく、佐和とだけは仲直りしたかった。なぁに、きっと、佐和なら分かってくれるさ。今日はいつものように「銀」って笑いかけてくれるさって、銀は信じてる。 やがて、山道が終わり、金色の稲穂の波の向こうに集落が見えて来た。笹葉の里だ。ところが…。
村は異様な静けさに包まれてた。
いつもなら、村の奴らが刈り入れしたり脱穀したりと忙しく働いてるころなのに、誰の姿も見えやしねえ。散らばったザルやらカゴやらの間を、鶏がのどかに歩き回ってるのが見えるばかりさ。銀もすおうも首をかしげた。…なんで誰もいねえんだ?
藁葺きの家々を覗き込んでみても、やっぱり誰もいねえ。妙だ。
…なんか、悪い事でもおきたんじゃないか?
って、二人は顔見合わせた。
そのまんま、低い軒々の間を歩いてくとな、くれは山のふもとのお社が見えて来る。そこでようやく二人は人の姿を見た。そりゃ、おやしろの入り口の鳥居の脇の大岩に腰かけて念仏を唱えてる、よぼよぼの婆じゃった。
「お絹婆!」
銀が駆け寄ると、婆はぶるぶる震えながらこっちを見た。
「おい、どうした? 何を震えてる? 村の奴らは?」
「お池のほとりじゃ」
と、婆は答えた。そして、またぶつぶつ念仏を唱え出す。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ。ああ、哀れな事じゃ。佐和よ、なんで一人でお池のほとりに行ったんじゃあ?」
「なんじゃと?」
佐和の名を出され、銀はびっくりした。
「今、なんと言った? 佐和がどうしたって?」
すると、婆は耳を疑うような事を言った。
「おお、銀。お前は知らんのか? 佐和が食われたんじゃぞ、夕べ、お池のほとりで、鬼に食われたんじゃぞ」
目の前が真っ暗になる。
ばくんばくん心臓が音たてる。
…嘘じゃ、なんかの聞き間違いじゃ!
銀は心の中で叫んだ。
「そら、本当か」
すおうが真っ青になって婆にたずねた。そしたら、婆は頷いた。
「本当さ。社の裏のお池に行ってみりゃ分かる。村の奴らみんな集まってる」
銀は無我夢中で、お池に向かって走り出してた。
婆の言う通り、お池の周りには村中の奴らが集まってた。
いっつもは鏡みてえな綺麗な水面が、今日は真っ赤に染まってる。そのまん中に佐和が…正確には佐和の首が浮かんでさ、周りに桜の花びらてえな薄桃色の端切れがいくつも浮かんでる。佐和の着てた着物の切れはしさ。
ああ、そこは銀が日頃気に入って遊んでいた場所じゃないか。
いつも銀が昼寝ん時に昇ってる松の木の真ん前で、佐和の母親が半狂乱で泣いてる。それを佐和の兄やら姉やらが支えてる。それを見てみんななすすべもなく立ち尽くしてる。
そこへ、すおうと銀が駆け込んできた。二人はこの光景を見ると、他の奴ら同様呆然とした。
「なんでじゃ?」
すおうが怒声をあげる。
「夜、外に出るなと、あれほどきつく言っておいたのに」
「誰かが呼びに来たようだ」
佐和の姉のよりが答えた。
「あの時は、半分寝てたからよく覚えてねえが、確かに子供が佐和を呼びに来ていた。あれは、銀、お前じゃなかったのか?」
「違う」
銀は驚いて首を振った。
「オイラは、夕べはずっとすおうと居たもの」
「その通りじゃ。銀は、ずっと俺と一緒に居た」
すおう頷いた。
「他に心当たりのある奴いるか?」
ってすおうが訪ねるとみんな一斉に首をふる。村人全員、すおうの言い付けを守って家の中にじっとしてたんだって。
「鬼が出るんじゃねえかと思うと、とてもじゃねえ、恐くて外になんか出られませんですだ」
って言葉にすおうは「なるほど」って頷き、
「それなら、鬼が人に化けて来たのかもしれねえ」
って、苦々しい顔した。
そんなやりとり聞きながら、銀の心はなぜかすっきりしねえ。…確かに夕べ佐和を呼びに行ったのはオイラじゃねえ。けど、佐和が死んだのはオイラのせいじゃねえのか? …銀の心の中にいやな気持ちが黒雲みてえにわき上がって来る。
その時、まるで銀の心に答えるみてえに悪ガキが叫んだ。
「けど、佐和が死んだのは銀のせいじゃ!」
別の子供も調子に乗って叫んだ。
「そうだそうだ! 銀のせいじゃ」
「アホ抜かせ! なんで銀のせいじゃ」
って、すおうが恐い顔すると、
「だって、元はといえば銀が鬼をかばったからじゃねえか!」
って、ガキどもがわいわい騒ぐ。
そしたら、大人までが騒ぎはじめた。
「そうじゃ、銀が鬼をかばわなきゃ、佐和は食われたりしなかった」
「銀のせいじゃ!」
「銀のせいじゃ!」
波紋みたいに広がってく怒号の渦の中で、銀はなにやら白昼夢見てるみたいな妙な気分になってきた。ああ、現実感がねえ。これはそうさ、今朝見た恐ろしい夢の続きにちげえねえ。けど、なんだ? この耳鳴りは。ガンガンガンガン響いて来らぁ。それに、妙に額が熱い。輪っかが締め付けるみたいだ。痛くてたまらねえ。苦しいよ。ええい、こんなもん、いっそとっちまおうか…? 暗示にかけられたみてぇに、銀が輪っかに手をかけた時さ、
「黙れ」
って、すおうがものすごい剣幕で怒鳴った。それで銀はハッと我に返って、オレ何しようとしてたんだって、輪にかけてた自分の手を見る。
一方すおうは怒りのあまり身を震わせてた。そしてな、もう一度怒鳴った。
「鬼は必ず俺が退治するから黙れ」
ってな。それで村の奴ら全員黙りこくっちまった。
その夜から、いつ鬼が現れてもいいようにって、すおうは毎夜寝ずの番を始めた。昼間は昼間で鬼の姿探す。けど、敵もさるもので、すおうが見張りを始めたとたんぱったりと姿を現さなくなった。気配すら感じさせねえ。「もう、いなくなったんでねえか?」って思いたがる者もあったが、とんでもねえ、まだ鬼はこの辺りにひそんでやがるさ。その証拠に、山の獣達の無惨な死体が里の近くに落ちてるでねえか…。
一方、銀はいえば、それ以来村に行くのをやめちまった。
…村の奴らの怒りはもっともだもの。オイラがあの時鬼をかばったりしなければ、佐和は食われたりしなかったもん。
それ考えると、申し訳なくて、辛くて、銀はべそべそ泣いた。マルタがえれえ心配したようだが、銀はべそべそ泣き続けた。けど、10日ほども泣いてたら、やっと気がしずまってきてさ、銀は考えた。…オイラ、もう笹葉にはいられねえけども、せめて佐和のかたきをうってからここを去ろう…ってな。
そう決めると、銀の行動は速かった。
その日の夕暮れ、マルタに「誰が来ても戸を開けるな」と何度も念を押して(分かってくれたかどうかはあやしいが)、びゅんびゅんと山の木を伝って村に降りてった。
村の入り口には篝火があかあかと燃えていた。その横で、すおうが腕組みして、あぐらかいてこっちをにらんでる。村の奴らの姿は見えねえ。家に隠れてるんだろう。けど銀にとっちゃ好都合さ。
「おーぅい! すおーう!」
銀は遠くからすおうに向かって呼びかけた。
すおうはびっくりして走って来る銀を見てた。で、駆け寄ってきたとこを叱りつける。
「なんだ? おめえは! 危ねえじゃねえか、こんな時間にうろついたりして」
「大丈夫さ、おいらは」
「おめえはともかく、姉さんが危なかろう。あんな所に1人きりにして」
「それも大丈夫だ。お前のお札があるじゃねえか。それより、オイラにも鬼退治手伝わせてくれ」
「ダメじゃ。山に帰れ!」
「なんでじゃ?」
「危険だからじゃ」
「大丈夫だっていうのに…!」
銀は食い下がった。けど、すおうは鉄の壁のごとく頑に拒否する。なぜかって、マルタをあんなとこに、長々と一人にしておくのは危険すぎる。お札があるといったって、鬼は人に化けるんじゃもの。佐和の件がいい例じゃねか? それだけじゃねえ。幼い銀を、これ以上鬼なんぞと関わらせたくない。
「ええから、とっとと山へ帰れ! そいで、できればどっか遠くに行け。鬼の出ねえ安全で平和な土地を探してな、何もかも忘れて幸せに過ごすんじゃ。鬼の事も佐和の事もさっぱり忘れてな」 「ああ、そうするつもりさ」
銀は頷いた。
「けど、ここまんまじゃオイラどこ行ったって幸せになれそうもねえ。だって、オイラが佐和を殺したようなもんだもの。一生それを後悔して生きていくに違いねえ」
「佐和が死んだのは、お前のせいじゃねえよ。佐和だってそれぐらい分かってくれているさ」
「いいや。あん時の村の奴らの言葉を聞いただろう? 佐和だってきっとオイラの事恨んでるに違いねえ。オレができる償いは、鬼を殺して佐和の仇を討つ事だけだ。頼む、鬼退治を手伝わせてくれよ」
あんまし銀が必死で頼むから、すおうは少し哀れになってきた。けど、だからって鬼退治には絶対に付き合わせたくねえ。で、どうするかと考え、すぐに妙案を思いつく。
「そいじゃあさ、ためしに佐和に聞いてみるか? お前を恨んでるかどうかってよ?」
銀は仰天した。
「そんなことができるのか?」
「ああ、できるさ。なんなら今すぐ聞いてやろうか?」
すおうはそう言うと例のずだ袋から2本のろうそくと香炉と木の台を取り出し「ついて来い」って歩き出した。
すおうの後ろをくっついて銀が辿り着いたのは、例の池のほとりさ。月明かりが水面を照らして、ふわふわと端切れが漂ってるのが見える。
すおうは、草の上に腰を降ろすと、台を置き、ろうそくに火をともした。あたりがぼうっと明るくなり、いまだに消えない血の跡があらわになる。銀はそれらから目をそらした。
ろうそくには不思議な文字が浮かび上がり、炎とともに揺らめいていた。それがなんと書いてあるかは銀には読めねえ。
次にすおうは香炉を焚いた。それを2本のろうそくの間に置く。白い煙りが真直ぐに立ち、辺りにえも言われぬ芳香がたちこめた。
そしてすおうは2つのろうそくの光と光の間の一点を見つめてな、手の平で印を結び、低い声で唱えはじめた。
「闇より出てたまえ、さまよえる魂よ。我、汝の苦しみを解かん」
そしてさらに呪文みたいな言葉をつぶやく。
銀はすおうのやる事を熱心に眺めてた。そしてその顔つきは、やがて驚愕の色にかわった。
なんでかって?
そりゃ、もうもうとたちこめる香炉の煙りの中に、悲しげな佐和の姿がうっすらと浮かび上がったからさ。
銀は呆然として煙りの中で揺らめく佐和の姿を見つめた。佐和は虚ろな瞳で空を見ておる。
「さ…わ?」
銀は掠れた声でその名を呼んだ。そしてすおうに尋ねた。
「生き返らせたのか?」
「違う」
すおうは首を振った。
「魂を呼び寄せただけだ」
「お前は霊媒師なのか?」
「似たような事はできるが、ちょっと違う。誰の魂でも呼び出せるわけじゃねえが、死んだばかりの魂なら呼び出せるんだ。そら、声かけてみろ。話、できるぞ」
銀はもう一度佐和を見た。佐和の姿は煙りの中でゆらゆら揺れている。
「佐和、佐和。オイラが分かるかい?」
「ギ…ン?」
佐和がか細い声で答えた。
「そうだ。銀だ」
佐和が答えてくれたのが嬉しくて、銀はほろほろと涙をこぼした。
「佐和、ごめんな。オイラのせいで。オイラが鬼をかばわなきゃ、佐和は死なずにすんだのに」
「イイ…ンダ。コレ…モ宿命」
佐和の声は、今にも消えそうにはっきりしねえ。銀はひとことも聞き漏らすまいと耳をすませた。
「ソレ…ヨリ…アノ日…ヒドイ…事言ッテ…ゴメンナ」
「ひどい事ってなんだ?」
「クチヲキイテ、ヤンネエ…ッテ」
「そんな、そんな事…」
佐和の言葉に銀の目から溢れてる涙が止まらなくなる。
「本気にしちゃいなかったよ。気にするなよ」
それだけ言うと、銀はわんわんと泣いた。悲しくて、悲しくてわんわんと泣いた。すおうが泣きじゃくる銀の肩を軽く叩いた。
「だから、言ったろ? 佐和は恨んじゃいねえって」
「ああ」
「これで気がすんだか?」
「ああ、すんだよ」
「そいじゃあ、山に帰れ。何もかも忘れて、よその土地に行け。佐和もそれを望んでるさ」
すおうの言葉に、銀は佐和の顔を見た。佐和は透き通った体でしきりに頷いてる。すおうの言う通りにしろって事だろう。
「分かった」
って、銀は涙をふいた。それ見て安堵したすおうは、煙りの中で揺れてる佐和に向かって言った。
「佐和、助けてやれなくて、すまなんだなあ。さぞ無念じゃろうが、これでお別れじゃ。少しでも早う成仏してくんな」
ところが、佐和は首をふった。
「…待ッテクダサイ」
「なんでじゃ?」
「鬼ガ…動イテイル」
「なんじゃと? 俺がどんなに探してもとらえられねえ鬼の気配が分かるのか?」
「ハイ…」
「そうか、佐和はもうこの世のものではないから、感覚がわしらより研ぎすまされてるのだろう…」
ってすおうは納得した。
「ソノ通リ…デス。サア…早ク。鬼ハ、恐ロシイ速サデ、動イテイル…!」
そう言うと、佐和は火の玉に姿かえ、木々の間をすーっとと飛んでった。
そら、中天に刃みてえな月がかかってる。ひっそり寝静まった家々の間を、ふわふわと火の玉が飛んで行く。それを追って、すおうと銀が風みてえに走ってった。
走りながらすおうが言った。
「銀! お前は帰れ。気が済んだろう?」
すると、銀は首をふった。
「けど、こっちが帰る方向だし、ついでだ」
「なろほど」
ってすおうは納得する。
…確かに、こっちは笹葉山の方向さ。けど、それだけじゃねえ。銀は、せっかく会えた佐和とまだ別れたくなくて、火の玉の後を追っかけてるんだ。
やがて火の玉は、村の外に出た。そして、真直ぐにどんどん走ってく。川越え、お地蔵さんの前を過ぎ、どんどん、どんどん走ってく。
そのうちに…あれ? って二人は思った。だって、この先は笹葉山へと続く一本道だ。他に曲るところなんてねえぞ。
ってことは…!
すおうが真っ青になって叫んだ。
「マルタが危ない!」
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